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2051 日本軍戦闘機は加給機の性能が劣っていたために一万メートルの高空ではまともに戦えなかったといいますが具体的に加給機のどの部分がが劣っていたのでしょうか?(余談ですが加給機=ターボ加給機と誤解して「日本戦闘機には加給機が無かったのでB29に対抗できなかった」と誤解している人が多いようです)
のらねこ

  1. ああ、どうしてB-29と戦うのに1万メートルで戦わなければならないのでしょうか?
    1万メートルを飛んでくるB-29なんていませんが・・・
    当時、B-29と戦えない日本戦闘機はほとんどありません。

    さて、日本の「過給器」の性能そのものは、特に劣ってはいません。
    高高度対応過給器の仕様になっていなかっただけのことです。それは「性能が劣っている」という表現であらわすべきものではないと思います。
    翼車の段数と、用意されている回転速度(何段何速といわれるあれです)について、高高度仕様型(二段二速・二段三速)が間に合わなかった、ということであって、あったのだけれども劣っていたということはありません。
    既存の一段二速のスーパーチャージャーの性能はじゅうぶんなものがあります。

    むしろ、劣っていたと表現すべきなのはターボチャージャーのほうで、ターボ過給器が「なかった」という認識もまったくの誤りです。
    発動機番号に「ル」とついているタイプはターボつきであることを表し、それなりの数を作っています。
    ただ、機体側での装備法や装備位置に不慣れがあったり、金属材料の枯渇からタービン羽の耐久性に問題があったりで、なかなか所期の性能が出せませんでした。
    まなかじ

  2. 「ターボ過給機量産の最大の障碍は、良質な耐熱鋼を作れなかったからだった」という話を聞いた事がありますが、本当なんでしょうか?
    ごるぴゐ

  3. 「新司偵(たぶん)」と言う本に、開戦時から使われていた百式司偵II型に2段2速加給機が使用されていたと書いてあったと思うんですが、事実でしょうか?
    事実なら、戦闘機には使えなかったんでしょうか?
    あと、この本には、IV型の排気タービンは問題なく動いていたと書かれていたと思います。
    その理由として、雷電等と異なりタービンをエンジンから離れた場所(ナセル後端)に配置したため、配管を通るうちに排気ガスの温度が低下したためだろうと推測しています。
    P-47もエンジンから離れた場所にタービンを置いていますし、「タービンの耐熱性に問題があるならガスの温度を下げればいいのか」と納得したんですが、本当のところはどうだったんでしょうか?
    acorn

  4. 2< 私が学生の頃(30年数年前)、金属材料学の教授が排気ガス駆動過給器の話に関連して資料を配りました。曰く「諸君に今、配ったのは、耐熱鋼のアメリカ工業規格です。戦時中はもちろん、現在も日本の工業規格にはこれに相当するものが制定されていません。」
     耐熱鋼の分野では、戦中戦後とも米国に後れをとっており、これを解消したのは自動車用エキゾーストガス・ターボ・スーパーチャージャーが大量生産された頃だと解釈しています。
    gsz

  5. 「ターボ過給器が造れなかったのは良質な耐熱鋼が無かった為」
    これはそうとも言えません。日本が耐熱鋼に使用した合金はB−17に使われているものと成分的には殆ど変わりがありません。開戦前の排気タービンの材質にはそれなりに優秀なものが使用されていたと言って良いでしょう。問題はベースにした見本そのものが持っていた欠点と戦争後半にニッケルを使用できなくなったことによる代用鋼の性能でした。

    「新司偵二型は二段二速・・」
    これは間違い。海軍が見切りをつけた一段二速過給器付き瑞星の陸軍版ハ102を搭載した機体です。栄二〇型と並んで日本の二速過給器付き発動機の嚆矢と言えます。

    「新司偵の排気タービンが雷電よりも好調・・・・」
    これは明らかに開発時期の問題です。雷電の排気タービンは時期が早いのです。しかし二十年七月の「キー46四型 仮取扱説明法」の冒頭にはハッキリと「材料その他色々問題があって調子が今ひとつである」という内容が書かれています。
    また、排気の冷却について着目されたのは御見事と思います。まさにそのことについて触れた文言がありますが、それ故好結果であったとは書かれていません。排気温度についても最大で750度、希望700度とされていますので実はあんまり効果が上がっていなかったのではないかと想像しています。
    BUN

