2329 |
大戦後期、戦闘機が爆撃機を兼ねる「戦爆」なる機種が出現してきますが、日本海軍で戦爆に使用された機体は「零戦」くらいだったのでしょうか? こうした運用がなされた背景はどういった経緯からですか?また、戦爆任務に最も適した日本機と言ったら、なんでしょう?(当時の試作機も含めて) みつ |
- おそらく零戦ぐらいだと思いますよ。
大戦後期の日本海軍の戦闘機といえば、零戦、雷電、紫電、紫電改などですが零戦以外は局地戦闘機なので。
零戦52型の一部は250キロ爆弾を装備した戦闘爆撃機として、マリアナ海戦のころから使われたそうです。
日本陸軍は、キー119試作戦闘爆撃機を計画していたそうです。外見は、キー100(5式戦闘機)みたいな感じだそうです。
キー119データ(予定値)
全幅 14.0m
全長 11.9m
翼面積 31.9u
全備重量 5980s
エンジン ハー104 2000hp
最大速度 580km/h
上昇時間 6000メートルまで6.1min
実用上昇限度 10500m
航続距離 1200km
武装 20mmx2
爆弾 800s
乗員 1名
BN-2
- 便乗ですが(汗)、「戦爆」と「爆戦」って用語として違うのですか?
なんだか「爆戦」と云う言葉が記憶にあって。
MB
- まず、
戦爆:戦闘爆撃機の略称
爆戦:爆装戦闘機の略称
と考えます。マリアナ沖海戦で用いられたものは、用語的には「せんばく」の方です。爆戦は20年にはいると特攻機によく用いられているように思えますが、どっから出てきたのかわかりません。
零戦がよく用いられたのは、数があったから、だと思います。陸上基地であれば、雷電でも紫電でも潤沢にあれば、爆装は実施しただろう、というか零戦と同時期に雷電でも紫電でも250kg搭載可能という記述が残っていたりしていますから。
こういった運用は、日本側の場合、攻撃時の艦爆の犠牲が大きいという事実があり、いかにそれを減らすのか、を検討した結果生まれてきた、と考えています。
マリアナ沖海戦時、米軍もF6Fが爆装して艦船を攻撃しているはずです。それはそれで考えがあるはずですが、私は米軍の経緯を知りません。
川崎学
- 戦闘機の爆撃任務転用は陸軍機の方が早い傾向にあり、隼、飛燕、疾風等の増槽架は爆弾架を兼用できるものが零戦より早い時期から装備され始め、対地、対艦攻撃に使用されています。
どの機体がこの任務に適していたかは何とも言えませんが、一般に翼下増槽懸吊架を標準で持ち、防弾装備のある隼以降の陸軍機の方がこうした任務には向いていたような印象もあります。胴体下増槽懸吊架を持った疾風の実戦での運用が非常に不便であったとの記録がありますので、この点は確かでしょう。
「戦爆」は零戦の爆装が開始された頃に多く見られる呼称で、「爆戦」はその後、末期にかけてよく使われる呼称です。比島戦、沖縄戦頃では「爆戦」の名称が戦時日誌や戦闘詳報などに頻繁に見られるようになります。
また、零戦の戦爆は戦闘機が爆撃を行うというよりも艦爆を零戦で代用した代用艦爆としての性格で、戦闘爆撃機という言葉から通常イメージされる運用を行ったのはむしろ陸軍戦闘機の方でしょう。陸軍の戦闘機部隊は爆撃任務と制空任務を交互にこなした例が数多くあります。
BUN
- 便乗にもお答えいただき、ありがとうございました〜。
「爆戦」の語が、少し哀しいような印象で記憶にあったものですから。
MB