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1903  大平洋戦争初期の零戦隊の活躍は有名ですが、これは零戦の性能が米軍機のそれを凌駕していた事が勝因ですか、それとも搭乗員の練度が優れていたのでしょうか。
 特に練度ですが、ミッドウエイで優秀な搭乗員を失って〜などの記述が多いのですが、実際に米軍よりも優れていたのでしょうか。当時の自動車運転者の数の比較からも想像できますが、米国の方がはるかに運転、と言うものに慣れがあるように思えてなりません。日本の方が米国よりも技量が高かったというイメージには根拠があるのでしょうか。
M2型

  1. 要するに、対する連合軍戦闘機に数で優っていたため、だと思います。

    ミッドウェーでは、飛行機はなくなりましたが搭乗員はそれほど失っていません。
    マリアナ沖海戦でも真珠湾帰りの搭乗員がかなりいます。
    また、開戦時の搭乗員の練度は、決して熟練揃いとは言えません。
    機動部隊の搭乗員の質がピークに達していたのは、だいたいですがインド洋作戦から南太平洋海戦までの間だと思います。
    その間でも、熟練搭乗員の比率は、イメージされているよりも小さいと思います。

    連合軍の搭乗員の質も似たりよったりですし、連合軍の戦闘機もひどく低性能というわけでもありません。
    個々の空戦はともかく、「戦況」としては、つまるところ、戦場上空にいられる機数で勝敗が決まる部分が大きいと言えます。
    まなかじ

  2. なんか、意味不明な解答になっているな( ̄▽ ̄;

    まず、海軍搭乗員の平均的な練度は、開戦時にはそれほど高くありません。
    南太平洋海戦にかけてわずかに上昇カーブを描き、その後はずっと下降線を描きますが、マリアナ沖で大敗するまでは、下降カーブもまた急ではありません。
    ミッドウェー海戦は、海軍の搭乗員、とくに母艦搭乗員のみに限っても、ほとんど影響はなかったといえると思います。

    米軍搭乗員の練度は、とくに高くも低くもないという状態でずっと推移します。
    運転に関しては、さほど関係ないようです。
    むしろ、機械モノに触った経験の有無は、整備員のほうに顕著に差が顕れるのではないでしょうか。

    一部の熟練搭乗員、ということでいうなら、これは日米ともに言えます。
    どっちにしても一部しかいないのですから、たいてい空中で出会う相手は並みか並み以下が大多数なのですから、どちら側としても、「凄かったんだぜ」といえるでしょう。

    零戦が性能的に相対する連合軍戦闘機を上回っていた、というのは確かだと思いますが、それにしても決定的、一方的といえるほどの差ではありません。

    結局、大戦初期は連合軍側が準備不足で対応が後手に回ったこと、それに伴って、十分な数の戦闘機を十分な期間にわたって展開することができなかったこと、が零戦の活躍を可能にしたといえるでしょう。
    それには、零戦の空戦性能よりも、航続性能の方がより大きい役割を果たしていたといえるでしょうし、零戦の価値というのは、空中戦で無類に強いというよりも、そうした作戦展開を可能にした、というところにこそあるのだと思います。
    まなかじ

  3. 練度というのは一概にこうだ、と言い切れないものがありますが、一般的な「熟練搭乗員が失われ・・・」という認識は正しくありません。練習航空隊卒業後四年以上を経た長い経験を積んだ搭乗員(戦時では超ベテランと表現しても良いでしょう)の数は開戦時よりも十九年夏のマリアナ沖海戦の頃の方が総数としては多いのです。戦争後期の技量低下とは、熟練搭乗員のプールが尽きたというよりも、海軍航空隊が母艦部隊を中心とした「海軍航空隊」から、母艦部隊の規模はほぼそのままに、急速に増大した陸上基地の航空機を主力とする「空軍」へと体質を変え、その結果保有機数、搭乗員総数で開戦当初とは比較にならない大兵力を持つに至った事情を反映しています。
    BUN

  4. 話を艦戦搭乗員だけに限ると、ミッドウエイでの戦死者は27名。ミッドウエイでは戦闘機の増加搭載が行われていますが、仮に各艦18機という普段の定数で計るとすると、その4割近くが失われたことになります。これは決して少ない数とも思えません。
    (それにしても艦隊上空での防空戦闘の戦死14名は意外と大きいなあ。「(各艦からの)味方機銃弾の為自爆せりと認められる艦戦若干あり」とされる、その若干は意外と大きかったのかも)


