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2337 チタデレ作戦(クルスク大戦車戦)以降の東部戦線の航空戦やドイツ空軍の状況について概説的に教えて下さい。この頃の東部戦線の航空戦は、ハルトマンのようなエースが急激にスコアを上昇させている割に、同時期の西部戦線の航空戦や本土防空戦にかくれて余り知られていないので。
ドイツ空軍にとってソ連空軍の方が米英軍よりも戦いやすかったんでしょうか?
モーグリ

  1.  パイロットの平均的技量で見るならば、ソ連空軍の方が米英軍よりも戦い
    やすかったのですが、以下の理由によりドイツ軍がソ連軍から制空権を奪う
    に至らなかったのです。
    1)投入した機体の数の差:ドイツ軍は地中海、フランスおよびドイツ、ソ連
                の3つの戦線に航空機を分散して配備しなければ
                ならなかったのに対し、ソ連軍はほとんどの機体
                を、対ドイツ戦線に配備することが出来た。その
                ため、ドイツ軍の2倍から3倍の数の航空機を投入
                することが出来た。
    2)機体性能の差(戦闘機の場合):速力に関してはソ連軍戦闘機の方が速く、
                   トップスピードを維持していれば、ソ連軍
                   側は、ドイツ軍側の戦闘機の襲撃を大幅に
                   かわすことが出来た。
    3)ソ連側の戦術の転換:例としては、雑然とした編隊による飛行(ドイツ軍機
               からの射撃のねらいをしにくくするのに効果的。)、
               エースパイロットをまとめた部隊の編成(ドイツ軍の
               パイロットでも、この様な部隊に対して空戦での主導
               権をにぎりにくく、またこの部隊の存在により空中戦
               にあたる際に、エース部隊とそうでない部隊を見極め
               る必要があり、襲撃に躊躇をもたらす効果があった。)
    4)燃料の確保の差:燃料に関しては、量もさることながら、質でも差があった。
             高オクタン燃料についてはソ連側は、米英から支援物資と
             して大量に入手出来た。
    アッサム

  2.  上記のことを要約すると、ソ連軍側は戦術面では戦力の温存をはかりつつ、
    最終的に戦略面で戦力の数的、質的優位をに確保したことにより、制空権を
    ドイツ軍から奪還し、さらには自軍の制空権を拡大するに至ったのです。
    アッサム

  3.  拙著「考証的に正しい航空戦闘」は大部分が西部戦線に関するものです
    が、多少東部戦線について触れています。
     本土防空戦がドイツ空軍にとってあまりにもブラッディになったので、
    東部戦線の戦闘機部隊は次々に呼び返されました。これにより、ソビエト
    空軍の意図をくじくことは難しくなりましたが、その一方で地上攻撃部隊
    はそれなりに維持されており、ソビエト空軍の制空権も絶対的なものでは
    なかったことをうかがわせます。
    http://www.interq.or.jp/japan/maisov/oss/koukou.htm

    マイソフ

  4. 1943年後半
    独地上軍ドニエプル河畔まで後退、空軍基地移動。前線で整備隊の不在及び修理部品不足による損傷機の喪失が始まる。

    1944年
    独地上軍東部ウクライナ、クリミア半島から撤退、空軍基地移動。
    ドイツ本土・西部戦線へ向け空軍部隊転用本格化。6月時点で東部戦線保有の単発戦闘機は395機。
    6月18日、ソ連軍集結地ゴメリ爆撃。
    6月21日、イタリア-ウクライナ間でシャトル爆撃を行っていたB-17を目標に、ウクライナのポルタヴァをHe111,Ju88の180機で爆撃。69機のB-17が全損-損傷、備蓄航空燃料炎上。
    6月22日、ソ連軍バグラチオン作戦開始。
    40機のHe117が地上攻撃に出撃、25%が未帰還。
    独空軍、ルーマニア、ハンガリー、フィンランドから撤退。
    10月、ソ連軍進撃鈍る。
    燃料備蓄、爆撃隊解体によるパイロットの確保、生産された戦闘機の受領による戦力補充に努めるが、東部戦線の航空戦力比は5:1と算出。

    1945年
    1月12日、ソ連軍攻勢開始。
    4月16日、ソ連軍ベルリン攻撃開始。オーデル河渡河部隊に対し、第6航空軍(1,524機保有)が総力をあげて攻撃。
    4月17日、ソ連軍、上記戦区に800機を投入。オーデル河西岸に橋頭堡確保。


