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以前”どっち”コーナーでF6F戦闘機が偵察任務もこなしたという話を読みました。また、A&Qで米海軍では艦上攻撃機や艦上爆撃機が偵察機を兼ねていた、という話も読んだことがあります。 と、すると偵察任務は特別訓練しなくともこなせるものなんでしょうか?それとも米海軍の爆撃機乗りや戦闘機乗りのなかに”偵察任務講習”を受けた者が混ざっていたとか? たちばな |
- 日本海軍においても、艦攻や艦戦が索敵哨戒に就くのは普通だったかと。
その意味での「偵察」であれば特別訓練はなかったと思います。
あと米英軍は戦闘機各派生型の中に偵察機型を擁しており、F6Fの話は偵察型を
指していると思われます(F6F-3P等)。これだと特別訓練ありでしょうね。
ハンプデン
- つーか、パイロットはある程度までならなんでもこなせます。
零戦だって6番爆弾で爆撃したりしますし。
勝井
- ”どっち”で紹介されたのはマリアナ沖海戦の「索敵」任務で
使われたのは普通のF6Fで写真偵察モデルの−P型ではありません
また米軍の艦爆はSBという記号から判るように、索敵と爆撃を任務とする飛行機で
配備もVB(爆撃中隊)とVS(索敵中隊)に配備されていました
この場合、索敵部隊にも爆装させて攻撃に使っていると見る方が自然かもしれません
つまり艦爆パイロットが索敵技術を持つのではなく
索敵技術を持ったパイロットに爆撃させているような感じです
まあ、末期にはVSの姿が殆どなくなるので
この場合は各飛行隊に居たであろうベテラン等を当てたのではないかと想像します
でもって戦闘機の索敵ですが
A:艦爆艦攻の索敵に護衛として付随する
B:戦闘機で編隊を組んで遠征する
以上のような方法で投入されています
これも洋上航法技量の優れたベテランを軸にして行ったと思われますが
まあ、詳しくは大塚先生にお願いします
SUDO
- 戦闘機の索敵についてなんですが、索敵結果の報告はどうやってたんでしょうか?
アメリカは単座機にも長距離無線はついてたんですか?
taka
- 呼ばれて飛び出てなんとやら、と。
米側呼称フィリピン海海戦の際における約480nmの進出を行った戦闘機のみの索敵は、レキシントンの
VF-16所属機12機(500lbGP爆装)、サンジャシントのVF-51所属機8機が一群となって索敵に当たってます。
搭乗員は通常の戦闘機搭乗員であり、危険な任務のため志願者のみによる作戦となっています。
この他の進出距離325nmの索敵には、1機のVB/VTからの索敵機と、2機のF6Fが組んで索敵任務に
当たっています(索敵機の生存性を高めるための措置。余談ながら結構こいつらに日本の索敵機が
喰われていたりします)。
この時期の戦闘機搭乗員には艦爆からの転向者は少ないですが(艦爆から転向した戦闘機乗りが
一気に増えたのはレイテ戦以降のVBF創出による)、米海軍の場合戦闘機搭乗員が艦爆に乗ったり、
またその逆の例もありますので(例を挙げればミッドウェイ戦の時のVB-6を率いていたCV-6飛行長
マクラスキー少佐の前の任務はVF-6隊長)、各搭乗員共それなりの航法訓練は受けていたのだと思います。
なお、この作戦に当たったF6Fに特別な装備はありません。無線装備も通常のAN/APC-5か、それ以前の
型式の通信機のみの装備です。
大塚好古
- >VF-16所属機12機(500lbGP爆装
これって増槽もつけていたと聞きますが、F6Fも爆弾と増槽を両方ともつけられるんですか。
>索敵には、1機のVB/VTからの索敵機と、2機のF6Fが組んで索敵任務に
2機のVB/VTの索敵機に、1機のF6Fが護衛したと聞きます。日本索敵機もくわれましたが、圧巻はTBF2機、F6F1機の索敵隊2隊で、601空第2次攻撃隊の戦爆機10機と交戦し、戦爆の内8機を未帰還にさせたことでしょう。
川崎学
- ↑この時期には多くのF6F-3に胴体下のハードポイントのほかに、両翼下にそれぞれ一個の
ハードポイントが装備されてます。この時は500lbGPx1と言うことなので、胴体下に爆弾を装備し、
