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大平洋戦争初期の零戦隊の活躍は有名ですが、これは零戦の性能が米軍機のそれを凌駕していた事が勝因ですか、それとも搭乗員の練度が優れていたのでしょうか。 特に練度ですが、ミッドウエイで優秀な搭乗員を失って〜などの記述が多いのですが、実際に米軍よりも優れていたのでしょうか。当時の自動車運転者の数の比較からも想像できますが、米国の方がはるかに運転、と言うものに慣れがあるように思えてなりません。日本の方が米国よりも技量が高かったというイメージには根拠があるのでしょうか。 M2型 |
ミッドウェーでは、飛行機はなくなりましたが搭乗員はそれほど失っていません。
マリアナ沖海戦でも真珠湾帰りの搭乗員がかなりいます。
また、開戦時の搭乗員の練度は、決して熟練揃いとは言えません。
機動部隊の搭乗員の質がピークに達していたのは、だいたいですがインド洋作戦から南太平洋海戦までの間だと思います。
その間でも、熟練搭乗員の比率は、イメージされているよりも小さいと思います。
連合軍の搭乗員の質も似たりよったりですし、連合軍の戦闘機もひどく低性能というわけでもありません。
個々の空戦はともかく、「戦況」としては、つまるところ、戦場上空にいられる機数で勝敗が決まる部分が大きいと言えます。
まなかじ
まず、海軍搭乗員の平均的な練度は、開戦時にはそれほど高くありません。
南太平洋海戦にかけてわずかに上昇カーブを描き、その後はずっと下降線を描きますが、マリアナ沖で大敗するまでは、下降カーブもまた急ではありません。
ミッドウェー海戦は、海軍の搭乗員、とくに母艦搭乗員のみに限っても、ほとんど影響はなかったといえると思います。
米軍搭乗員の練度は、とくに高くも低くもないという状態でずっと推移します。
運転に関しては、さほど関係ないようです。
むしろ、機械モノに触った経験の有無は、整備員のほうに顕著に差が顕れるのではないでしょうか。
一部の熟練搭乗員、ということでいうなら、これは日米ともに言えます。
どっちにしても一部しかいないのですから、たいてい空中で出会う相手は並みか並み以下が大多数なのですから、どちら側としても、「凄かったんだぜ」といえるでしょう。
零戦が性能的に相対する連合軍戦闘機を上回っていた、というのは確かだと思いますが、それにしても決定的、一方的といえるほどの差ではありません。
結局、大戦初期は連合軍側が準備不足で対応が後手に回ったこと、それに伴って、十分な数の戦闘機を十分な期間にわたって展開することができなかったこと、が零戦の活躍を可能にしたといえるでしょう。
それには、零戦の空戦性能よりも、航続性能の方がより大きい役割を果たしていたといえるでしょうし、零戦の価値というのは、空中戦で無類に強いというよりも、そうした作戦展開を可能にした、というところにこそあるのだと思います。
まなかじ
BUN
(それにしても艦隊上空での防空戦闘の戦死14名は意外と大きいなあ。「(各艦からの)味方機銃弾の為自爆せりと認められる艦戦若干あり」とされる、その若干は意外と大きかったのかも)
片
私は米軍パイロットの方が一般的な連度が高く、零戦の性能がこの差を埋め、さらに職人的な日本のパイロット(特に艦戦部隊)が決定打を与えていたのかと思っていました。しかしそうではなく、技量の差はあまりなく、零戦の長所と戦争準備の度合いで初期の快進撃が可能になった。納得です。
また、戦線の拡大に伴い、部隊の大規模化が始まればなるほど、熟練者の割合が減るのも当然ですね。部隊内に熟練者の割合が減れば、比例して負担も増え、熟練者の損耗も増える気がしますが、そうなると剣部隊のような熟練を集めた部隊を作ることは、局地的には良くても大局を見ると不利なのではないでしょうか。
片さんのおっしゃるミッドウエイの戦死4割は4空母全滅から見ると、私のイメージでは少なく感じました。救助体制が整っていたのでしょうか。また見方撃ちをしてしまった時の機数などは資料としては残っていないのでしょうか。
M2型
ミッドウェイ海戦時での母艦搭乗員の練度がそれ程ではない、というのはここで何回か採り上げられているのですが。その後、「ミッドウェイの仇を討つ」べく生き残り搭乗員を主体に編成されたといわれる一航戦がトラックへと進出した際も、「訓練未了」とかで練度の面では高い評価を下されていませんねえ・・・