    チタデレ以降の記録を拾ってみました。西部戦線や本土防空戦に対して知られていないのは、特筆するほど大規模な航空戦が行われなかったからであるような気がします。
    ドイツ軍劣勢の理由について、アッサムさんがほとんど述べられているのですが、補足させて頂くとすると…

    後退に伴う基地移動で航空機の移転に整備部隊が追いつけず、整備能力−出撃能力が低下した。
    東部戦線の広域な戦線を防衛する為、各戦闘航空団を細分化して小部隊にしてしまい、どの戦域でも航空優勢が取れない編成になっていた。

    以上2点を挙げておきます。


    エースが急激にスコアを伸ばした件については、それ以前に比べて出撃回数が極端に増えたからではないのでしょうか。
    チタデレ作戦の以前と以降で、各エースの撃墜数/出撃回数の比率を調べてみると面白いのでは?
    プチロフ

  5. 1-4の皆さんのレス以外に思ったことを補足します。

    >同時期の西部戦線の航空戦や本土防空戦にかくれて余り知られていないので。
    ということですが、やはりたいしたことなかったわけではなく独ソともに十分
    語られていなのいではないかとも思います。米英からみたドイツ空軍って感じの
    書籍が多いですから。

    >戦いやすかったんでしょうか? その1
    のように感じます。ドイツ空軍の撃墜した敵の航空機の数は70000機の内
    45000機は東部戦線での戦果です。(ドイツ軍の主張)またソ連空軍の
    発表された損害は、合計88300機で、41年17800機、42年12100機、43年
    22500機、44年24800機、45年11000機(ソ連側の発表)とドイツが押され
    気味になるほど大きな損害をこうむってます。特に西部戦線に戦闘機を
    引き抜かれ、爆撃機の活動も尻すぼみになった時期として考えれば驚異
    な感じもします。以上の数字が厳密にどのような基準でのものかは、私
    には、はっきり分からないんですが、一つの参考になると思います。

    >戦いやすかったんでしょうか? その2
    戦闘機の戦法でも、ドイツ空軍は、ご存知のとおり一撃離脱を基本とし
    それに適したBf109,Fw190の急降下のダッシュの素晴らしい機体を主
    に用いたのに対して、ソ連空軍の戦闘機は、後期の機体ではカタログ
    スペックは優れていても、派手な急降下は工作上の欠陥で空中分解
    の危険があるためダイプでの離脱が楽だったという、フィンランド
    空軍のパイロットの証言があります。(双発夜戦のBf110でも同じ手で
    離脱する。)ハルトマンの回顧録にある
    1)撃墜の80%は一方的な奇襲。
    2)戦闘が長引く格闘戦はしないですぐに退避行動。
    3)在空する味方の兵力が多いことが勝利の秘訣。
    という発言を聞いたり、
    Panzer Battleでは、ドイツ空軍に対して
    「航空部隊の支援が不足だった」
    「ソ連空軍の能力と、その数的勢力とは関連しなかった」
    「ソ連の偵察機は、時おり戦線後方の30-60マイルまで飛行してきた
    が戦闘機や爆撃機は、戦線後方20マイル以上のところではほとんど
    みられない。」

    のような証言をみると、戦闘は、ほとんどが前線での出来事で少
    し離れた基地は聖域となる。(クルスク戦での初日のソ連空軍
    のドイツ空軍基地襲撃の大失敗は有名です。)
    また戦闘機が爆撃機を援護し身を犠牲にして、任務を全うすると
    いうよりは、戦闘機は、前線をパトロールし、「オイシイ獲物」
    を見つけパットやっつけそのままトンズラ。相手が優勢なら
    すぐに戦闘を中止し、パワーダイプで、急降下を気にしてできない
    相手をどんどん引き離し、ラクラク生還。なんて感じの戦闘を
    想像します。(あくまで想像ですが。)

    参考図書
    ドイツ戦車軍団全史(Panzer Battle) F.W.MELLENTHIN
    WHEN TITANS CLASHED DAVID M.GLANTZ
    THE BATTLE OF KURSK DAVID M.GLANTZ
    軍用航空機技術の将来         内藤一郎
    THE LUFTWAFFE WAR DIARIES CAJUS BEKKER
    フィンランド空軍戦闘機隊      イルマリ・ユーティライネン
    バウアー中尉