  5. ご回答ありがとうございます。
     私は米軍パイロットの方が一般的な連度が高く、零戦の性能がこの差を埋め、さらに職人的な日本のパイロット(特に艦戦部隊)が決定打を与えていたのかと思っていました。しかしそうではなく、技量の差はあまりなく、零戦の長所と戦争準備の度合いで初期の快進撃が可能になった。納得です。
     また、戦線の拡大に伴い、部隊の大規模化が始まればなるほど、熟練者の割合が減るのも当然ですね。部隊内に熟練者の割合が減れば、比例して負担も増え、熟練者の損耗も増える気がしますが、そうなると剣部隊のような熟練を集めた部隊を作ることは、局地的には良くても大局を見ると不利なのではないでしょうか。
     片さんのおっしゃるミッドウエイの戦死4割は4空母全滅から見ると、私のイメージでは少なく感じました。救助体制が整っていたのでしょうか。また見方撃ちをしてしまった時の機数などは資料としては残っていないのでしょうか。
    M2型

  6.  ミッドウェイでの航空機喪失の主たる原因は母艦の被爆ですから、搭乗員の損失は(失われた航空機の数からすれば)多いものではありません。

     ミッドウェイ海戦時での母艦搭乗員の練度がそれ程ではない、というのはここで何回か採り上げられているのですが。その後、「ミッドウェイの仇を討つ」べく生き残り搭乗員を主体に編成されたといわれる一航戦がトラックへと進出した際も、「訓練未了」とかで練度の面では高い評価を下されていませんねえ・・・

     結局、母艦搭乗員が高練度であると判断されたのは、ホンの一時期だけだったんでしょうか。あるいは満足できる練度に達したと評価されたことは無かったとか・・
    tackow

  7. 真珠湾攻撃時の機動部隊も準備が万端かというと、5航戦なんかは準備不足だったのではないか、と思います。他隊でも移動があったという記述を見ることは出来ますが、5航戦は定数を満たすことが出来ず艦爆、艦攻それぞれ9機(2艦あわせて18機ずつ)程度を練習空等から借り受け出撃したと聞きます。しかも、それは16年10月に母艦配属されるという慌ただしさです。(ちなみに内地帰投と同時に原隊復帰だったそうです。)

    さて、日米搭乗員に素質の差があったのか、の点ですがそれは私には断言できるだけの資料はありません。私の思いとしては、たとえば予科練などで15〜16才頃から長い月日を掛け飛行機乗りになるべく訓練されているので、米国(私は米国がどういう形で搭乗員が養成されたのか全く知りません)がいくら自動車に慣れ親しんでいようがそんなに変わらないんじゃないか、と思います。ただし、自動車普及率は重要なファクターであっただろうことは漠然と思っています。

    練度の高い、低いはそれぞれ人によって異なります。たとえばある人に「熟練された搭乗員・・」という話をしたら、「そんなことはありませんよ・・」といわれたと思ったらそれより若い人に「われわれのような熟練者が・・」といわれたことがあります。それぞれ尺度が違うのでしょう。
    川崎学

  8. 搭乗員の錬度って難しいですね。1960年の雑誌「丸」に坂井三郎氏が、開戦時の日米の海軍の搭乗員の錬度は10:7だが、戦争末期では日本が3に落ちた時米海軍は5ぐらいに落ちていたなんて話が印象に残っています。少なくとも彼はそのように感じていたようです。(見栄もあったのかな?なにしろ個人の感想だからね。)昔、木俣滋郎氏の「日本空母戦記」なんて読んでみると「やっぱ坂井さんのいうとおりなのかな?」なんても感じます。しかしゼロ戦のこと考えると1944年の始めまでは、ラバウルで結構がんばってたと思うし(あくまで個人的感想。)損害なしのパーフェクトゲームすらあったみたいだし。その後のボロ負け試合は、どういうことなのかとも思うし、当然悔しくもおもいます。研究したら面白いテーマなんだろうな。(すいませんレスになってません。)
    バウアー中尉

  9. 真珠湾より前になるのですが、11型へ正式採用になる前の重慶・成都爆撃援護の時のA6M2はのべ20回以上出撃しています。で、被弾こそあれ損失0ですよね。(撃墜確実が60機位あります)
    相手がイ15,16、エスベーであり、相手が温存策をしていた。であったとしても、これは特筆すべきことと思います。

    やはり大戦初期は、搭乗員の練度、機体の優位性はかなりのものがあったのではないですか?

