2290 |
大戦中の日本機が、橘花、景雲、震電などの特殊機を除いて前輪式降着装置を採用していないのは何故でしょうか。前輪式の方が圧倒的に離着陸が楽なのに、そうしなかったのは重量増加を嫌ったのでしょうか?同時期の米軍の双発機以上に前輪式が多いだけに気になります。 茶鱈 |
- 深山、連山は通常の攻撃機です。参考とした機体が違うのが第一の理由でしょうが、程度と時期の差こそあれほぼ同じ傾向にあると言えます。
BUN
- BUNさん、ご教示ありがとうございます。私が思ったのは、銀河や飛龍などは登場時期からいって前輪式でもおかしくないのになぁ、という疑問でした。
茶鱈
- そう、だから、銀河は参考にしたJu88が尾輪式だからで、飛龍に関しても九七重をリファインする形で始めている為なんでしょう。その後の世代はきっと変わって行ったことだろうと思います。
BUN
- 銀河はその他に母艦に着艦する構想も影響したのかもしれませんね。
BUN
- 牽引式プロペラ単発機では機首の殆どがエンジンで占められるため脚を引き込むスペースを確保しにくい問題があります。ミッドシップ+延長軸で成功した P-39/63 は珍しい例外でしょう。前輪大好きの米軍機でも大戦中には計画だけの XP-48 および XP-57、試作だけの XP-77 くらいしか思い当たりません。戦後は星型エンジンながら前輪式を採用した T-28 が登場が、これはジェットへの移行訓練のため何が何でも前輪式にしたかったのだと思います(搭載エンジン R-1820 が単列で薄いことも理由でしょうが)。T-34 あたりになると平べったい水平対抗エンジンのため前脚引き込みの設計も楽になったようです。
ささき