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2010 |
戦後、ものの例えとして、「片道燃料の特攻機」というような用語が使用されることがありますが、本当に特攻機には、片道分の燃料(敵が存在すると思われる場所までしか飛べない分の燃料)しか積んでいなかったのでしょうか? 小生はやはり、天候等の関係で敵を発見できなかった場合に、一々機体と搭乗員を失なっていてはあまりにも無駄なので、よっぽど燃料不足とかの事情がない限りは、特攻機にもやはり戻って来れるだけの燃料を積んで行くのが普通だったのではないかと思うのですが。 海機55期
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- 特攻隊が帰ってきてしまっては士気の低下につながるのでそれはなかったと思います。
出撃していった時点でバイバイだったのでは。
侍
- 特攻機は最初の出撃からして会敵できず帰還していますし、その後も会敵せずに帰還した機は沢山存在します。「片道燃料」を実行していたらいかに特攻隊であろうとも士気の維持は不可能だったでしょう。
BUN
- 大和も同じですね。よく片道分の燃料とか言われますけど実際は往復しても十分お釣がくる量だったようですし。
taka
- 零戦は燃料を満タンにすると飛べないから片道燃料なんであって
帰ってくるなということではなかったんだ
とどっか読んだような気がいたします
(ヨーグモス)
- 零戦は五〇番に爆装を強化しても正規全備の燃料で離陸できる余裕があるんですよ。洋上出撃で二五番程度の爆装なら燃料を減らすことなどまず考えられません。
BUN
- 神雷部隊では五十番装備の零戦を特攻に運用していますが、確かに燃料云々という記述は見たことがありませんね。
奈良の人
- 沖縄作戦中九九艦爆で特別攻撃隊に参加された方の著作には「燃料は満載です」と整備員がわざわざふたを開けて見せてくれた、とあります。ただ、爆弾も満載で、250kg×1+60kg×4だったとあります。
川崎学
- 質問 2018 の回答に書きました三浦忠夫中尉機の場合は、「燃料約4時間分、攻撃失敗時の帰還飛行場は浜松とする。」「出発後2時間近くになり、あと15分ぐらいで会合点に到達する筈」とありますから、戻れるだけの燃料は積んでいたのでしょう。現に燃料ギリギリで帰還されています。
ただ 九五式練が、爆弾だいて増タン付けては、ちょと待ってくれと思いましたが、戦死場所が、下田南方洋上のようでした。(第398神鷲隊 s20.8.13)
roht
- ↑第398神鷲隊 木田 続 曹長
小松 重英 伍長
roht
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