1950 |
キ43・一式戦闘機について質問があります。 本を読んでいると、「大戦後半はその弱武装がネックになり、 武装強化しようとしたが、構造上の問題で翼内に武器が積め なかった」 とあるのですが、具体的にどういう問題があったのでしょうか? また、重量増加の為に20ミリ機関砲2門を搭載した乙型は 不採用になった、とありますが、片側13ミリ、片側20ミリ とかいうのは駄目なんでしょうか? NAM1975 |
>片側13ミリ、片側20ミリとかいうのは駄目なんでしょうか?
うーん、これについてはわかりませんので他の方々にお任せします。
epitaph
片
三式戦1型丁です。20mmを積むためだけで自重が約200kg増えています。
おかげで上昇性能が低下、スピードも落ちる始末です。
なぜ200kgも低下したかというと、上で片さんが言われているとおり、
機首延長によりパランスを取るためにバラストを積んだせいもあるのですが、
ホ5を積むにあたって暴発などを防ぐために機関砲を収めるところをの筒を
強化したとあり、(肉厚にした)その部分が結構重量食ったという話があります。
(手元に資料がないためちょっと違うかもしれませんが(^^;;)
そうでなくてもスピードもないのにスピード低下を受容し、
まして隼の特徴でもある上昇力をつぶしてまで20mmを積むメリットはいったいなんなのでしょう?
おそらく3型乙はこういう理由でポシャッたと思われます。
片側20mmでも、機関砲部の強化、バラストの搭載は避けれないでしょうから同様になるでしょう。
P-kun
機首に搭載する事に関しては、同期が難しかったとの話もあるようです。
オンブー
リバーサルと言うのは文字通り、操縦棹操作と逆の方向へ
ロールすると言うことでしょうか?
それとも
「補助翼の効きが顕著に低下しはじめる速度が450km/h」
と言う意味でしょうか?
後者だとすれば、隼の翼剛性はWW2前半の機体としてはかなり高い部類に
入ります。
たかつかさ