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こんにちは。今回は銀河の夜戦型について質問させて頂きます。 最初に夜戦として計画された(実機は無し?)銀河二一型では兵装は20ミリ斜銃4挺となっていますが、その後生産された極光では斜銃は20ミリ2挺となっています。 月光よりプラットホームとして余裕のある極光が月光よりも火力が低くなった特別の理由はあるのでしょうか? 極光は月光との比較で運動性に劣る為夜戦として高い評価を受けていないようですが、もし火力で月光を上回るものを持っていればまた評価も変わったのでは?と素人考えで思ってしまうのですが。 よろしくご教授お願いします。 八郎太 |
- 銀河二一型の呼称は当初は夜戦型ではなく、本来の陸爆としての銀河の改良計画を差します。銀河の夜戦型の具体的な呼称としては白光が最初です。十九年一月の航本機密第八四六号には「飛行長主管兵器第二類の兵器の装備」として白光の兵装が掲載されていますが、ここでの白光の兵装は九九式二〇粍二号固定機銃四型 四挺 二式三〇粍固定機銃一型 一挺となっており、月光に比べて軽武装ではありません。その後、白光は極光と呼称変更され、最終的には廃案となりますが、十九年末頃から呼ばれ始める銀河二一型は、計画としては銀河一一型を夜戦兼用としたものという位置付けにある機体です。この銀河夜戦の位置付けは微妙なもので、百式司偵四型改造夜戦が海軍の主力と位置付けられたりする中、あまり評価されないかと思えば防空兵力の要と見られたりと評価の定まらない印象があります。海軍夜戦の機種については本サイト別館の「真実一路」に「昭和二十年度の海軍戦闘機生産計画」の中で触れていますので参考にしてください。極光や銀河夜戦への評価の移り変わりが多少はわかります。
BUN
- 回答ありがとうございます。日頃「真実一路」のコーナーも愛読させて頂いております。
白光が昭和十八年の要求性能標準の丙戦の内容が反映されていると思われるのに対し、実際の銀河夜戦が施された兵装等どこかこの流れから外れているかの印象があるのは陸爆・夜戦兼用(陸爆が優先?)という位置づけが影響しているのかもしれませんね。
そもそも極光の名前が十九年九月の生産計画表等に見られなくなっている事を考えると、川西製銀河改造夜戦は極光とは別の流れの応急改造機なのだろうか?と言う思いを持ってしまいます。
銀河夜戦を押しのけるように現れ、消えていったキ46IV夜戦も興味が尽きませんが、III型でなくIV型ベースという事は、銀河の「やや鈍重」という評価は運動性というより高空性能を示していたのてしょうか?
八郎太
- 極光は火星換装により銀河よりも速力向上が期待されていたことが文書に残されています。銀河よりも速力向上することが極光の採用条件の一つでもあったのです。鈍重とはこのような事情を指すのではないかと考えています。
しかし、余談ですがキ46III改造防空戦闘機とキ46IV生産型の機首は全く別の形状なんですね、今ごろ気がつきました。
BUN
- なんだか渡辺洋二さんの世傑読むと、三〇二空でも百式司偵を欲しがってたようですね、夜戦用に。銀河じゃ遅すぎて駄目だからって。
片
- 今月お会いしたU飛曹長(甲9期)は、302空で極光の操縦員でしたが、30mmの発射は腹ワタをえぐるような凄まじい衝撃があったと聞きました。
302空の搭乗員は戦闘機以外の操縦員出身が多く、U飛曹長も元戦艦「扶桑」の水偵操縦でした。 関係ない話ですが、U氏の酒の飲みっぷりは現役時代になんら劣らず、豪快でした。
P−斎藤
- 再びありがとうございます。
やはり月光よりは優速とはいえ550q/h足らずの速力では大分不満だったのでしょうね。
ただ五式三十mm機銃を斜銃として使えるのは銀河くらいではないかという気もするので(彩雲でも機体にクラックが出来たといいますし)その点ではもう少し積極的に銀河夜戦を考えても良かったのでは、とも思います。
ところで発砲の衝撃といえば強度面で不評の多いキ46III改造防空戦闘機は三七mm斜め砲を本当に運用できたのでしょうか?
八郎太