    ちなみに機体の優位性とは編隊空戦、一撃離脱法などにより戦術的な優位を獲得することは抜きにしています。(純粋に一対一の個体差です。)
    12試艦戦

  10. 「旋回性能は世界最高で防弾に関しては最低」というような
    メリハリのきつい戦闘機がボロ勝ちしたりボロ負けしたりするのは、
    考えようによっては当然のような気もします。

    どんべ

  11. 零戦は制式兵器となる以前には一回も戦闘を経験していないと思いますが・・・。

    それはさておき、初陣の前年のW基地空襲やその報復爆撃の邀撃などを見る限り、中国空軍の実力はそれなりのものだったと評価することもできます。また、零戦初陣の重慶上空空戦に参加した搭乗員の中にも、しばらく戦闘の経験が無い自分達と違い、敵は戦闘に慣れており、技量も優秀だったとの謙虚な回想もあります。これは中国空軍側の事情にも目を配って考えるべき問題でしょう。

    更に余談ですが日本海軍側はF6Fに対して「火事(被弾による空中火災)になりやすさは同じ」と考えており、零戦が火災を起こすのはF6Fの持つ機銃六丁の強武装による、五二丙型の武装でもF6Fには劣ると考えていたと思われる形跡があります。防弾タンクよりも武装強化が急がれた背景には開発側のこのような認識もあったのではないかとも考えられます。
    また昭和二十年でさえ、来襲するP51に対してラバウル後期なみの邀撃戦が何度も行われています。零戦は実に良く戦ったものだと思います。
    BUN

  12. 零戦が優位だった大戦初期の戦闘は、格闘戦が中心で旋回性能が優れている方が有利だったと思います
    後期になると、速度と馬力を生かした一撃離脱戦になり米軍機に有利となった結果ではないでしょうか
    私の読んだ資料(丸 増刊号 零戦)でも、米軍は零戦の事を良く研究していて、格闘戦に入らず、一撃離脱をするように勧めています
    8bd

  13. 零戦の「格闘戦」と九六艦戦の「格闘戦」とは同じなのでしょうか?そもそも格闘戦とは何なのでしょう。
    BUN

  14. ↑ 十二試艦戦に対する海軍の要求の中に旋回性能だったか空戦性能だったかが96艦戦と同等、と言うのがあったと思いますが、すると、海軍の見方としては、同じだったのでしょう
    8bd

  15. 零式艦戦の講習資料の中には「零戦は格闘戦能力が劣るので格闘戦に入るな。急上昇、急降下を多用して敵を押さえ込め」と実際に書いたものがあります。
    また、十二試艦上戦闘機は空技廠での性能推算では九六艦戦と同等どころか完全に優秀とされています。この事実は何を指すのか?このあたり、一筋縄では行きませんね。
    BUN

  16. 旋回して深追いするというのがゼロ戦相手の場合は致命的ミスと
    なったみたいですね。
    追っても無駄だから早めに諦めて仕切り直せ、と。
    ゼロ戦相手に旋回して勝てるわけがないので当然の結論かと。
    ただ、一撃離脱とはちょっと違う感じもします。
    F6Fなどば結構ねばっていよいよ危ないという時にダイブで逃げる。
    逃げるタイミングを見誤るな、そんなイメージです。
    パっと来てサっと去る、そんなイメージではないです。
    あくまでも想像で、実際に見たわけではありませんが(w

    林檎

  17. >11 零戦は制式兵器となる以前には一回も戦闘を経験していないと思いますが・・。
    重慶の戦闘は採用後でしたね。記憶違いです。すみません。
    いろいろ本を読み直してみて、中国空軍と米国空軍を同列にするのは誤りでした。「練度、機体の性能の差」は局地的な戦いでは、露出しないし比較できませんね。

