2003 |
故・坂井三郎氏は、戦後にP−51に乗る機会を得て、その高性能に驚嘆したといいますが、具体的にいつどこでどのような経緯で乗ることが出来たのでしょうか。 絵塗師 |
BUN
ささき
(^^;
(N)
BUN
むこうでも元零戦のりが見事にアクロバットをしたと話題になったそうです。
坂井氏もさすがにGには参ったようで「胃袋が下にさがるような思いをした」と感想が載っていました。
という事は免許を持っているんでしょうね。
この本買おうか迷ったのですが、古本を持って歩く状態に無かったのであきらめました。
でも、氏の著書にもでてくる戦闘機乗りたちのスナップが満載でちょっと惜しいことをしたかな?
Jabo
アメリカの免許のクラス分けについてはきっとささきさんが良く御存知の事と思います
3号電探
3号電探
また、P-51 に乗ったという坂井氏の記述は「零戦の真実」だったと思いますが、私が記憶している限り「自分で操縦した」とも「ソロで飛ばした」とも書いていなかったと思います。複操縦装置のない簡易複座型の P-51 の後席に乗り、オーナーの操縦で特殊飛行を体験しただけかも知れません。念のため「Saburo Sakai and P-51」でネット検索してみましたが、それらしい記述には出会いませんでしたけど。
ささき
二輪免許の実技試験であっけなく落とされてました(w
日本海軍のエースパイロットも免許無しでは飛ばさせてくれないんですねぇ。
林檎
この手の機体についてはあまり詳しくないのですが、ささきさんのおっしゃるとおりウルトラライトプレーンではなく、むこうでよくあるキットとして販売されているアクロバット機だと思います。
低翼単葉、単座、固定脚、尾輪式、エンジンは小型機に良くある水平対向?空冷式単発というところです。
なんかつまらない事書いて混乱させてますね。すいません。
やはり免許は持っていたんではないでしょうか。おおらかな戦前ならともかく、いくら航空界の有名人とはいえ80年代に無免許の人間に操縦はさせないでしょう。P-51の件については知りませんが。
Jabo
坂井氏がアクロバット飛行を行なったのなら、その機体はウルトラライトではなくエクスペリメンタルのアクロ機だった筈ですが、特にソロとは書いていなかったと思いますので、同乗飛行だったのではないでしょうか?
私やささきさんが訓練している空港にはエビエーションアートの小さな店があり(現在はサンタバーバラに移転してしまいましたが)、1992年には坂井氏が来店して九九艦爆のペラを識別したというエピソードがありました。店の主がその時の事をよく覚えていて話を聞いたのですが、頻繁に渡米していた坂井氏が、アメリカのどこでP−51に乗ったのかまでは定かではなく、南に30マイル足をのばしたホリスター空港で400ドル払ったのかもしれないね等と話していました。
現実的に、オーナーにならない限りはソロでP−51を飛ばす事は不可能ですが、後部の補助座席でアクロバット飛行を体験するだけでしたら、料金さえ払えば誰にでも可能です。
自分で操縦桿を握りたければ、フロリダまで複座マスタングの教習を受けに行くしかなく、その場合は機体・教習費・ガソリン代込みで1時間2000ドルになります。ただし、訓練を受けるにあたっては何の資格も免許も必要ありませんので、その気になりさえすれば、誰にでも訓練という名目でマスタングの操縦桿を握る事が可能です。
MITTU
http://home.earthlink.net/~kkawaha/
MITTU
NX