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二十試甲戦の母体はA7M3と同3−Jの一体どちらなのでしょうか? 兵装が同一な事や運用目的を考えるとM3ベースが正しい様におもえますが、出版物上の表現ではM3−Jを指している様にも受け取れます。 長く疑問に思っておりました、宜しくお願いします。 モーレツ@太郎 |
- 二〇試甲戦三菱案に関しては、予定重量がA7M3よりもかなり過大なため、同様重量増加に対処するため改設計されたA7M3−Jの主翼を流用する腹積もりだったのではないかと推測いたします。三菱が官側に示したというデーターでも「烈風改を基礎とした設計」として、烈風改(A7M3−J)と同じ翼面積で提案されております。
片
- 私は「新設計案」の翼幅16mに堀越さんの心意気を見ます。どちらにせよ各社の原案はどれも帯に短しタスキに長しで使い物にならないのではないでしょうか。結局キ94の転換生産になってしまいそうな雰囲気もあるにはあります。
BUN
- ご回答ありがとうございます。
なるほど主翼は確かにM3−J仕様なのですね、要求にはありませんがこれなら「両翼に25番吊って急降下」も出来そうです。
ところでM3−Jの主翼ですが、内翼部の増厚とは
「仮想翼中心側の断面が厚くなり内/外翼境界側の断面はそのままで、このため内翼厚のテーパーが増した」のでしょうか? それとも
「翼中心側だけでなく内/外翼境界側の断面も厚くなり(つまり内翼厚のテーパー比はそのまま)、そのため外翼厚のテーパーが増した」なのでしょうか?
(ここで言う翼厚のテーパーとは前面投影形でのそれです、わかりにくい説明ですみません)
また、二〇試甲戦の場合補助翼面積は元に戻されると見たほうが良いのでしょうか?
モーレツ@太郎
- 烈風改の主翼についてはたまたま手元にあるものを見ると「折曲リノ処ヨリ内方ヲ厚クスル」とありますので、外翼の外形には変化はなかったようです。
片
- ここまで的確な情報が戴けますとは...ありがとうございます。そうなりますと折れ曲がり部から内側のテーパーがきつくなると言うわけですね。
調子に乗りましてこの辺りの疑問を全て書かせていただきますと
・M2−J「烈風改」の提案/検討時期(M3−J「烈風改一」ではなく)
・ハ−四四−二一と同一三の強冷ファンの有無、海軍略号(NK11?)
・A8は陣風艦上機化の「A8K」?
・M3−Jの艦上機化が「陸風」?
この様になります。度重なる質問で恐縮ですがよろしくお願いします。
モーレツ@太郎
- 申し訳ありません。「A7M2−J」「烈風改一」については初耳です。
私が見た少ない資料の中では、略符号なしの「烈風改」という名でまず現れ、20年のどの時期からか「A7M3−J」という名前に変わったということ、これ以上のものは残念ながら存じ上げません。それでいて少し遅れて現れた「烈風性能向上型」と同じ「M3」なのはどうしたことかと首をひねっているくらいです。
あとは.....
「ハ−44」は「NK11」ですね。
ハ−44−21を積んだ「烈風改」のラフな見取り図には強制冷却ファンらしきものが描かれています。カウリングの内側にたくさんの空気取入口が口を開いていますし、これは強冷ファンなしに立案されたとはちょっと考えられません。
片
- たしかにA7M2よりも烈風改の内示の方が先なのですが、それはあくまで「烈風改」なのであって略符号は未定だったように思うのですが、何かご存知なのでしたらお教えいただけないでしょうか。
片
- >「A7M2−J」/「烈風改一」
AW誌別冊「WWII日本海軍機写真集」に転載されています「海軍飛行機略符合一覧表」(海軍航空本部/昭和20年4月11日)によりますと
・試製烈風改 A7M2−J 実験機(未)「ハ四三」二一型 試製烈風ヲ乙戦闘機ニ改造ノモノ
・試製烈風改一 A7M3−J 実験機(未)「ハ四三」一一(タ) 試製烈風ヲ乙戦闘機ニ改造ノモノ
となっていますが、私もこの機体の位置付けを把握しかねています。
>「烈風改」のラフな見取り図
その様なものがあるとは夢にも思いませんでした。いつの日にかご発表を期待しています。
>NK11
やはりファン付きでしたか、貴重なご情報ありがとうございます。ところでハ四四の一一型は「NK11−A」ですが、二一型や一三型の略号はどのように割り振られていますでしょうか?