    「教習を終え、実地1年(空母搭乗員はさらに一年)で晴れて一人前になる。」旨が書かれている本を見ましたが、このレベルの搭乗員が開戦時に常用機を満たせなかったようです。技量が高かったのは一部であったのですね。

    >日本の方が米国よりも技量が高かったというイメージ
    はやはり日本の職人気質というか武士道といいますか、そういった部分を神聖化してしまう傾向があるため、一つの事例(P38とドックファイトして圧勝したとか)が過大に伝わったような気がします。

    しかし日本人の気質に零戦(零戦だけじゃないけど)は本当にマッチしたと思います。

    12試艦戦

  18. >15

    零戦の操作性の良さ。(たぶん操縦系統の剛性低下の効果)が大きいのではないでしょうか。
    額面上の性能では劣るのに自由に戦えば結果が逆転。

    結局、格闘戦とは何なのでしょう。になってしまいますが・・
    12試艦戦

  19. >零戦の操作性の良さ。(たぶん操縦系統の剛性低下の効果)

    それは昇降舵のみのことですよ。昇降舵だけしか解決出来なかった、という本来なら問題視されるべきこと逆に功績として伝わっているのです。でなければ下川大尉は死にません。
    BUN

  20. >結局、格闘戦とは何なのでしょう。になってしまいますが・

    そうなんです。私もそれが最近特にわからないんです。どんな機動に優れることが求められ、どんな特性が歓迎されたのでしょう。そしてそれは最初から設計面に盛り込まれていたのでしょうか。
    BUN

  21. 面白い話になってきました。日本機的な発想では「高翼面荷重」で馬鹿ガラスのはずのFw190が、スッピットファイヤーとの比較テストで「運動性に関しては、旋回半径の点で簡単に負ける以外はFw190Aの方がすぐれていた。Fw190Aはどんな状況下でも加速性に優れ、これは戦闘において最も大きな利点である。Fw190Aは旋回中に襲われたとしても、優れたロール率を利して反対側に降下旋回でき、スッピットファイヤーがこれを追尾することは難しく、その動きを予測していた場合でも、射線に捉えるこたはほとんどできなかった。」なんて有名な文書ですが、ゼロ戦、隼と96艦戦、97戦とのテストでも、「縦の機動を使えば、対抗できる。」なんて話も聞いたことがあります。詰まるところのある高度、速度域の余剰推力、舵の利き具合が問題なんでしょうか?1960年代のクリスティー・ボイドの「空中戦は、エネルギーでやる。」というものなのでしょうか?(超音速機と違い当時の戦闘機はパワーないけな・・・)
    バウアー中尉

  22. 日本機も例の「捻り込み宙返り」の他にロールもまた戦技の中で重視していた形跡があります。零戦はその意味で欠陥機であった訳で、その改善にはかなりの努力が払われています。極端に言えば零戦の機体改良はこのロールの改善のみをテーマに行われたと言っても良い位です。そしてロール性能を心配したのは機体設計者側ではなく空戦性能を重視し低翼面荷重を主張したと思われがちの空技廠、横空サイドです。更に日本機、特に艦上戦闘機の翼面荷重も空戦性能のみを重視してのことではなく、離発着性能が大きく影響しながら決定されています。零戦にすらごく初期には「(空戦性能ではなく)離発着性能を無視するとの仮定の上で」小面積の主翼で高速を狙う案が存在するのです。
    一筋縄では整理できない話ですね。
    BUN

  23. >どんな機動に優れることが求められ、どんな特性が歓迎されたのでしょう。そし
    >てそれは最初から設計面に盛り込まれていたのでしょうか。

    の部分に限って言えば、
    やはり設計の念頭にあり、歓迎されたのは、96艦戦のような特性でかつ全体をレベルアップした物。であると思います。くるくる回るのが得意で、敏捷性に優れていたものでしょうね。(車でいえば、86とGTRのタイプに分かれるとすると86みたいなタイプ)
    零戦以降の機はみな零戦と比較されました。
    零戦も96艦戦と比較されました。
    96艦戦も95艦戦のような2枚羽と比較されました。

    いずれも、比較対象の機(先代の機)のような特性にして欲しいと、いつも出てきます。人間(日本人?)はどうしても今までのものに固執しがちです。12試艦戦のテストの頃、降下速度が大であったものを欠点とされた所からもそれが伺えるのではないでしょうか。
    零戦が米重戦と戦うようになると、突っ込みが効かない、降下速度が遅いなど不満が出てきます。