  6. >戦闘機の戦法でも、ドイツ空軍は、ご存知のとおり一撃離脱を基本とし
    >それに適したBf109,Fw190の急降下のダッシュの素晴らしい機体を主
    >に用いた

    この神話、もう古いですよ、中尉。

    109はどこからどう見ても格闘戦用の機体ですよね。
    まず、何をおいても主翼を軽くしたかった。すなわち重量物を全て重心近くに置きたかった。これは機動性を追求したからではないのでしょうか??
    E型が翼にMGFFを搭載せざるを得なかったのはモーターキャノンの技術未成熟のためで、メッサーシュミットとしては実に不本意な作品だったといわれます。
    火力劣弱は中心線に近く火器を集めることで命中率を上げることで対応させようという意図が見えます。
    また、全体に軽量化と小型化を進めて推力重量比にこだわっています。
    なにより上昇力を売物にした垂直面格闘戦に持ち味があり、旋回性能もそれなりに優れる、そして本来DBエンジンのモーターキャノンを主兵装とするという、中部欧州での制空権獲得を目指した万能戦闘機ではないでしょうか。
    また、109系列の本命であろうF型の翼面荷重はかなり小さい値となっています。
    それに、109の急降下性能はそんなにたいしたことないじゃないですか。アメリカ陸軍の戦闘機にはP-36(カーチス75)からはじまってずっと負けっぱなし、たぶんP-39にも勝てない。羽布張りのハリケーンとかぺなぺな翼のスピット、ガタのきているYakとかLaGGに勝ったってあんまり自慢にならんでしょう。
    中尉の言う「一撃離脱」には、おそらく三式戦の方が向いていますよ。

    190は、あえてこの喩えを使いますが、109が一式戦ならこいつは四式戦にあたる機体だと思います。
    V-1の設計を見ても、まずは高速戦闘機であることを目指したものでしょう。
    重武装の要素はあとから拡張機能として付与されたものだと思います。
    もともとは機首武装とプロペラ回転面内という極めて胴体に接近した内翼武装という、主翼軽量化の面では109に近い行き方をしてます。
    A-1以降のはBMW801の馬力に余裕があって、且つ109の補助戦闘機という立場あっての外翼武装で、飛行性能を重視したD−9ではやっぱり外翼武装を外しちゃってますものね。
    190の持ち味は中速からの加速力と横安定の鋭敏さにあって、旋回半径そのものよりも旋回速度と切返しの速さで先手を取る方向での水平面格闘戦闘機だと思います。
    この点で109よりも空戦に対する考え方が古く、エクスペルテンに好まれなかったのはここらへんが原因なのかもしれません。
    それに、ここぞという場面で生き残りを賭けるには、軽くて細かい舵が利く109の方がいい、それこそ四式戦よりも一式戦三型の方が「負けない」(笑)というようなことは、絶対にあったと思います。
    ただ、急降下性能では重たい分109よりも突っ込みが利きますから、更に新しい(?)一撃離脱戦法には火力が大きいこともあって109よりも向いていたでしょう。

    さて、いわゆるロッテ戦法も、単機格闘戦での不利を排除した結果得られたものであって、一撃離脱に徹するならば従来どおりのケッテ編隊(3機編隊)でも不都合はないはずです。
    ケッテでは「格闘戦に入ったとき」に1機はぐれて支援したりされたりできなくなってしまいやすいから、無理に1番機についてきても3番機の戦力が無駄になってしまうから、ロッテでは2機なのですよね。
    RAFがケッテを捨ててフィンガーフォー(シュヴァルム編隊)へ移ったのは、フランスや英本土航空戦でドイツ戦闘機に「格闘戦」を挑んで勝てなかったから採用したものですよね。
    ガランド、ヴィック、マルセイユ、メルダース、プリラー、リュッツオー、キッテル、ノボトニーといったエクスペルテンたちは格闘戦を厭っていませんし。
    「一撃離脱が正しい、格闘戦に入るのは猪武者だ」というようなドクトリンなりコンセンサスなりが空軍にあったなら、こういう人々がグルッペンコマンドゥールやゲシュヴァーダーコモドーレ、さらにはイェーガーインスペクトールといった地位をどうやって手に入れることができたのでしょうか?

