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2089 「名古屋造兵廠史/陸軍航空工廠史」(詳しい書名失念…)に、昭和十九年三月頃に立川航空工廠において
隼戦闘機50機に着艦フック取り付け工事を行ったとの記述があるのですが、これはどのような運用を想定
して実施されたのでしょうか。
同書には海軍の艦載機の不足を補うためとあるのですが、実際にそのような例があったのでしょうか。
Dai

  1. この本も罪な本で、大事な事をあまりにもアッサリと言いのけて、一方で戦史叢書よりも詳しく軍側の担当者名まで書き記されています。しかし事の真相はわかりません。茅場式の離発着装置との関係を指摘する解説も多くありますが、時期的に見て何とも言えません。この時期海軍に戦闘機を供給するならば、何も少数しか配備していない艦上機仕様にせず、単に陸上仕様のままで主力部隊である陸上基地航空隊用に引き渡せば十分なのですから海軍説は恐らく間違いではないかと思います。気長に調べましょう。
    BUN

  2. エアワールドJ&P3のp86にケ装置についての記述があります。「陸上機をカタパルトで発進させ着陸は短距離で済むように艦上機と同じ拘束鈎を胴体後部の下側に付けた。主翼下面にはカタパルトの台車に乗せるための腕金を設けた。山腹に穴を掘って格納庫とし秘密飛行場としてソ満国境地帯用の設備であった。キ43では試験のみで量産機には中島では実施しなかった。」装着図等は掲載されていませんのでどのような形状のものかは分かりません。最近発売になったファインモールドの隼に付属の解説書に着艦フックに触れた部分がありました。
     ケ装置とは戦前に萱場製作所で開発された陸上移動空母といえるもので、KX(陸上移動横索制動装置)、KY(陸上移動火薬式飛行機射出装置)、KZ(応急滑走路敷設器材)の三点で1セットになっていました。戦時中にKX・KY・KZはケ1・ケ2・ケ3と改称されました。詳しくは丸2000年1月号「発明王・萱場資郎と知られざる秘密航空兵器」を参照してください。
    OCTPAQ

  3. ↑それは今まで最も有力な説です。質問者が挙げている工廠史には戦史叢書等の記述と異なる部分があってどう見てもソースが異なります。模型の説明書もオーソドックスな説をとっていますが、質問された方が疑問に思っているのは「完成した」ということと「海軍向け」と書かれていることなのでしょう。
    隼が十九年春になって急に萱場式に対応しなければならない理由もよく解らないままなのですが。
    BUN

  4. 「海軍用」ではなく「洋上作戦用」に、十分な長さの滑走路が設営できない小島での運用を考えていたことを言っているのではないでしょうか。
    製作機数はわかりませんが、このような運用に適応できるだけの技量を持った搭乗員がこの当時にはほとんど無く、実戦配備はされていません。
    chuukichi

  5. 御返答ありがとうございます。同書には艦載機と書いてある事と、別の箇所に陸軍機への対潜爆弾架取り付けの事も載っていたので最初は丙型舟艇母船用かとも思ったのですが、海軍と書いてあることもあり、どうもわからなかったので質問した次第です。
     萱場式の方もまたあたってみようと思います。
    Dai


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