    12試艦戦の計画書には
    「援護戦闘機として敵の『軽』戦闘機よりも優秀なる空戦性能をそなえ・・」
    「96艦戦2号1型に劣らぬ空戦性能」
    とあります。
    計画時には複葉機にも負けない旋回性をもち最高速・航続力も優れたものような気がします。その後の
    >極端に言えば零戦の機体改良はこのロールの改善のみをテーマに行われたと言っても良い位です。
    は、零戦には不得手な部分だけれど、そうせざるを得なかった背景(国情等)があるのではないでしょうか?
    12試艦戦

  24. 操縦の技を追追求するなら旋回性能が重要です。
    合理性を追及するならあまり旋回する必要はないでしょう。
    国民性の表われかもしれない(w

    林檎

  25. 「援護戦闘機として敵の『軽』戦闘機よりも優秀なる空戦性能をそなえ・・」
    という文言はオリジナルでしょうか?原文には無いのでは?それとも内容を180度近く異にする大改訂がどこかでなされたのでしょうか?
    私が確認できた範囲では、海軍戦闘機隊史に載っている物が原文に近いのではないかと思います。この計画要求書の審議の流れを見ると、零戦の原コンセプトでは空戦性能は決して第一ではないと思えます。

    BUN

  26. >「援護戦闘機として敵の『軽』戦闘機よりも優秀なる空戦性能をそなえ・・」
    は「計画要求書抜粋(ほぼ原文のまま)」と注釈がついているものからの引用です。ですから180度異にする改訂ということはないと思います。

    航続力・速力・格闘力の優先順位に対する論議は大変なものだったと思います。相反する要素なので完全に決着することはできなかったと思います。ただ、格闘力だけは捨てきれないといったニュアンスが第12航空隊の機密169号「今次事変の経験に鑑み試作戦闘機に対する要求性能に関する所見」の随所に見られます。(これもほぼ原文のままの注釈つき)




    12試艦戦

  27. 種々の零戦の開発物語の中でよく出てくるのが、20ミリをはずしてクルクルよく回る機体にしてやり直そうという案が出た、という話。これがなぜ否定されていったのか。この意味するところを考えてみるのもよいかも知れません。
    また、領収後の試験にあたったテストパイロットが、十二試艦戦に対して述べたという「こんなスピードの出ない戦闘機」の意味も。



  28. 「ほぼ原文」な所が私には今の所、とても疑問なのです。
    「十二試艦上戦闘機計画要求書 1.目的・攻撃機の阻止撃攘を主とし尚観測機の相当に適する艦上戦闘機を得るにあり」とする文面は現実に存在します。「掩護戦闘機として・・迎撃戦闘機として・・・」との文面は文体、用語ともに不自然な印象があります。海軍航空本部が使用する用語とは考え難いのです。私は(これが初めて世に出た)某書の中で「解釈を含めて言い替えた文章」として掲載されたものがそのまま伝わっているのではないかと思いました。ここで言う「ほぼ原文」の「原文」は何処にあるのか、不勉強で未だ見ておりません。実在するのでしょうか?
    BUN

  29. ↑ああ、やっぱりそうなのか。
    何故かまったく異なる文言が存在しているので疑問に思いつつも、一方は公文書として書かれたものではないのないかと決めつけてしまっておりました。とりあえず、それはアーカイブには見当たらないと。



  30. というか、計画要求書が改定されたという話を聞いたことがないんです。ですからまるのまんま残っている「現物」がある以上「掩護戦闘機・・・」にはどうも疑問が・・・。
    BUN

  31. はい。その辺が私が零戦を調べ始めた端緒でもあります。
    少なくとも「計画要求案内示」時点では、中国大陸の空戦ははじまっておらず、援護戦闘機の必要性が認められていたとは到底思えません。
    ならば、「計画要求書」の段階で書き換えられたのか、これも違う。その先にもう一段の「改訂」が存在しない限り、長距離援護戦闘機としての要求「書」はなかったことになります。そしてそれは多分なかったのでしょう。



