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1981 トラックの富士川山丸に96式艦戦がのせられたまま沈んでいるというのですが、
96艦戦の部隊がトラックに配備されていたのでしょうか?
飛行機狂

  1. 富士川山丸が何年何月に沈んだのか資料を持ち合わせていませんので、考証はできませんが、開戦時内南洋に配備されていた千歳航空隊は96陸攻と96艦戦の混成で、マーシャル、トラックを基地にしていたはずです。
     ただし、17年1月の戦闘機隊1個分隊のラバウル進出までは主にマーシャル(ルオット、タロア)の防空が主任務ではなかったでしょうか。
     また、台南空の河合四郎大尉を長とする96艦戦隊が開戦時ペリリューにありましたが、4空戦闘機隊編成時に編入されているはずで、トラックを経由した可能性もあります。
    土屋二飛曹

  2.  海軍所属の航空機運搬船、「富士川丸」が沈没したのは、昭和19年2月17日のトラック大空襲のときです。この富士川丸の船倉に、多数のA6Mに混じって一機のA5M(おそらく九六式四号艦戦)があり、今でも見られます。開戦時ならともかく、19年2月の時点でA5Mが前線に輸送されていたのは意外です。

     この富士川丸の積み荷の飛行機ですが、トラックが終着点だったのか、それとも別の目的地があったのか手元の資料からは分かりません。トラックではなく、南東方面あたりの前線に戦闘機を輸送する途中立ち寄り撃沈されたということもあり得るのではないでしょうか。前線で修理不能の機を本土に積んで還る途中だった、というのは考えにくいと思いますが。どなたか、富士川丸の予定航路について、ご存知ありませんでしょうか?
    Sampon


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