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1970 昭和20年3月10日の午前零時過ぎから開始された、B29の東京空襲では、隅田川をはさんだ住宅密集地域が爆撃目標とされ、大量の小型ナパーム弾の投下によって、わずか2時間半程の間に10万人以上の都民が亡くなりました。
なぜ日本の陸海軍航空隊は、この攻撃をわずかでも妨害することができなかったのでしょうか?
みや

  1. 最近読んだ本の中では、このとき、ほとんどのB29は、防御用の機関銃をすべて取り外しており、爆撃高度はわずか1500〜2500m程度、少数機ずつが順次東京上空に進入しては、入れ替ながら延々と2時間半にわたって爆撃していったのですが、少数機が対空砲火によって撃墜されたほかには、B29側にはほとんど損失がなかったと記載されていました。
    質問者

  2.  ええと、当夜のB29の損失は14機ですから、決して少ない数ではありません。というか、一回の爆撃行での損失としては一番多いのでは?

     それだけの戦果を挙げ得た原因はB29の「低空飛行」にあり、二式複戦でも捕捉は容易だったといわれ、実際、我が方の見積もりでは撃墜15機、撃破50機で、殆ど米軍の報告と一致しています。 

     ただ、航空機による迎撃は陸軍が主体で、海軍機が殆ど出撃しなかったというのも残念なところで(戦闘空域が錯誤するのを防いだようですが)、三〇二空の夜戦がもっと迎撃に参加していれば、戦果はかなり増えたでしょう。
    tackow

  3. この日、レーダーが強風のために不調で、やや後手には回ったものの陸軍の第十飛行師団は全力展開の命令を出しており、23戦隊、53戦隊、70戦隊が一式戦と二式複戦、二式単戦の混成で延べ42機を上げ、海軍の302空も月光を4機上げています。
    この作戦では米軍は英軍のボマーストリーム戦術にならって侵入してきたので、編隊は組んでいませんし、低空でもありましたから戦闘機隊も高射砲も思う存分戦えたのですが、後半は火災の煙による視界不良と熱による乱気流で迎撃が困難となりました。
    陸軍は全力を挙げましたが夜間飛行ができる乗員が不足していてまとまった機数を出せず、海軍はといえば302空の夜間邀撃はこのときが初陣のようなものだったために積極性を欠いたもののようです。
    高射砲にドイツのヴュルツブルクのような測的レーダーがあれば、もっとやれた戦いだったでしょう。
    このときの日本側の戦果判定は米軍の実際の損害とほとんど食い違いがなく、そうしたことからも戦闘そのものは順調だったことが窺えます。
    問題は量の不足だったわけです。
    まなかじ

  4. 米軍側の報告によれば、喪失14機の内訳は次のとおり。

    ・敵機の邀撃によるもの   0
    ・敵の対空砲火によるもの  2
    ・事故及び機械的故障    1(行方不明)
    ・不時着          4
    ・その他 原因不明     7(うち1機行方不明)

    ・敵機の射撃により破損したB29は0。
    ・対空砲火によって2機を喪失、42機が破損。
    ・無線傍受によれば、日本側は事前に本作戦を察知していた模様。


  5. 対して日本側の報告。

    ・五三戦隊(二式複戦)と七〇戦隊(二式単戦)による撃墜15機、撃破50機。
    ・高射砲隊による撃墜 15機。
    ・三〇二空(月光)による撃墜 1機。

    それからちなみに、5月24日(山の手空襲)での日本側戦果による撃墜47、米軍側報告では喪失数26。これが1回の空襲でのB29実喪失数の最大のものであるようです。


  6.  あぁ、そうだ、それまでで最大の損失とするべきでした(前年の八幡と一緒ですね)、、 

     それと、他の任務でも報告されている「原因不明」の損失理由ですが、迎撃機によるものだと思うんですが?

     この日はプロペラ先端に「セントエルモの火」が発生し易い条件であったようで、それにより米国側も我が迎撃機の接近を多数視認しているようですから、迎撃機からの被弾がゼロというのは判然としないものがあります。

     斜銃による被弾を高射砲と違えた可能性はないのでしょうか?
    tackow

  7. 米軍側の報告では、迎撃機は延べ四十数機が述べ七十回程攻撃をかけて来た、と記しているようです。二式複戦の37ミリ砲らしい射撃などというのも報告されています。それでいて、被弾ゼロとは何だ、とは言いたくもなりますよね。
    また、対空砲火は初期に華々しく後に行く程低調になったとありまして、この辺からするとこれは純然たる対空砲火だったような感じもします。