  32. なるほど、「ほぼ原文」の「原文」ですか。文体などを考えるとBUNさんのおっしゃるように、作者の解釈が入った文面が、「原文」として認識されたような感じですね。(零戦に関する本で計画要求書が載っていたものが2冊あり、まったく同じ文面でしたので、「援護戦闘機・・」を原文と解釈しました。)
    この「ほぼ」とは何なのでしょうね。大変興味が出てきましたのでじっくり調べてみようと思います

    ちなみに
    >1.目的・攻撃機の阻止撃攘を主とし尚観測機の相当に適する艦上戦闘機を得るにあり」
    という文面は、海軍戦闘機隊史に載っている文面でしょうか?
    文体から本物のような感じですね。この1行からだけの判断ですが、この文を「援護戦闘機として敵の軽戦闘機よりも優秀なる空戦性能を・・」と解釈するのは無理がある気がします。

    12試艦戦

  33. 載っていると思いますが再確認はしていません。上の引用は計画要求書原本の複写から行っております。原文は正字とカタカナ書きです。(変換ミス「観測機の掃蕩」でした。すみません)
    BUN

  34. 『海軍戦闘機隊史』には、

    一二試(ママ)艦上戦闘機計画要求書(抜粋)
    一、目的 攻撃機の阻止撃壌を主とし、なお観測機の相当に適する艦上戦闘機を得るにあり。(そして、昭和十三年一月の官民合同研究会の時に、「敵戦闘機との空戦において、優越せる艦上戦闘機なるを要す」と補足指示された。)

    とあります。
    堀越系の記述は、こうした会議の席上の追加指示を総合した上で、一般読者に分かりやすい表現にまとめようとした結果の産物なのではないかと思います。


  35. >堀越系の記述は、こうした会議の席上の追加指示を総合した上で、一般読者に分かりやすい表現にまとめようとした結果の産物

    確かにその通りかもしれませんね。(私の持ってる資料はほとんど堀越系ですね。)
    偏った意見になるかもしれませんが、堀越氏が「援護戦闘機として敵の軽戦闘機よりも優秀なる空戦性能を・・」をほぼ原文として言っているのであれば、やはり設計者の思いは「96艦戦の特性」が大きかったのではないかと思ってしまいます。
    つまり第一が格闘力であり、速力・航続力は次点であった。
    (この意見は、大変偏った意見かもしれませんが、速力・格闘力・航続力の論争経緯を認識した上、感じたものです。)

    つい最近このHPを見つけ、大変感動しております。こんなに識者が多いのはすごい事です。(過去ログ見るだけでレベルがアップしました。)
    12試艦戦なんてHNはありふれてるしダブってるかもしれないので(安直なHNでした)HNを12試艦戦改めJack&Bettyに変えます。

    Jack&Betty

  36. ↑はい。そこで31をもう一度見ていただけると良いのですが、途中で九六戦そのものの発展型のような案もたしかに提案され、否定されているのです。


  37. 私のような一般人にはよくわかんないんですが、
    >なお観測機の相当に適する艦上戦闘機
    ってどういう意味ですか?
    「ゼロ戦カントク」ぜひ教えてください。
    バウアー中尉

  38. 語弊がある言い方かもしれませんが、12試艦戦は9試艦戦の発展形ではないのですか?
    9試艦戦はその当時画期的なスピードであったし、格闘力も優れていた。(航続力は劣る)その集大成が零戦であったと認識しています。
    >途中で九六戦そのものの発展型のような案もたしかに提案され、否定されているのです
    は具体的にどのような事例があったのでしょうか?(もし20mmを廃止し・・の部分を言っておられるのであれば、ちょっと違うような気がします。)
    Jack&Betty

  39. バウアーさん、「相当」でなく「掃討」ですってば。


  40. あ、「掃蕩」でした。


  41. >ゼロ戦カントク
    了解いたしました。
    ほんとに悩んじゃったのよね!
    バウアー中尉

  42. >38 13年10月頃に航本より内示あって研究されたとされているものです。
    ・20ミリ機銃は積まない。
    ・航続力減らす。
    ・翼面積、翼幅を減らし、重量軽減15パーセント、運動性を向上。
    ・固定脚をも考慮。
    こうしたものが純然たる対戦闘機用戦闘機のイメージだったのではないかと思います。
    このプランで引込脚の場合、十二試艦戦よりも僅かながら速かった、ともいい、しかし否定されています。当時進行中の十二試艦戦をこれに対するものとすると、「鈍」で「重」な感じ、といったところでしょうか。