結局、母艦搭乗員が高練度であると判断されたのは、ホンの一時期だけだったんでしょうか。あるいは満足できる練度に達したと評価されたことは無かったとか・・
tackow
さて、日米搭乗員に素質の差があったのか、の点ですがそれは私には断言できるだけの資料はありません。私の思いとしては、たとえば予科練などで15〜16才頃から長い月日を掛け飛行機乗りになるべく訓練されているので、米国(私は米国がどういう形で搭乗員が養成されたのか全く知りません)がいくら自動車に慣れ親しんでいようがそんなに変わらないんじゃないか、と思います。ただし、自動車普及率は重要なファクターであっただろうことは漠然と思っています。
練度の高い、低いはそれぞれ人によって異なります。たとえばある人に「熟練された搭乗員・・」という話をしたら、「そんなことはありませんよ・・」といわれたと思ったらそれより若い人に「われわれのような熟練者が・・」といわれたことがあります。それぞれ尺度が違うのでしょう。
川崎学
バウアー中尉
相手がイ15,16、エスベーであり、相手が温存策をしていた。であったとしても、これは特筆すべきことと思います。
やはり大戦初期は、搭乗員の練度、機体の優位性はかなりのものがあったのではないですか?
ちなみに機体の優位性とは編隊空戦、一撃離脱法などにより戦術的な優位を獲得することは抜きにしています。(純粋に一対一の個体差です。)
12試艦戦
メリハリのきつい戦闘機がボロ勝ちしたりボロ負けしたりするのは、
考えようによっては当然のような気もします。
どんべ
それはさておき、初陣の前年のW基地空襲やその報復爆撃の邀撃などを見る限り、中国空軍の実力はそれなりのものだったと評価することもできます。また、零戦初陣の重慶上空空戦に参加した搭乗員の中にも、しばらく戦闘の経験が無い自分達と違い、敵は戦闘に慣れており、技量も優秀だったとの謙虚な回想もあります。これは中国空軍側の事情にも目を配って考えるべき問題でしょう。
更に余談ですが日本海軍側はF6Fに対して「火事(被弾による空中火災)になりやすさは同じ」と考えており、零戦が火災を起こすのはF6Fの持つ機銃六丁の強武装による、五二丙型の武装でもF6Fには劣ると考えていたと思われる形跡があります。防弾タンクよりも武装強化が急がれた背景には開発側のこのような認識もあったのではないかとも考えられます。
また昭和二十年でさえ、来襲するP51に対してラバウル後期なみの邀撃戦が何度も行われています。零戦は実に良く戦ったものだと思います。
BUN
後期になると、速度と馬力を生かした一撃離脱戦になり米軍機に有利となった結果ではないでしょうか
私の読んだ資料(丸 増刊号 零戦)でも、米軍は零戦の事を良く研究していて、格闘戦に入らず、一撃離脱をするように勧めています
8bd
BUN
8bd
また、十二試艦上戦闘機は空技廠での性能推算では九六艦戦と同等どころか完全に優秀とされています。この事実は何を指すのか?このあたり、一筋縄では行きませんね。
BUN
なったみたいですね。
追っても無駄だから早めに諦めて仕切り直せ、と。
ゼロ戦相手に旋回して勝てるわけがないので当然の結論かと。
ただ、一撃離脱とはちょっと違う感じもします。
F6Fなどば結構ねばっていよいよ危ないという時にダイブで逃げる。
逃げるタイミングを見誤るな、そんなイメージです。
パっと来てサっと去る、そんなイメージではないです。
あくまでも想像で、実際に見たわけではありませんが(w
林檎
重慶の戦闘は採用後でしたね。記憶違いです。すみません。
いろいろ本を読み直してみて、中国空軍と米国空軍を同列にするのは誤りでした。「練度、機体の性能の差」は局地的な戦いでは、露出しないし比較できませんね。
「教習を終え、実地1年(空母搭乗員はさらに一年)で晴れて一人前になる。」旨が書かれている本を見ましたが、このレベルの搭乗員が開戦時に常用機を満たせなかったようです。技量が高かったのは一部であったのですね。
>日本の方が米国よりも技量が高かったというイメージ