  8. >5 失礼。月光の戦果は「撃破」でした。


  9. 夜間飛行って難しいんですか?>ささきさん

    (^^;

  10. >9.
    宅地と街灯の光にあふれる大都会サンノゼで飛んでいる限り、夜間だからと言って特に難しくは感じません。遠距離の空港など昼間より標定しやすいくらいです(回転灯:ビーコンが回っているので)。灯火管制下で真っ暗な飛行場への着陸とか、翼灯を消して分散侵入する敵機を邀撃するのは別次元の話だと思いますが…。無灯火でも夜間離着陸は数さえこなせば技量は上達するものの、目視のみに頼る夜間邀撃には単に訓練だけでは得られない独自のコツと生来の適性のようなものがあったようです。
    ささき

  11. 空襲を受けた地域では、サーチライト施設も、ほとんど焼失したものと思われますが、地上からは、大火災の照り返しを受けて、低高度を飛行するB29の機体が真っ赤に染まってはっきり見えたそうです。B29は相互に空中衝突を避けるために飛行灯も点灯しており、迎撃機が低高度から上空を見上げるように飛行すれば、たとえレーダーがなくても、目視で補足できたのではないかと思うのですが、迎撃による撃墜が0という米軍の発表が不思議です。
    みや

  12. 戦記もので読む限り日本側の迎撃機は照射をあてに射撃を行っていたようなのですが、米側のものを読むと低高度のため角速度が大きくなってサーチライトがうまく追従出来なかったようです。
    それから、火災がひどくなると、乱気流に立ちのぼる煙が相まって迎撃戦闘にも差し支えていったようにも見受けられます。


  13. 様々な情報を教えていただきありがとうございました。
    日本の航空隊も全力で迎撃したことがわかり、わずかながら安堵しました。
    最後に1点だけ、この3月10日の空襲におけるB29の損失機数に関するアメリカ側の発表には、米軍側の意図的な操作が加えられていたのではないかと思います。
    それは、米国から多数の新聞記者等を招き、わざわざ取材専用のB29を何機も東京上空に送り込んでいたこと、また、ほとんどのB29が全ての防御用の機関銃を取り外していたことに関連すると思います。
    大量の焼夷弾を少しでも多く積むためとはいえ、このような無防備な状態での出撃を命令し、たとえ1機でも迎撃機の銃撃を受けて撃墜されたとしたら、アメリカのマスコミはこの作戦について、どのような報道をしたでしょうか。
    対空砲火による損失は許されても(機銃の搭載の有無とは関係ない)、たとえどのような損失があっても、迎撃機による損害は0と発表しなければならなかったのではないでしょうか。
    日本側の戦果発表も過大かと思いますが、さりとて、全くの虚構だったとも思えません。いずれどこかで新たな資料が発見され事実が明らかになることを期待しています。
    みや

  14.  今更ながら、同夜の爆撃の作戦任務報告書を読んだのですが、それによれば敵機の攻撃方向は上方=7回、水平=24回、下方=9回となっており、また「敵の戦法」欄では暗夜の為に一般的な攻撃方法については報告すべき点はあまりない。とされています。
     これから推察するに屠龍の行った斜銃による攻撃→撃墜破はあちら側では見過ごされていた、とも感じられます。
     例えば、314航空団の報告では「2機が対空砲火で失われ、6機が不明の原因で失われた。搭乗員の報告では対空砲火でおそらく7機が失われた」とされており、この「おそらく」の内の何機かが迎撃機(おそらく屠龍)のものとも推定されます(五三戦隊長の回想では、戦闘機の攻撃時には高射砲の射撃が止んだ、ともいわれるので。)。

     「原因不明の損失」ですが、すべての機に注釈として「連絡なし、行方不明」と書かれています。この、原因不明の損失はこの夜に限ったことではなく、損失原因のかなりを占めるのですが。やはり、対空砲火と迎撃によるものと考えるのが自然だと思います。
    tackow

  15. やはりそうですか。
    屠竜の斜め銃で後下方から照準すれば、地上の大火によって照らし出された低高度のB29は十分に射撃可能だったと思います。(それも至近距離から)
    この日(3月10日)ほとんどのB29は、燃料節約のために編隊を組まず、離陸した機から順次日本に向かったようです。したがって、東京上空には、偶然に僚機と同伴できた者を除き、ほとんどの機体が同一ルートから、単機で進入したものと思われます。昼間密集編隊で爆撃する際には、僚機の被墜を目撃し、その原因が対空砲火であったのか、戦闘機であったのかを報告してくれる仲間がいるのですが、
    この日は、米軍側の目撃者がほとんどいなかったということも理由なのでしょう。
    みや


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