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2110  この前文庫版の紫電改の本を読んでいたら「一発あたり威力は大きいが弾が少なくて弾道性能の劣る20mm機銃よりも、威力は劣るが弾が多くて弾道性能のいい13mm機銃を多数装備して撃ちまくったほうが平均的か初心者パイロットにはこちらのほうが良かったと思える」と書いていました。戦闘機同士の空戦を前提として考えた場合これは日本戦闘機にとって望ましい武装といえるでしょうか?
 個人的な意見では(これは零戦ですが)坂井三郎氏はすぐに弾切れになる20mm機銃にくらべて7.7mmを八門で撃ちまくれるスピットファイアがうらやましいと言ったそうですが当の英軍パイロットには当っても敵機がおちないと不評だったそうです。独軍機より防弾性能のいい米軍機相手に13mmクラスの機銃ではなかなかつらいと思えるので20mmで正解だったように思えます。
ロックマン

  1. やっぱり射程距離は重要ですよねぇ。
    (^^;

  2.  そのアメリカ戦闘機のマニュアルに載っている「この範囲からタマを撃ちこまれても大丈夫だよの図」を見ると、13mm機銃弾に対する防御は保証の限りではない(たとえばP-51の場合、7.7mmについてしか前後防弾板の有効範囲を示していない)ようです。
     B-29ですら、迎撃に上がったパイロットの中には「12.7mmの集中弾で充分落とせる」としていた方がいる由。戦闘機になら13mmは充分有効だったでしょう。
    Schump

  3. 坂井三郎さんは敵機の後下方から接近して射撃するのが好きだったそうですから、七ミリ七でも発動機等に集中射撃できたのが理由ではないでしょうか。このように威力の問題さえ無くなれば七ミリ七は発射速度も初速もあり弾数も多い上に重量も軽い理想的な?武装とも言えます。
    ハンプデン

  4. 紫電改が長銃身高初速、ベルト給弾式で装弾数の多い20mm二号銃四型を4挺装備している理由は、零戦二一型の20mm一号銃がP-40の防弾タンクに全く着火することができなかったという衝撃的な戦訓によるものです。米軍機の採用した防弾タンクもさることながら戦争前半に海軍機が装備し始めた外装ゴム式防弾タンクでも13mmによる被弾に耐えることができ、末期に採用された内袋式防弾タンクでは13mmの連続被弾にも耐える性能があったのですから紫電改の兵装は必然とも言えるものでした。まして日本の戦闘機は米軍の重爆と対決していたのですからその兵装は一応理にかなった物だったと言えるでしょう。中口径銃の多数装備優位説は一見合理的に見えますがその多くは戦後に起源を持つ推論でしかない場合が多いようです。坂井氏の発言も戦後かなり経てからそれまでの自身の発言、見解を翻したのものですし、昭和17年頃までの状況を頭に描いて発言している様子も見られますので紫電改の頃の兵装について坂井氏の発言を引くのはあまり適切ではないような気がします。
    問題の零戦の20mmと7.7mmの兵装がどのような使い方を構想して決定されていたかについては・・・月末まで御待ちください。
    BUN

  5. そう言えば大戦末期の戦闘機は20mm機銃を載するようになったように感じます、F7F、F8F、コルセア、スピットファイヤ・・戦闘機ではないですが流星やスカイレーダーも20mm搭載でしたよね
    井口

  6. 当時の日本機の主な欠点はエンジン・プロペラ・機銃でした(他にもたくさんありますが)。20mmで正解だったのですが、防弾性能の優れたアメリカ軍機に対抗するには20mmしか選択の余地がなかったと思います。単に機銃を命中させる事のみを考えた場合は、戦争末期での日本軍パイロットのレベルでは13mm機銃の多数装備の方が良かったかもしれませんが、結果はご想像のとおりです。なおご存知のことと思いますが、小口径多数装備の連合軍戦闘機も末期または戦後のタイプは20mmを中心に移行したものが多かったですね。
    ズングリ雷電

  7. ありがとうございました。
    やはり私の想像通り紫電改はやはり20mm機銃で正解ということですね。
    ロックマン

  8. 20mm機銃はアメリカ軍機の装甲も撃ちぬくことが出来ます。もし仮に7.7mmを8門零戦に積んでいてもアメリカ軍機の装甲には多分効果は薄いと思います。特にB−17やB−24などは20mm機銃じゃないと落とせないと思います。装甲のほとんど無い日本軍機には7.7mm機銃でも落とせてもアメリカやイギリス機には12.7mmや20mmじゃないと落とせないと思うので20mmを積んで正解だと思います。
    ST

  9. 野原茂さんの本に載ってましたが、「アメリカは日独の軽装甲が相手だったので12.7mmで充分、対する日独は米軍機(特に重爆)相手に20mm以上の大口径機銃が必要だった」ということみたいです。ちなみにアメリカが戦後使用しているのは20mmヴァルカンですが、ヨーロッパではDEFAなど30mmの「大口径」機関砲を選択した機が多い、つまりアメリカの機載機銃は「タマ数を当てる」というコンセプトを貫いているということです。
    gogatee

  10. ↑上記の説で、米海軍機にコンベンショナルな20mm機銃四門の時代がかなり長い間存在する事をどう説明されますか?
    BUN

  11. 私の問題意識を整理すると、

    「20mmは対爆撃機用途」=導入の背景としては正しい。しかし大戦後期には対戦闘機用途が重視されていることを無視できない。
    「13mm級多銃主義」=13mm六挺装備は四挺装備機の武装強化の目的で実施されたもので、最初から明確なコンセプトがあった訳では無い。逆に重量問題に悩む例が多く見られる。一方20mm装備機にも六挺搭載構想を持つ機体が存在する。中口径多銃主義という概念そのものが存在したかどうか疑わしい。
    「13mm級機銃の評価」=その長射程は日本側も認識しており戦訓所見にその脅威が記録されている自他共に認める有効な兵器だったが、より大威力の20mmへの移行は米陸海軍ともに検討課題となっている。米軍に見られる13mm級の統一採用は後継機銃の開発状況と兵器生産、整備補給面から読むべき問題なのではないか。

    と、今の所、こんな具合に考えています。
    BUN

  12. ↑BUNさんの零戦の7.7oと20o装備についての回答を楽しみにしていましたが、チョット違う回答をされたので・・・。皆様ご存知のことと思いますが、零戦が20oを搭載することとなったのは、「12試艦戦計画要求書」の1年前に和田操中将が各国の機銃を調査し、目に止まったがスイス・エリコン社の20oであったことから始まります。航空本部で賛成され(当時の航空本部長は山本五十六)、浦賀社(後の大日本兵器)で本格的に生産が始まりましたが生産数が少なかったため、7.7oと20o装備になったと思います。では20oだけでよかったのではないかとの意見もあるかと思いますが、携行弾数の問題と、いままで使いなれた7.7oとの折衷案ではなかったのでしょうか。また計画書の段階でも、「第12航空隊からの所見」では20o不要、7.7o多数装備、または10mmないし13o程度に口径を上げることを要求しています。結局、上層部の英断で20o装備となったのですが、今一つスッキリしないので調査を続けます。
    ズングリ雷電

  13. 20mmへの着目はもうちょっと早い時期ですね。既に昭和十一年の飛行機計画要領書には戦闘機用20mm機銃についての記載がありますし、零戦もまた昭和十一年には既にその兵装の概略を明確にしています。昭和十二年秋の計画要求書はその最終仕様を示しています。
    12空の戦訓所見で計画が動揺した形跡は見当たりません。
    BUN


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