モーレツ@太郎
- 烈風の改造型は後のM3計画とM3−Jとも烈風改と呼ばれています。烈風改には甲と乙があるとし、それぞれがM3とM3−Jを差していると受け取れる計画書類があります。また、略符号は順を追って考えれば十九年末以降に振られたものと考える他ありませんので、十九年春頃からの改造計画は当初略符号無しで進んでいたと思われます。
計画要求はまとまりつつあったものの、二〇試甲戦の仕様は終戦時にはまだ二転三転する形勢にありましたので、その形を云々する段階には達していません。また、陣風は既に放棄された計画ですのでその艦上機型の略符号を受けた新型機が造られることは無かったでしょう。紫電改ベースの新型戦闘機は陣風とは別に計画しなおされています。なお、零戦の後継機としては紫電改艦上機型が既に決定の方向にあり、発動機換装後の烈風は陸上戦闘機として採用されつつあったのが現実です。
BUN
- 訂正/補足です。
「ハ四三」一一型(タ) > 原文は○にタです。
この資料の内容だとM2−Jの烈風改は「MK9−B」搭載と言う事ですね。
モーレツ@太郎
- BUNさん
ご回答ありがとうございます。古い出版物で名前が登場しますA8Kとしての陣風やM3−J艦上機化の陸風については、二〇試甲戦としてではなくM1烈風絶望視の時期に艦戦として検討でもされたのかと思いました。
モーレツ@太郎
- ほんとうですね。こんなところに載ってたんですね。
この表にある2機種は、まだ詳細が煮詰まりきっていない「A7M3」「A7M3−J」を象徴的に(要するに「とりあえず」)表記しただけのように思えますが、また別の表があって、
十七試陸戦
翼面荷重 150瓩/米2
発動機 MK9B
最大速力 353粁米/時(ノットの誤記でしょう)
.....
設計会社 三菱
というものもあります。(光人社「海軍航空教範」に載っています)
烈風も閃電は別にちゃんと書いてありますので、それとは別のものです。が、「略符号一覧」のものと良く似ています。そして、翼面荷重や速度の値を見ればいかにも「理想を語っているだけ」という雰囲気が伝わって来るように思えます。
こうしたその時々の「予定」が、現実に進行している計画から離れて一人歩きして、いろいろな別の部署表の上に現れているのだと推察しますが、いかがでしょうか。
片
- 二〇試甲戦として計画されることになる20年の「次期戦闘機」の案の中には、4月以降陣風の再開も含まれていたように思います。あるいは、海軍部内から出た声なのかもしれません。しかし、5月23日の官民合同研究会ではどうやら提案されなかったようなので、なんらかのわけあってこれも消えていったのでしょう。
「真実一路」を拝見しますと、紫電改の艦戦化は20年1月には試作を中断する方向だったようです。これ以降、艦戦の計画はなかったのではないでしょうか。
片
- 烈風の改良計画は最終的にM3−J、M3計画という形にまとまるのですが、十九年春頃から検討された原案はMK9A、MK9B、NK9の三種の発動機と中間冷却機を導入する事を基本としたもので、排気タービンはP47等を参考に後から加えられたものです。烈風改造計画はまず、乙戦としての武装強化が始めに構想され、その次に高々度性能が求められ、高々度邀撃戦闘機としての性格を強めたという流れがあります。
M2−J、M3−Jの略符号とM2の略符号を持つ局地戦闘機烈風一一型との関係が複雑に見えるのはそうした試行錯誤の結果と言えるでしょう。基本的には略符号M2−Jとして呼ばれた時期があるということで良いと思います。(あるいはM3計画自体がM3として決定を見ないまま終戦を迎えているのかもしれません。M3計画と呼んでいるのはそうした意味です。)
追記
手持ちの資料を読み返してみましたら、堀越「零戦」などに紫電改性能向上案として登場する二〇試甲戦の計画方針は1.紫電改、烈風の部品の利用2.陣風の再検討3.新規計画との三つの案を含んでいます。「陣風の再検討」です。生き返る可能性があったんですね。訂正いたします。
BUN
- 訂正 「堀越「零戦」などに紫電改性能向上案として登場する」は書き間違いです。飛ばして読んでください。ごめんなさい。
BUN
- 「A7M2−J」「烈風改1」などの名称の出現の経緯についてはBUNさんのおっしゃられるのが納得できるように思います。
私が申し上げたかったのは、航本「海軍飛行機略符号一覧表」が必ずしも昭和20年4月当時の最新のデーターを載せてはいるとは限らない、ということです。
当時実施部隊に配置が始まっていることは別の資料で確認できる零戦六二型を「(未)」つまり横空未領収と位置付けていますし、零戦五三丙型には「三菱5604〜5853号」という製造番号が振られていますが、実際には5604号以降の機体は19年後期以降に「五二丙」として生産されています。ニュースとしてはかなり古い情報を編纂した一覧表のようなのです。
