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学研の「零式艦上戦闘機2」に、石川島航空工業製ターボ・コンパウンドエンジンの写真が掲載されていますが、 このターボ・コンパウンドエンジンについて、型名や性能、開発状況等について教えてください。 mikey |
- その学研の本というのは読んだことがありませんが、おそらくC1のことだと思います。
日本では石川島航空工業がC1とC2の2種類のターボコンパウンドエンジンを設計しており、C1の方だけ実際に試作・試験が行なわれています。
C1はレシプロエンジンの栄に装着し、栄の1000馬力に加え、タービンが500馬力出力しましたので、合計1500馬力のエンジンでした。自重は140kgだったそうです。
石川島のはどちらも軸流式タービンを採用したものですが、この他に半径流式タービンを採用したターボコンパウンドエンジンが海軍空技廠で研究されていました。
ろく
- 早急なる回答、有難うございます。
写真のエンジン(C1)以外にも、ターボ・コンパウンドエンジンの開発が行われていたのですか....。
性能に関しても、回収される馬力は100〜200馬力程度かな?と予想していたので、想像していた以上に高性能で驚いています。
ちなみに、この1500馬力とは離昇出力を指していると思うのですが、公称出力
や高度に関しては、栄11型の 970馬力/3000mに 500馬力を単純に加え、1470馬力/3000mと見なして良いのでしょうか?
あと、C1が実用化されなかったのには、何か訳があるのでしょうか?
理由として思いついたのは、下記4点なのですが、実際にはどうだったのでしょうか。
1.排気タービン過給器に工数を取られ、C1の開発が進捗しなかった
2.排気タービン過給器以上に実用化の難易度が高かった
3.発展解消的な感じで、開発がC1からC2に移行した
4.単に、開発に着手した時期が遅かった
ちなみに、(3) については、C2を2000馬力級のエンジン向けと見なした上での予想です。
mikey
- 高度と出力の関係は、ハッキリしたことは判りません。
実用化されなかった理由について、当時の関係者が書いた書類を見たことがある訳ではないので、以下は私の推測が混じっています。
ほぼ同時期に開発していたターボチャージャ(排気タービン過給器)IET1〜IET5もやはり軸流式タービンを採用していました。IET5のタービンブレードの製作工数は580時間です。しかも削り出し加工でしたので、資材の大部分がゴミとなってしまいました。
C1は軸流2段式タービンで、高圧タービンブレードは98枚、低圧タービンブレードは60枚です。IET5と同様の工数がかかったと仮定するとC1のタービンブレード一式だけで91640時間もかかることになります。
このように軸流式タービンの製造は莫大な工数がかかるのと、先ほどの資材の大部分がゴミとなることのふたつの理由で、既存のレシプロエンジンの生産が停滞したという悪影響があったらしく、実戦部隊からターボチャージャやジェットエンジンの開発を止めてレシプロエンジンの生産に専念するようにとの圧力がかなりあったようです。
そのせいかどうか判りませんが、石川島航空工業は、その後間もなく、レシプロエンジン生産専業工場に転進しています。
ちなみにC2は軸流1段式タービンでタービンブレードは120枚でした。
ろく
- 91,640時間!。
一人で作業する訳ではないので、製作に10年も要する事はないのでしょうが、量産に不向きな事は何となく判りました。
あと、もう一つ質問です。
C1についてではなく、C2に関してなのですが(^^;
C2の事を2000馬力級エンジン向けと予想しましたが、これも誤りでしょうか?
段数やブレードの総数が減っている所を見ると、C1と同級で量産性の向上を図ったものなのかな?、と思えたもので。
mikey
- 説明をすっかり忘れていました。
C2も栄用で、タービン構造以外はC1と同一仕様です。
ろく
- やはり誤りでしたか。
誉を3000馬力級に引き上げてくれるかと期待したのですが(^^;
最後に、ろくさん、色々御教授いただき、有難うございました。
mikey
- もっと、詳しく知りたければ下記の本をご覧ください。
どちらも国会図書館にあります。
(1)世界の航空機 1952年7月号,出版社:鳳文書林,p29
(2)石川島航空エンジン史,平成7年4月19日発行,p12,29,68,69
(1)の本は古本屋で1000円程度でよく売っています。
(2)の本は自費出版本ですのでほとんど出まわっていません。
(1)の方には、同じページに戦前のジェットエンジンの写真も掲載されています。
ろく