1997 |
戦後のドラマ等で、特攻隊の出撃シーンを見ると、主人公は必ず暗緑色塗装の爆装零戦に搭乗して発進して行きます。 ほとんどの国民は航空特攻作戦を、この映画のシーンのようにイメージしていると思いますが、重大な疑問があります。 写真には、いっさい残っていないと思いますが、複葉機、水上機、飛行船(疑問ですが)による特攻があったこと、紫電改や雷電などが特攻に使用されなかった事などから考えると、実際に特攻隊員が搭乗した機体のほとんどは、使い古した旧式機や練習機、故障機など、航空隊にとって不要に近い機体だったのではないかと思うのですが、真実はどうなのでしょうか。 みや |
(フィリピン戦における、最初の神風特別攻撃隊については、間違いなく最高に整備された機体が使用されたはずだと思いますが・・・・)
質問者
特攻に使用された機材については総数が多く、実施期間も長いので一言では述べられませんが、大雑把な話としては、特攻は基本的には新造された専用機で実施するはずのものでした。新造の機材とは航空特攻なら桜花、水中特攻なら回天等を指します。
しかし有名な敷島隊の零戦特攻は応急的に使用されたもので、みやさんの御想像とは逆に他隊の中古機から機材を抽出しています。これは通常装備の零戦による体当たりが当初の特攻攻撃構想に無く、機材が用意されていなかったことによります。このように特攻機に旧式機や、程度の悪い機材が使用される事例にはそれなりの理由と背景が存在します。
九七式一号艦攻等の旧式機材が投入されたのは沖縄特攻初期に搭乗員の錬成を中止して練習航空隊がそのまま特攻に転用された為で、自隊の機材の間に合わない隊員達の多くは新造の零戦で出撃しています。たとえば沖縄特攻で、ある航空隊のある戦闘飛行隊が桁外れに多数の特攻出撃を記録していますが、これは自隊の機材が尽きた練習航空隊員がそこへ編入され、新造の零戦を受け取って出撃した為に生じています。
そしてごく少数ですが、複葉の九四式水偵、九三中練等も出撃していますが、前者は水偵隊の特攻転用により生じ、後者は機材の枯渇と実験的意味合いを持っての出撃と考えられます。
海軍の特攻は原則としては新造機で行われるもので、新造機の供給も多数行われたということです。紫電には特攻の実績がありませんが、紫電特攻機は航空本部で計画されていますし、最新鋭の流星も特攻機として出撃しています。雷電、紫電といった局戦が使用されなかったのは主に航続距離の問題だったと考えられます。紫電改は三四三空の大消耗を補う為だけで生産が追いつかない状況でしたので使いたくとも使えない状態だったと言えます。
陸軍も概ね海軍と同様で、特攻には海軍と同じような理由で旧式機材も投入されていますが、最新鋭の四式戦疾風もまた陸軍特攻の中心機材でした。
特攻作戦は主作戦として組織的に実施されたものですので、新造機が投入されるのは当然の事で、後期の作戦に旧式機材や練習機が見られるのは作戦そのものの規模の拡大と機材の枯渇による、とまとめて良いと思います。
BUN
しかし、四式戦が「陸軍特攻の中心機材だった」という点については、疑問があります。本当でしょうか?陸軍にとっては、同じ誉を搭載している紫電改にも相当する機材だと思うのですが、本土決戦を前に、これを本当に特攻の中心機材にしたのでしょうか?とすれば誉の不調から、本来の性能を発揮できなかった四式戦を見限って特攻作戦に投入したのではないかと邪推してしまうのですが?
みや
また海軍の紫電改、雷電が特攻機に使用されなかったのは、使用部隊がすくなかったことや、雷電の操縦が若年搭乗員には操縦がむずかしかったことなどが関係しているのではないでしょうか?
源五郎
資料を十分調べて見ます。貴重な御時間をありがとうございました。
みや
他人の褌で相撲取るような私のキコですが、そのHPも熱心に研究されている方が多いHPですので、疾風による特攻は実在した傍証となると思われます。
SAW
(爆装の一式戦は有名な写真がありますが)
爆装疾風の写真は現存するのでしょうか、それとも残っていないのでしょうか?
みや
『写真集 カミカゼ 陸・海軍特別攻撃隊 下』 P33 に載っています。
上記の写真集 5日前(2001/07/19) 文華堂さんで、上下で、13,500円 で出ていました。今なら多分、立ち読み(立ち見?)も可能と思います。
roht
BUN
BUN