だから、「昭和20年4月11日」の日付で「試製烈風改 A7M2−J」「試製烈風改一 A7M3−J」が登場していたとしても、それがその当時現実に進行中だった計画とは限りません。これらはもっと古い計画の名残だと思った方がいいのではないかと思うのです。
片
- M2−J烈風改
なるほど、M3計画の前身と言う見方もあるのですね。
私は烈風乙戦化構想初期段階のMK9/MK10/NK9/NK11+フルカン駆動/タービン駆動での組み合わせが検討されていた時点に、まず機体にあまり大掛かりな改修を加えない方向で持ち上がった計画、なのではないかと捉えておりました。(後にM3−Jに計画移行となった)
陣風再検討
二〇試甲戦時にも計画が持ち上がっていたのですか、それは興味深いお話です。
>片さん
「1」でいただきました「烈風改(A7M3−J)と同じ翼面積で提案」これは、「零戦」などに収録されている「三菱/中島」の前段階のデータの事だったのですね。
実は以前にこのデータを根拠に二〇試甲戦をデッチ挙げた模型をスクラッチしたのですが、知人に「その諸元は協同開発でまとまる以前のものであるから改の主翼とは言い切れない」とされまして、それで悩んでいた訳です。知人の説は「射撃兵装と爆撃兵装がM3と同一で空戦性能がM2と同等以上であるのだからやはりベースはMだ」です。
(個人的には主翼だけ改仕様で補助翼のみ元の面積に戻る、としたいのですが...。)
もちろんBUNさんが仰っしゃるように2転3転のうえ白紙撤回の可能性大ですが、模型製作を楽しむうえでの「余裕のある考証」と言う事でご勘弁を。
この線で話を進めますと、中島の「協同」とは必然発動機まわりでしょうから、私はカウリングのアレンジを同じ中〜末期の中島製海軍機でファン付きの大馬力発動機を積んだ「連山」のものにならい若干のP47風味で仕上げましたが、片さんのお手元の資料の情報とは大きく食い違ってしまいますでしょうか? また発動機架の位置(機首の長さ)はM2に比べやはり変化しているのでしょうか?
三菱の十七試陸戦
MK9B搭載通常配置の陸戦が三菱でも持ち上がっていたとすると、良く知られている状況と言うのは、これが川西の担当に切り替わったものと言う理解で正しいのでしょうか?(それとも全くの別物?)
モーレツ@太郎
- 訂正。「三菱十七試陸戦」の発動機は、×MK9B ○NK9B で誉でした。失礼しました。しかしただの誉一一型ではなく、1750馬力/8500mとありますから高々度仕様の改造型という意味なのだと思います。最大速度も8000mでということになっています。これはやはり高高度戦闘機「烈風改」そのものの原案のようです。
片
- しかし、やはり原表が「MK9B」を「NK9B」と写し間違えたのではないかという気がしてきました(笑)。
片
- 片さん、「三菱十七試陸戦」は「川西十七試陸戦」の誤記でしょう。要目がほとんど一緒です。航空本部の試製飛行機一覧表によれば発動機はMK9B改です。実用機試製計画番号は十九試艦上戦闘機(二〇試甲戦への呼称変更は年度変りの四月をまたいで少し遅れた為)まで連続していますので「三菱」十七試陸戦の入り込む余地がありません。
BUN
- 烈風改の源流は18年の性能標準に見られる戦闘機の高々度化と見るべきでしょう。高々度戦の一番手は雷電排気タービン装備機ですが、烈風改、震電はMe163の失敗時に備えて開発が継続されたという側面があるのです。
モーレツ@太郎さんの二〇試甲戦の解釈は中々面白いと思いますが、片さんがおっしゃった烈風改のスケッチというのは恐らく私が差し上げた資料中のものと思いますので、一言。 あれは十九年中の烈風改についての素案で、二〇試甲戦の参考にはならないでしょう。P47を参考にしている点などコンセプトは興味深い鉛筆書きの略図です。
BUN
- >20 「川西」と言う方が説得力ありますね。
>21 図に関してはそのとおり、BUNさんにいただいたものです。ハ−44−21の強冷ファン装備の有無の参考だけのつもりです。
片
- お話のラフスケッチは二〇試甲戦のものではなかったのですね。(残念半分、デッチ挙げモデルの全否定を免れ安心半分と言ったところです)
しかし発動機選定段階の「ハ四四−二一+強冷ファン搭載P47方式レイアウト」版の烈風改とは、これもまたとても興味深い情報です。
十七試陸戦はやはり川西のもののようですね、モックアップ写真の発掘で否定された想像図版「陣風」の舶来GKを本機に見立てて組み上げてでもみましょうか...。
モーレツ@太郎