  6.  過給機のベアリングがダメと「雷撃隊出動セヨ」にあるんですが・・・ここでも耐久性と熱の問題が言われてます。

     あとターボチャージャーとターボブースターって同じものですよね?
     本によってこの二つが使われているようで気になりまして・・・

    Take

  7. 「耐熱鋼の規格は存在しなかった・・・」

     航空発動機用の耐熱鋼の研究は大正時代から横廠で開始されています。開戦時にはその国内規格も定められ、イ301他何種もの耐熱合金の規格が存在します。これらは世界各国で使用されたものと大体同じような成分の合金です。
     戦後の自動車産業では耐熱合金はその加工の困難さから来るコスト高で使用が躊躇されていました。こうした切削加工が難しい材質を加工できるセラミックやコーティングを施した超硬等の切削工具の進歩が乗用車用のターボや4バルブエンジンを実現したとも言えるはずです。
    BUN

  8. 2段加給機は、戦前から研究はありましたが、中間冷却機のスペースと重量が最後までつきまといました。研究の比較的早い段階で、軽量小型の日本機には不向きとの意見が多く、開発はほとんど中断されたようです。メーカー側も人手が不足していたようですし、熱意も不足していたのが実情では。
    オンブー

  9. 先日石川島航空工業で排気タービンの設計をされていた方を訪ねましたが「中間冷却器というものについて確固たる方針が無かった」とのお話でした。しかし機械式二段過給器の開発が後回しに見えるのは1930年代末から二段過給器として排気タービンの開発が第一優先で進められていた為と解釈するのが妥当なようです。この時期、三菱、石川島、日立は排気タービンに力を注ぎ、機械式過給器の研究に専念していたのは中島のみです。
    BUN

  10. 今日たまたま丸メカを眺めていたのですが、百式司偵IV型の試作1号機の試験飛行中に問題となった点について面白い箇条書きがありました。
    曰く@排気タービン→エンジン間の昇圧管の漏洩Aエンジン→排気タービン間の排気管の漏洩B高高度での油圧低下・油温過昇C高高度での点火系の発火不足D高高度での燃圧低下E高高度でのエンジン冷却の問題Fタービン軸受けの焼きつきGタービン回転数調速機の必要性 等など。
    結局、排気タービン自体の問題は軸受けの焼きつき位のもので、それ以外は基本的に日本のエンジン及び各種儀装に潜在していた問題が、過酷な高高度でより明らかになったことに尽きるとも思えます(軸受焼損も日本機の宿痾の一つですし)。排気タービン自体の技術不足は大した問題ではなかったか、少なくも昭和19年では解決できていたのではないでしょうか、と愚考します。
    Revi

  11. 鋭い考察だと思います。私もほぼその通りだと考えます。「仮取扱法」に記載されている内容もほぼそのあたりを網羅しています(書いた人物が一緒なのでは?とも思ってしまいますね)。良く頑張ったとは思いますが、何とも哀しいことです。
    BUN

  12. 「幻のつばさ」p110に、過給器よりもむしろそれの艤装が大問題であったことが書かれていますね…
    ごるぴゐ

  13. 米国は 1927 年のカーチス P-5 以来 15 年近くにわたる航空用排気タービンの経験を積んでいましたが、それでも 1000hp 級排気タービン装備機はカーチス YP-37(1937)、ベル XP-39(1939)、リパブリック P-43(1939) などパッとせず、唯一の成功作 P-38 は大柄な双発機ゆえにタービン回りの擬装に余裕が持てたことが成功の一因でしたが、それでも吸排気系に問題があって J 型以降ほぼ別物に再設計しています。P-47(及び発展型 XP-72) 以外の単発タービン装備機には試作機や計画機ばかりでロクなのがありません。B-17/B-24 と異なり無理にナセル内にタービンを内蔵した B-29 はエンジン過熱に苦しめられていますし、米国のタービン技術も完璧というには程遠い状態だったことが伺えます。15年の経験をもつはずの米国でこの体たらくですから、中間冷却器なし後づけタービンの雷電や彩雲が不調で実用に耐えなかったのも当然だったと言えるのではないでしょうか。
    ささき


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