1944 |
F-104について、「最後の有人戦闘機」と言われてますが、どういうことを指しているのでしょう。また、誰が言ったんですか? まつおか |
また、「歳後の」というのは誤訳ではないでしょうか。
「究極の」の方が原語に近いと思いますし、これに類する発言は
新型戦闘機を送り出す都度(^^;)メーカーから聞かれます。
たかつかさ
hawkeye
この単語を辞書でひくと、まず「最後の」の意がでるようです。
「究極の」はそのあとに出ますね。
(当時は今ほど「究極の」と云う言葉が一般的ではなかったかも。)
2>に書かれた「有人機よりもミサイル」の時代風潮と相まって、
「最後の有人戦闘機」というフレーズが流布したのではありますまいか。
MB
「最後の有人戦闘機」らしき記述が英語でされているものって今のところ見たことありません。
今だとボーイングのサイト
http://www.boeing.com/news/speeches/current/purdue/sld028.htm
でJSFのことを
”it could be the last manned tactical fighter aircraft ever built. ”
なんて書いてあったりしますけどF-104の時もこの程度の意味合いだったのかもしれません。
PT
このような時代に、有人戦闘機はF−104で最後になるのではないか? と、いう意味で「最後の有人戦闘機」というネーミングが付けられたそうです。
YF−23A
「人間の乗ったミサイル」(the missile with a man in it)ならあったのですが。
便利少尉
確かに、当時、核兵器やミサイルが最新兵器としてもてはやされ、通常兵器の増強よりも核ミサイル増強に重点を置こうとした国が多かった。しかし、核ミサイルの発射施設にしても、数多くの支援部隊が必要であり、また、仮想敵国の情報を収集するための偵察活動も必要である。発射施設や支援部隊を高価かつ貴重な核兵器で叩くよりも、核は最終手段として取っておいて、攻撃機など通常兵器で叩くほうが便利である。では、自国に侵入してきた攻撃機や偵察機を十分撃ち落せるほど、当時の対空ミサイルは信頼性が高かったか?こう考えると、当時にしても、有人戦闘機が早期に不要になると考え開発を中止することは決して得策でなかったということになります。
そして、超大国の軍拡競争は、核戦力だけでなく、それを取り巻く友人戦闘機等の通常戦力の増強となってエスカレートしていったわけです。
アリエフ
迎撃・防空戦闘を主任務とし爆撃能力が小さく(F105のような爆弾倉付のものなんて「戦闘機」じゃない!とか・・?)、本来の戦闘機らしい最後の有人戦闘機という意味なら、Mig21はさておいて、F104は結構ふさわしいかも?
アリエフ
ケリー・ジョンソンが朝鮮戦争でのミグ15の活躍に刺激されて設計した、と言うのが定説だと思いますが。
当時のアメリカ空軍の発想では、防空戦闘機とはF-102やF-106のようなSAGEと連携した半自動化ミサイル母機でしょう。
便利少尉
試しにネットでサーチかけてみると、欧米の公的サイトでは
「the missile with a man in it」の表現だけみたいですが、
民間サイトでは
「the ultimate interceptor」
の語を書いているところも幾つかあるようです。
MB
7>私もロッキードの宣伝文句だったと記憶しています。
重箱の隅を突つくようだが、ミグはMigじゃなくてMiGです。
ザイドリッツ