はやはり日本の職人気質というか武士道といいますか、そういった部分を神聖化してしまう傾向があるため、一つの事例(P38とドックファイトして圧勝したとか)が過大に伝わったような気がします。
しかし日本人の気質に零戦(零戦だけじゃないけど)は本当にマッチしたと思います。
12試艦戦
零戦の操作性の良さ。(たぶん操縦系統の剛性低下の効果)が大きいのではないでしょうか。
額面上の性能では劣るのに自由に戦えば結果が逆転。
結局、格闘戦とは何なのでしょう。になってしまいますが・・
12試艦戦
それは昇降舵のみのことですよ。昇降舵だけしか解決出来なかった、という本来なら問題視されるべきこと逆に功績として伝わっているのです。でなければ下川大尉は死にません。
BUN
そうなんです。私もそれが最近特にわからないんです。どんな機動に優れることが求められ、どんな特性が歓迎されたのでしょう。そしてそれは最初から設計面に盛り込まれていたのでしょうか。
BUN
バウアー中尉
一筋縄では整理できない話ですね。
BUN
>てそれは最初から設計面に盛り込まれていたのでしょうか。
の部分に限って言えば、
やはり設計の念頭にあり、歓迎されたのは、96艦戦のような特性でかつ全体をレベルアップした物。であると思います。くるくる回るのが得意で、敏捷性に優れていたものでしょうね。(車でいえば、86とGTRのタイプに分かれるとすると86みたいなタイプ)
零戦以降の機はみな零戦と比較されました。
零戦も96艦戦と比較されました。
96艦戦も95艦戦のような2枚羽と比較されました。
いずれも、比較対象の機(先代の機)のような特性にして欲しいと、いつも出てきます。人間(日本人?)はどうしても今までのものに固執しがちです。12試艦戦のテストの頃、降下速度が大であったものを欠点とされた所からもそれが伺えるのではないでしょうか。
零戦が米重戦と戦うようになると、突っ込みが効かない、降下速度が遅いなど不満が出てきます。
12試艦戦の計画書には
「援護戦闘機として敵の『軽』戦闘機よりも優秀なる空戦性能をそなえ・・」
「96艦戦2号1型に劣らぬ空戦性能」
とあります。
計画時には複葉機にも負けない旋回性をもち最高速・航続力も優れたものような気がします。その後の
>極端に言えば零戦の機体改良はこのロールの改善のみをテーマに行われたと言っても良い位です。
は、零戦には不得手な部分だけれど、そうせざるを得なかった背景(国情等)があるのではないでしょうか?
12試艦戦
合理性を追及するならあまり旋回する必要はないでしょう。
国民性の表われかもしれない(w
林檎
という文言はオリジナルでしょうか?原文には無いのでは?それとも内容を180度近く異にする大改訂がどこかでなされたのでしょうか?
私が確認できた範囲では、海軍戦闘機隊史に載っている物が原文に近いのではないかと思います。この計画要求書の審議の流れを見ると、零戦の原コンセプトでは空戦性能は決して第一ではないと思えます。
BUN
は「計画要求書抜粋(ほぼ原文のまま)」と注釈がついているものからの引用です。ですから180度異にする改訂ということはないと思います。
航続力・速力・格闘力の優先順位に対する論議は大変なものだったと思います。相反する要素なので完全に決着することはできなかったと思います。ただ、格闘力だけは捨てきれないといったニュアンスが第12航空隊の機密169号「今次事変の経験に鑑み試作戦闘機に対する要求性能に関する所見」の随所に見られます。(これもほぼ原文のままの注釈つき)
12試艦戦
また、領収後の試験にあたったテストパイロットが、十二試艦戦に対して述べたという「こんなスピードの出ない戦闘機」の意味も。
片
「十二試艦上戦闘機計画要求書 1.目的・攻撃機の阻止撃攘を主とし尚観測機の相当に適する艦上戦闘機を得るにあり」とする文面は現実に存在します。「掩護戦闘機として・・迎撃戦闘機として・・・」との文面は文体、用語ともに不自然な印象があります。海軍航空本部が使用する用語とは考え難いのです。私は(これが初めて世に出た)某書の中で「解釈を含めて言い替えた文章」として掲載されたものがそのまま伝わっているのではないかと思いました。ここで言う「ほぼ原文」の「原文」は何処にあるのか、不勉強で未だ見ておりません。実在するのでしょうか?