両翼下にF4Fが使うタイプの増加タンクを縣吊したのだと思いますが、写真等無いので推測です。
索敵編隊の構成ですが、調べ直したら空母ごとにやり方が異なったみたいですね。6/20のCV-12は
VFx2+VB/VTx1ですが、6/19の他空母(CV-16/CV-10等)はVB/VTx2+VFx1で編成されてますね。失礼致しました。
あと自分の書き込みにも突っ込んでおくと「VBF編成以降」ではなくて、「VFの72機体制実施
(後にVBFに分割された部隊あり)」以降ですね、艦爆からの転向者が増加したのは。
大塚好古
- ありがとうございます。
F6Fも翼の下に増槽を積んでいた可能性があるとのことですか。確かに翼下に爆弾を一発積んだ場合、バランスが悪そうですから、胴体下に爆弾、翼下に増槽の可能性が高いような気がします。
CV-12は戦闘機が2機だったのは知りませんでした。
川崎学
- ↑このときの写真ではありませんが、胴体下と翼下を含めて三個増槽をつけた写真なら、「世界の傑作機」の
F6Fの号に掲載されている戦時写真の中にあります。御興味がありましたら御覧下さい。
大塚好古
- ↑右横から見たあの写真だと2個しか見えないな(汗)。あの状態だと、反対側にもつけていると
思われるので3個と表記しました。以上、追記こと言い訳(笑)
大塚好古
- 零戦にも偵察型が存在したことを搭乗員ご本人から聞いたことがあります。
19年秋、比島における偵102飛行隊では彩雲以外に百偵(2&3型)、そして零戦52型の偵察型が一機あったとのことです。
T少尉(予学13期)はそれまで302空の零夜戦の搭乗経験があり、その経験を買われて同機に搭乗、台湾沖航空戦時には単機索敵に飛んでいます。零戦の腹にはカバー付きのカメラ窓があり、K−8カメラ搭載でした。
P−斎藤
- 単座機の偵察の場合、航法はどうしたんでしょう。単発機の場合は天測まではしないと思いますが(帝国海軍の零式三座水偵や彩雲の搭乗員さえ天測の訓練は受けていない)、偏流測定は必要ですよね。
WT
- 基本的に航法は偵察員の仕事ですから、操縦のT少尉は推測航法に頼ったと言っていたように思います。比島の東方海面の索敵ですから、いくらか安心感はあったと思いますが、途中天候の悪化で偵察どころではなかったとのことです。
T少尉は元来彩雲の操縦員でしたから、戦闘機本来の訓練はあまり受けていなかったと聞きます.
K−8カメラは真下に向いていますから、一定高度を保って一航過でシャッターを切るそうで、特殊飛行ではないようです。
P−斎藤
- ↑2 米艦載機の場合、基本的にパイロットが航法をやるので問題ないようです。実際ミッドウェーの時は
マクラスキー少佐自らSBDを飛ばしつつ航法計算を行っています。
大塚好古
- > 米艦載機の場合、基本的にパイロットが航法をやる……
え、そうなんですか。何か特別な航法支援機器がついていたのでしょうか。それとも、基本的にはアメリカ軍のパイロットの方が全体的練度が高いのでしょうか。帝国海軍の場合、専任の偵察員がやっても航法ミスが生じるぐらいなのに、操縦桿を握りながら計算と図盤への書き込みを行うのはかなり大変な動作だと思われます。
WT
- >15 (ゴミレスかも)アメリカには今も使われる円盤型の航法演算器 E-6B がありました。計算尺を航空航法専用に仕立て直したものですが、当時日本には無かったのでしょうか?
ささき
- 帝国海軍にも計算尺のような航法盤は存在しました。ただ、海軍機の場合は白図に定規を当ててプロットしつつ飛ぶわけですから、単座機の場合は職人芸といえるのではないでしょうか。郵便機などでは単座で航法する場合もあったそうですが、定点を飛ぶのと機動部隊を索敵するのでは雲泥の差ですし。
WT
- 冷静に考えてみたら、索敵任務の単座機の場合、無電はどうやって暗号化したんでしょう?
WT
- 戦争後期であれば、戦闘機にも航法計算板が支給された(部隊によると思いますが)、と聞きます。実際に見せてもらいましたが、15cm*30cmぐらいの大きさでした。足にくくりつけて使うそうです。
川崎学