    ハルトマンの頃に格闘戦を避けるようになったのは、兵力比で圧倒的不利のために時間をかけると援軍を呼ばれて、その援軍に奇襲される恐れが、というかほぼ確実にそうなるからです。
    1942年頃までは、ドイツ空軍といえども積極的に格闘戦を仕掛けるものだったし、それ以前に開発された戦闘機である以上は格闘戦に向いた戦闘機なのです。
    一撃離脱に向いた戦闘機というのは、He162みたいなのをいうんじゃないでしょうか。
    まなかじ

  7. >この神話、もう古いですよ
    ええ、なんといっても半世紀以上前の話ですから。(笑)

    >Bf109,Fw190 in ostfront
    この両機種の優秀性については、このHPを見ている方々にとって
    もはや説明の必要がありません。また何が向いているかという議論
    では、ありません。

    >ガタのきているYakとかLaGGに勝ったってあんまり自慢にならんでしょう
    東部戦線では、十分自慢になります。
    というか、西部戦線でのドイツ空軍の敗北は、やはりP47やP51のような
    急降下で振り切ることのできない相手に、今までイギリスやソ連の戦闘機
    と同じ要領で行動したためなんじゃないでしょうか。
    こと東部戦線では、急降離脱が簡単であったということがいいたかった
    のです。

    >格闘戦
    私は、本当に本当に撃墜された人は、戦闘機の場合はやはり大半
    不意打ちを受けてたものと思っています。(80-90%)
    上記の証言は、ハルトマンだけではなく他のドイツ空軍エース
    でも同様であったと思います。(米軍のインタビューでのこと
    しかしオリジナル資料はみてません。)

    >エクスペルテンたちは格闘戦を厭っていませんし・・
    個々のパイロットの志向は、問題ではないと思います。
    また坂井三郎氏も「不意打ちが最高の手段」と語って
    いますが、ガダルカナルの空戦の模様を語ってもいます。
    やはり回顧録っていうのは、個人の自慢的な要素も
    あるのでは?とも思います。(別に否定的な意味では
    ありません。)

    >ただ、急降下性能では重たい分109よりも突っ込みが利きますから
    はて????そうですか?????
    私が読んだ本では、米軍のテストしたP51との比較では、
    ややBf109の方が突っ込みが利くようですし、日本陸軍
    のBf109E-7とFw190A-5の比較でもBf109の方に軍配が
    あがったと思いますが。逆のことを記載している本が
    あったら興味あります。それともPBレポート??

    >一撃離脱に向いた戦闘機というのは、He162みたい
    >なのをいうんじゃないでしょうか。
    さあどうでしょう。できないこたないでしょうけど、
    エンジンナセルと胴体と主翼付け根の部分の干渉に
    よる気流のはがれのため臨界マッハ数は0.75以下
    であったとのことです。
    バウアー中尉

  8. くどすぎたようですね。
    109と190は本当に一撃離脱に向いた飛行機なのか?
    ドイツ空軍の空戦における基本ドクトリンは本当に一撃離脱だったのか?
    ということを聞いてみたかったのですよ。
    まなかじ

  9. 戦闘機の9割が不意打ちで敵の姿も見ぬまま墜落するとは、
    東部戦線は本当に恐ろしい戦場だと思います。
    BUN

  10.  現在手持ちにRAFの例のレポートが無いので記憶のみで書いているから間違いがあると思いますが。

    確か109は降下初期の突込みは早いが、あとの加速が大した事が無いのではなかったような?全般的に
    降下加速が優れているのであれば、P-51やP-47に降下で追いつかれるとは思えんのだが…。
    またスピットに対しても優位性は特に無かったはず(戦争初期にスピットが振り切られたのは
    降下開始時にエンジンが息をつく欠点があったのが大きかったはず。確か109Eの降下にスピットIが
    ついていくのは可能である、という報告もあった記憶があります)。

    逆に190AはスピットVを余裕を持って降下で引き離せたという報告がありますよね(追えば追うほど
    離された、という記録だったような記憶が。IXでも190を降下時追尾するのは辛い勝ったような?)。
    109対190の場合にも、最初の突込みは良いが後で追いつかれるという独戦闘機対米戦闘機のような
    方程式が成り立つ可能性は充分にあるのでは無いでしょうか?

     以上、ドイツ機に余り詳しくない極く一般人の戯言でした(笑)。
    大塚好古

  11. ↑「辛い勝った」→「辛かった」ね。失礼しました。
    大塚好古


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