BUN
何故かまったく異なる文言が存在しているので疑問に思いつつも、一方は公文書として書かれたものではないのないかと決めつけてしまっておりました。とりあえず、それはアーカイブには見当たらないと。
片
BUN
少なくとも「計画要求案内示」時点では、中国大陸の空戦ははじまっておらず、援護戦闘機の必要性が認められていたとは到底思えません。
ならば、「計画要求書」の段階で書き換えられたのか、これも違う。その先にもう一段の「改訂」が存在しない限り、長距離援護戦闘機としての要求「書」はなかったことになります。そしてそれは多分なかったのでしょう。
片
この「ほぼ」とは何なのでしょうね。大変興味が出てきましたのでじっくり調べてみようと思います
ちなみに
>1.目的・攻撃機の阻止撃攘を主とし尚観測機の相当に適する艦上戦闘機を得るにあり」
という文面は、海軍戦闘機隊史に載っている文面でしょうか?
文体から本物のような感じですね。この1行からだけの判断ですが、この文を「援護戦闘機として敵の軽戦闘機よりも優秀なる空戦性能を・・」と解釈するのは無理がある気がします。
12試艦戦
BUN
一二試(ママ)艦上戦闘機計画要求書(抜粋)
一、目的 攻撃機の阻止撃壌を主とし、なお観測機の相当に適する艦上戦闘機を得るにあり。(そして、昭和十三年一月の官民合同研究会の時に、「敵戦闘機との空戦において、優越せる艦上戦闘機なるを要す」と補足指示された。)
とあります。
堀越系の記述は、こうした会議の席上の追加指示を総合した上で、一般読者に分かりやすい表現にまとめようとした結果の産物なのではないかと思います。
片
確かにその通りかもしれませんね。(私の持ってる資料はほとんど堀越系ですね。)
偏った意見になるかもしれませんが、堀越氏が「援護戦闘機として敵の軽戦闘機よりも優秀なる空戦性能を・・」をほぼ原文として言っているのであれば、やはり設計者の思いは「96艦戦の特性」が大きかったのではないかと思ってしまいます。
つまり第一が格闘力であり、速力・航続力は次点であった。
(この意見は、大変偏った意見かもしれませんが、速力・格闘力・航続力の論争経緯を認識した上、感じたものです。)
つい最近このHPを見つけ、大変感動しております。こんなに識者が多いのはすごい事です。(過去ログ見るだけでレベルがアップしました。)
12試艦戦なんてHNはありふれてるしダブってるかもしれないので(安直なHNでした)HNを12試艦戦改めJack&Bettyに変えます。
Jack&Betty
片
>なお観測機の相当に適する艦上戦闘機
ってどういう意味ですか?
「ゼロ戦カントク」ぜひ教えてください。
バウアー中尉
9試艦戦はその当時画期的なスピードであったし、格闘力も優れていた。(航続力は劣る)その集大成が零戦であったと認識しています。
>途中で九六戦そのものの発展型のような案もたしかに提案され、否定されているのです
は具体的にどのような事例があったのでしょうか?(もし20mmを廃止し・・の部分を言っておられるのであれば、ちょっと違うような気がします。)
Jack&Betty
片
片
了解いたしました。
ほんとに悩んじゃったのよね!
