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日本軍戦闘機は加給機の性能が劣っていたために一万メートルの高空ではまともに戦えなかったといいますが具体的に加給機のどの部分がが劣っていたのでしょうか?(余談ですが加給機=ターボ加給機と誤解して「日本戦闘機には加給機が無かったのでB29に対抗できなかった」と誤解している人が多いようです) のらねこ |
1万メートルを飛んでくるB-29なんていませんが・・・
当時、B-29と戦えない日本戦闘機はほとんどありません。
さて、日本の「過給器」の性能そのものは、特に劣ってはいません。
高高度対応過給器の仕様になっていなかっただけのことです。それは「性能が劣っている」という表現であらわすべきものではないと思います。
翼車の段数と、用意されている回転速度(何段何速といわれるあれです)について、高高度仕様型(二段二速・二段三速)が間に合わなかった、ということであって、あったのだけれども劣っていたということはありません。
既存の一段二速のスーパーチャージャーの性能はじゅうぶんなものがあります。
むしろ、劣っていたと表現すべきなのはターボチャージャーのほうで、ターボ過給器が「なかった」という認識もまったくの誤りです。
発動機番号に「ル」とついているタイプはターボつきであることを表し、それなりの数を作っています。
ただ、機体側での装備法や装備位置に不慣れがあったり、金属材料の枯渇からタービン羽の耐久性に問題があったりで、なかなか所期の性能が出せませんでした。
まなかじ
ごるぴゐ
事実なら、戦闘機には使えなかったんでしょうか?
あと、この本には、IV型の排気タービンは問題なく動いていたと書かれていたと思います。
その理由として、雷電等と異なりタービンをエンジンから離れた場所(ナセル後端)に配置したため、配管を通るうちに排気ガスの温度が低下したためだろうと推測しています。
P-47もエンジンから離れた場所にタービンを置いていますし、「タービンの耐熱性に問題があるならガスの温度を下げればいいのか」と納得したんですが、本当のところはどうだったんでしょうか?
acorn
耐熱鋼の分野では、戦中戦後とも米国に後れをとっており、これを解消したのは自動車用エキゾーストガス・ターボ・スーパーチャージャーが大量生産された頃だと解釈しています。
gsz
これはそうとも言えません。日本が耐熱鋼に使用した合金はB−17に使われているものと成分的には殆ど変わりがありません。開戦前の排気タービンの材質にはそれなりに優秀なものが使用されていたと言って良いでしょう。問題はベースにした見本そのものが持っていた欠点と戦争後半にニッケルを使用できなくなったことによる代用鋼の性能でした。
「新司偵二型は二段二速・・」
これは間違い。海軍が見切りをつけた一段二速過給器付き瑞星の陸軍版ハ102を搭載した機体です。栄二〇型と並んで日本の二速過給器付き発動機の嚆矢と言えます。
「新司偵の排気タービンが雷電よりも好調・・・・」
これは明らかに開発時期の問題です。雷電の排気タービンは時期が早いのです。しかし二十年七月の「キー46四型 仮取扱説明法」の冒頭にはハッキリと「材料その他色々問題があって調子が今ひとつである」という内容が書かれています。
また、排気の冷却について着目されたのは御見事と思います。まさにそのことについて触れた文言がありますが、それ故好結果であったとは書かれていません。排気温度についても最大で750度、希望700度とされていますので実はあんまり効果が上がっていなかったのではないかと想像しています。
BUN
あとターボチャージャーとターボブースターって同じものですよね?
本によってこの二つが使われているようで気になりまして・・・
Take
航空発動機用の耐熱鋼の研究は大正時代から横廠で開始されています。開戦時にはその国内規格も定められ、イ301他何種もの耐熱合金の規格が存在します。これらは世界各国で使用されたものと大体同じような成分の合金です。
戦後の自動車産業では耐熱合金はその加工の困難さから来るコスト高で使用が躊躇されていました。こうした切削加工が難しい材質を加工できるセラミックやコーティングを施した超硬等の切削工具の進歩が乗用車用のターボや4バルブエンジンを実現したとも言えるはずです。
BUN
オンブー
BUN
曰く@排気タービン→エンジン間の昇圧管の漏洩Aエンジン→排気タービン間の排気管の漏洩B高高度での油圧低下・油温過昇C高高度での点火系の発火不足D高高度での燃圧低下E高高度でのエンジン冷却の問題Fタービン軸受けの焼きつきGタービン回転数調速機の必要性 等など。
結局、排気タービン自体の問題は軸受けの焼きつき位のもので、それ以外は基本的に日本のエンジン及び各種儀装に潜在していた問題が、過酷な高高度でより明らかになったことに尽きるとも思えます(軸受焼損も日本機の宿痾の一つですし)。排気タービン自体の技術不足は大した問題ではなかったか、少なくも昭和19年では解決できていたのではないでしょうか、と愚考します。
Revi
BUN
ごるぴゐ
ささき