  43. 十二試艦戦の空戦性能に関しては三菱に任せ切っていた訳ではなく空技廠内でも推算が行われています。垂直旋回、宙返りともに十二試艦戦は九六艦戦を凌ぐ可能性があるとされ、その根拠について述べた研究報告も作成されています。零戦は基本的には重武装、高速を主眼とした機体ですが空戦性能についても単純に翼面過重が小さく、旋回半径が小さければ良い、という基準で考えられてはいません。
    更にバウアー中尉の質問にある「観測機の掃蕩」とは対戦闘機空中戦、特に格闘戦に向くということを指しています。ここで想定されている観測機とは空中戦が可能で積極的に戦闘を挑んでくる軽快な敵機を想定しているのです。この目的が「主」ではなく「従」であることが文書中で確認できますが零戦の原コンセプトを知る上で重要な項目だと思います。
    BUN

  44. なるほど。重量軽減等の案があり、否定されていたのですね。
    しかし、格闘力(運動性)が第一であったと思う考えがどうしても捨てきれません。
    >零戦は基本的には重武装、高速を主眼とした機体ですが空戦性能についても単純
    >に翼面過重が小さく、旋回半径が小さければ良い、という基準で考えられてはいません。
    私は格闘力(運動性)があり、かつ重武装・高速を実現しようとした機体。
    と思ってしまいます。(格闘力とは、旋回半径だけではなく、総合的に俊敏で爽快な機動をもつものと解釈してください。)
    前にも述べましたが九六艦戦試作時、複葉機との比較から、格闘力が劣るだろうとされたと思います。結果は逆で自由に格闘戦を行えば九六艦戦に軍配が上がったわけです。そういった認識がある零戦の試作時は格闘力を持つのは切実(あたりまえ)であり、かつ重武装・高速・大航続力も備えて欲しいと思ったのではないでしょうか。

    重量軽減等による案が否定されたのは文献を読んでいないのでわかりませんが、若干速力UP・運動性UP・航続力Down(たぶん)であったと思うので、それなら設計を大幅に変更する必要はないと判断されたのではないのでしょうか。
    Jack&Betty

  45. >そういった認識がある零戦の試作時は格闘力を持つのは切実(あたりまえ)であり、かつ重武装・高速・大航続力も備えて欲しいと思ったのではないでしょうか。

    各性能の両立が難しいこと、優先順位は高速、重武装が主で格闘戦能力は副であるという認識を明確に記した文書が残っています。このコンセプトはそのまま受け継がれ、その後の「性能標準」中の戦闘機の用途についての定義もこの線で昭和十五年まで続いています。格闘戦能力については支那事変以降、強調されてはいますがやはり副次的な扱いを受けています。
    BUN

  46. 九六艦戦&零戦の試作時の本をじっくり読みました。
    私の誤った認識が感じられました。特に九六戦のときは、速度第一ですね。
    艦戦ではなく単戦とした所、十二試艦戦試作内示の際、堀越氏の「速度第一の九試にくらべ十二試は困難・・・」といった部分からも読み取れますね。
    零戦試作時も速度・武装の重要性が強いように取れました。(ただ、仮想敵国との戦闘機に対し空戦性能は上回っている必要がある旨も読み取れます)

    単に軍部の思想のみ試作要求していた九試までの頃に比べ、それ以降は現場の意見を取り入れていたとありました。前にも述べた十二空機密一六九号(これもほぼ原文となっているので信頼性は低いですが)では艦戦は、
    1、速度がやや劣るのはやむをえない。
    2、航続力は体力、航法精度を考慮
    3、格闘戦は切実に望む
    とあるので現場の意見はこうだったのかなと思います。

    じっくり本を読むとなんか今までの認識と大きく変わってきましたね。
    Jack&Betty

  47. >46 その文書は13年4月のものなので、12年10月の十二試艦上戦闘機計画要求書には影響を与えてないんですよ。
     それはそうと、仮想敵機に対し稍速度が劣っていても仕方がないとされたのは航続力と空戦性能をより重点を置いたからですが、その航続力に対する要望や搭乗員疲労のことが上空直衛の持続時間の問題として語られていることも注目に値すると思います。