バウアー中尉
・20ミリ機銃は積まない。
・航続力減らす。
・翼面積、翼幅を減らし、重量軽減15パーセント、運動性を向上。
・固定脚をも考慮。
こうしたものが純然たる対戦闘機用戦闘機のイメージだったのではないかと思います。
このプランで引込脚の場合、十二試艦戦よりも僅かながら速かった、ともいい、しかし否定されています。当時進行中の十二試艦戦をこれに対するものとすると、「鈍」で「重」な感じ、といったところでしょうか。
片
更にバウアー中尉の質問にある「観測機の掃蕩」とは対戦闘機空中戦、特に格闘戦に向くということを指しています。ここで想定されている観測機とは空中戦が可能で積極的に戦闘を挑んでくる軽快な敵機を想定しているのです。この目的が「主」ではなく「従」であることが文書中で確認できますが零戦の原コンセプトを知る上で重要な項目だと思います。
BUN
しかし、格闘力(運動性)が第一であったと思う考えがどうしても捨てきれません。
>零戦は基本的には重武装、高速を主眼とした機体ですが空戦性能についても単純
>に翼面過重が小さく、旋回半径が小さければ良い、という基準で考えられてはいません。
私は格闘力(運動性)があり、かつ重武装・高速を実現しようとした機体。
と思ってしまいます。(格闘力とは、旋回半径だけではなく、総合的に俊敏で爽快な機動をもつものと解釈してください。)
前にも述べましたが九六艦戦試作時、複葉機との比較から、格闘力が劣るだろうとされたと思います。結果は逆で自由に格闘戦を行えば九六艦戦に軍配が上がったわけです。そういった認識がある零戦の試作時は格闘力を持つのは切実(あたりまえ)であり、かつ重武装・高速・大航続力も備えて欲しいと思ったのではないでしょうか。
重量軽減等による案が否定されたのは文献を読んでいないのでわかりませんが、若干速力UP・運動性UP・航続力Down(たぶん)であったと思うので、それなら設計を大幅に変更する必要はないと判断されたのではないのでしょうか。
Jack&Betty
各性能の両立が難しいこと、優先順位は高速、重武装が主で格闘戦能力は副であるという認識を明確に記した文書が残っています。このコンセプトはそのまま受け継がれ、その後の「性能標準」中の戦闘機の用途についての定義もこの線で昭和十五年まで続いています。格闘戦能力については支那事変以降、強調されてはいますがやはり副次的な扱いを受けています。
BUN
私の誤った認識が感じられました。特に九六戦のときは、速度第一ですね。
艦戦ではなく単戦とした所、十二試艦戦試作内示の際、堀越氏の「速度第一の九試にくらべ十二試は困難・・・」といった部分からも読み取れますね。
零戦試作時も速度・武装の重要性が強いように取れました。(ただ、仮想敵国との戦闘機に対し空戦性能は上回っている必要がある旨も読み取れます)
単に軍部の思想のみ試作要求していた九試までの頃に比べ、それ以降は現場の意見を取り入れていたとありました。前にも述べた十二空機密一六九号(これもほぼ原文となっているので信頼性は低いですが)では艦戦は、
1、速度がやや劣るのはやむをえない。
2、航続力は体力、航法精度を考慮
3、格闘戦は切実に望む
とあるので現場の意見はこうだったのかなと思います。
じっくり本を読むとなんか今までの認識と大きく変わってきましたね。
Jack&Betty
それはそうと、仮想敵機に対し稍速度が劣っていても仕方がないとされたのは航続力と空戦性能をより重点を置いたからですが、その航続力に対する要望や搭乗員疲労のことが上空直衛の持続時間の問題として語られていることも注目に値すると思います。
片
ささき
「あの文章が要求書に反映するしない」ということをいいたかったのではなくて、設計および試作要求側と現場側の差異が感じられたということです。
Jack&Betty
片
片
確かに次期試作に対するものが大きかったと思います。(というか実地経験を今後に生かすための所見)
しかし13年4月であれば零戦はまだ木型審査のあたりです。九六戦を使っていた現場の次期試作に対する思いとは、零戦であるとも思えます。
Jack&Betty
そういった経緯がある中での十二試時は、試作要求側は天狗になっていたふしがありませんか?
何が言いたいかというと、
1、九六戦の影響が大きいこと。
2、どんな機動を要求し、どんな機動が歓迎されたのか?
1は速力と格闘力の両立は困難ではないという(誤った)認識が九試で植え付けられた。
2は前者(発注側)の思いは速度であり航続力であり重武装です。しかし後者(現場)は格闘力であった。
と思うのです。(発注側と現場側で思いが異なっていると思う。)
この辺りを考慮して、正規の要求書を斜めから見てもいいのではないでしょうか?
(前にぶり返した意見のようで、申し訳ないです。)
Jack&Betty
片
BUN
数冊の本からの情報から植え付けられた私の思いは、(きちんと読み取っていない部分を含め)いろいろと誤認識があったと思います。勉強になりました。
上のスレッド(疾風)でも指摘があったように、今の論議は本題(元投稿)と話が変わっていますので、この議題はこれで終わりにしたいと思います。何点か疑問点が残っています(皆様が言っていることでほぼ納得なのですが・・)ので、情報収集の後まだ疑問が残っていましたら新規のスレッドを上げたいと思います。
どうもありがとうございました
Jack&Betty