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2069 97式司偵には胴体横に日の丸がありませんでした。また、隼にもありませんでした(記憶)。しかし、同年代の海軍にはずべてついていますよね。
なぜ日の丸がなかったのでしょうか?
鉛直投げ上げ

  1. 簡単に言ってしまうと陸軍と海軍の規定の違いによるものです。
    (ここから記憶モード失礼)たしかドゥーリトルによる東京初空襲の後陸軍機の胴体にも日の丸が描かれるようになったような・・・。
    ”&”

  2. ↑じゃあ、いつから書かれ始めたのでしょうね?
    飛燕にはありましたよね・・・
    鉛直投げ上げ

  3. ↑ちゃんと回答読んでいただけました?
    詳しくは航空ファン1999年12月号を参照してもらうことにして,
    1942年の4月〜6月には胴体に日の丸を記入した機体が(実戦部隊では)出始めているようです。
    飛燕については,おっしゃっている機体が東京初空襲の際に迎撃に離陸した
    試作機のことでしたら,資料がないためちょっとわかりません。
    実戦機については飛燕の正式採用は昭和18年(1943年)ですから,時期的には矛盾しませんよね。
    ”&”

  4. ・・・と偉そうなことをいいつつも気になって調べてみたら,日中戦争に従軍した88偵や91戦は胴体に日の丸が。また指摘の通り97戦は胴体に日の丸はなく挙句の果てには日の丸のまったくない97司偵まで。どうなってるんだろう・・・。
    ”&”

  5. >日の丸の全くない97司偵
    それは太平洋戦争勃発前の秘密潜入偵察に使われた機体ではありませんか?さもなくば、完成したばかりでまだ軍に納入されていない機体かもしれません。軍用機に国籍マークを全く描かない事は原則としてあり得ないのですが。

    >飛燕の試作機
    世傑 No.17 によればキ61 1号(昭和16年12月), 2 号(昭和17年1月?)機初期の写真に日の丸はなく、「昭和17年春頃」から胴体にも日の丸を入れているようです。
    ささき

  6. >5 
    たぶん隠密偵察に従事していたんでしょうね・・・。
    写真をとった地名が明記されていなかったので(本土ではないようですが)。
    機体色は明度から判断して上下面とも明灰色ですから日の丸を見逃すことはないと思うんですが。
    ”&”

  7. 追伸 ささき様,フォローありがとうございます。
    ”&”

  8. 陸軍機の胴体日の丸は昭和十七年十月の「軍用機味方識別ニ関スル陸海軍中央協定」によって定められています。この規定によれば胴体日の丸は本来四角の白地に記入されるものであることや、非迷彩機の主翼前縁味方識別帯は赤または黄であることがわかります。「防空戦隊用」とされる白帯付き日の丸もこの規定の応用で定められており、防空任務の為にのみ白帯が付されたという解釈は正しくないようです。
    また、この規定自体、航空戦が本格化し、陸海軍の航空兵力の協同作戦が予想される状況下で制定されたもので、半年も前のドーリットル空襲のみが原因だとは言えないでしょう。
    BUN


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