  48. >47 ゴミレス。坂井三郎氏が零戦の強みについて尋ねられたとき「空戦中に残燃料を気にせずに済む長大な航続距離」を第一に、第二に「見張りに不安の少ない全周視界」を挙げられていました。
    ささき

  49. >47 すみません。私の意見は間違いが多いですね。ごめんなさい(^^;

    「あの文章が要求書に反映するしない」ということをいいたかったのではなくて、設計および試作要求側と現場側の差異が感じられたということです。
    Jack&Betty

  50. >48. ミッドウエイでの直衛機などを見ておりますと、燃料よりも、弾薬がすぐ尽きてしまうので頻繁に着艦しなければならなかったようですね。片銃60発弱ではね。



  51. >49. それは13年4月のその文書が、海軍航空隊が初めて体験した本格的な戦闘による戦訓を次期試作機に対する要求にフィードバックするために書かれたものだから、ではないでしょうか。


  52. >51
    確かに次期試作に対するものが大きかったと思います。(というか実地経験を今後に生かすための所見)
    しかし13年4月であれば零戦はまだ木型審査のあたりです。九六戦を使っていた現場の次期試作に対する思いとは、零戦であるとも思えます。
    Jack&Betty

  53. さらに書きますが、試作要求側とっての十二試は前の九試の好成績が前提にあったと思うのです。九試の最高速度は要求値より100キロ位上回っていました。その上、劣ると思われた格闘力も持っていました。
    そういった経緯がある中での十二試時は、試作要求側は天狗になっていたふしがありませんか?
    何が言いたいかというと、
    1、九六戦の影響が大きいこと。
    2、どんな機動を要求し、どんな機動が歓迎されたのか?
    1は速力と格闘力の両立は困難ではないという(誤った)認識が九試で植え付けられた。
    2は前者(発注側)の思いは速度であり航続力であり重武装です。しかし後者(現場)は格闘力であった。
    と思うのです。(発注側と現場側で思いが異なっていると思う。)
    この辺りを考慮して、正規の要求書を斜めから見てもいいのではないでしょうか?

    (前にぶり返した意見のようで、申し訳ないです。)
    Jack&Betty

  54. 十二試戦は確かに高速を狙ってはいるがそれは着速に制限のある艦上戦闘機としての範囲内のものに過ぎず、それならいっそ次からは戦闘機のカテゴリーを二つに割ってちゃんとした陸上戦闘機も作った方がいいのではないか。十二空所見が述べているのは、主にはそういうことだと思うのですが。



  55.  十二試艦戦の実機は計画要求書の内容をかなり忠実に実現する形で完成しています。十二空の所見が反映された形跡はあまり見られません。というよりも堀越氏始め三菱側には「無視してよい」との指導のあった形跡があります。また海軍側の責任者である和田機関少佐も各性能の優先順位を審議会の席上で明言しており(業者側はこの技術会議には出席していない=堀越氏は経緯をよく知らないということになります)、この場で既に搭載発動機、最大速度(開発の促進と離発着性能を考慮してかなり妥協)翼幅、大体の搭載量が決められていますので九試の場合と異なり、十二試艦戦の計画要求書の「仕様書」としての完成度は高かったと見てよいでしょう。九六艦戦の影響というよりは新開発の1000馬力発動機と大威力のエリコン機銃への期待が大きかったことが計画要求審議摘録から読み取れます。計画要求書の内容は厳しいものであったことは事実だと思いますが、妥協すべき点、性能達成優先順位は合意されており、そこから特に「海軍側の奢り」といったものを見ることはできません。
    BUN

  56. どうもありがとうございました。皆様の知識には頭が下がります。
    数冊の本からの情報から植え付けられた私の思いは、(きちんと読み取っていない部分を含め)いろいろと誤認識があったと思います。勉強になりました。
    上のスレッド(疾風)でも指摘があったように、今の論議は本題(元投稿)と話が変わっていますので、この議題はこれで終わりにしたいと思います。何点か疑問点が残っています(皆様が言っていることでほぼ納得なのですが・・)ので、情報収集の後まだ疑問が残っていましたら新規のスレッドを上げたいと思います。
    どうもありがとうございました
    Jack&Betty


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