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陸軍航空は太平洋戦争中に一式戦〜五式戦までの戦闘機を開発しましたが、これは「順調な開発」と見るか「一貫性のない開発」とみるか、どっちが正しいのでしょうか? 凶鳥 |
- 「より大馬力のエンジンを積み、より高速を発揮する、より重武装の戦闘機」という点で一貫しています。ハ-25/115(キ-43)、ハ-41/109(キ-44)、ハ-40/140(キ-61)、ハ-45(キ-84)、ハ-112(キ-100)、要はその時点で入手可能なエンジンに合わせ機体を開発した(五式戦は例外)という事ではないでしょうか。それを「順調」と評価すべきかどうかは難しいところですが、ゲテモノを乱造した挙げ句輸出用戦闘機にライセンス生産の英国エンジンを乗せた機体を主力化する破目になった某国よりは「順調」と言って良いかと思います(笑)。
ささき
- 一戦から順番に並べて見ればそういう印象を受けますが、それぞれの機体の開発コンセプトは計画に沿ったものです。九七戦、二式戦、四式戦と綺麗に間隔を置いて主力戦闘機が並んでいる、と見ることもできるのです。
BUN
- BUNさん教えてください。2式戦は、主力戦闘機を想定していたのですか?ということは単戦と複戦はBf109とBf110の関係のような思想で開発されたということなんでしょうか?1式戦と3式戦は、どのようなコンセプトで開発されたのでしょうか?1式戦は、97戦のコンセプトを引き継いだつなぎの機体?3式戦は2式がいまいちうまくいかなかったから?
痴呆公務員
- 陸軍の兵器は飛行機も戦車もその時期に対応する兵器研究方針に沿って開発されています。
九七戦は開発時の研究方針が「軽戦」「重戦」に分化していない低翼単葉の高速戦闘機として開発されたものですから厳密に言えばこれを「軽戦」とするのは間違いです。
一式戦と二式戦は発動機の馬力が低い代りに軽武装で戦闘機のみを目標とした「軽戦」と戦闘機、爆撃機ともに相手とする汎用の「重戦」との初の組み合わせで開発されたもの。「重戦」はインターセプターではなく本格的戦闘機とでも言うべきもので、武装も強力なら研究方針の段階では「重戦」のほうが航続距離の設定さえ長いのです。
三式戦一型は水冷発動機を搭載した「軽戦」。
四式戦は「重戦」の最後の機体ですがこの時は誉が完成していた為にあえて補助戦闘機としての「軽戦」が開発されていません。
五式戦は「軽戦」に分類されることがあります。
「軽戦」と水冷戦闘機を除くと戦闘機開発の流れがスッキリと見えて来ると思います。
複座戦闘機は研究方針の中で「重戦」「軽戦」とは別の項目中にあるもので、開発の流れもまた異なります。
BUN
- 三式戦は「中戦」とされることがありましたが、これは陸軍による正式な分類ではなかったのでしょうか?
茶鱈
- 研究方針の中に中戦という項目はありません。軽戦/重戦という分類も十八年には研究方針から落ちています。三式戦を中戦と表現したのは多分土井武夫さんだと思いますが、それは設計者としての「気持ち」と機体の特徴をうまく表現した言葉だと思います。
BUN