QQCCMMVVGGTT
1898 同型の零戦で三菱製と中島製とを、外見だけで見分けることはできたのでしょうか?(間近で製造番号を見るというのは、除きます。)
以前何かの本で、二社の間では緑色の塗り方に違いがあった、という記述を見た記憶があるのですが、それは正しいのでしょうか。

Dai

  1. 迷彩機では塗分けのラインの取り方が違いますし、全面灰色の場合でも胴体日の丸の白縁の有無で識別出来るようになっています。


  2. 始めの頃の二式水戦をみると、当初はまったく同じ塗装で、見分けが付かなかったのでしょうね。で、なにか困ることがあったのでしょうね。
    FJ1

  3. >何か困ること
    中島製と三菱製では部品の互換性とかに問題があったんじゃないかな、と思います。
    ささき

  4. それもねぇ・・・脚や、ペラやその他艤装品に中島製も三菱製も無いんじゃないかなぁ・・・と。
    BUN

  5. >4 脚、プロペラ、エンジン、機銃などは官給品ですね。でも大戦末期の日本機には損傷した方向舵を他機から付け替えたもの(塗り直す暇がなかったのか機体番号やら部隊マークが食い違ってる)が見られますが、こういった場合問題はどうだったのでしょう?
    ささき

  6. 各舵も恐らく機体メーカー製ではなかったか、あるいは機体工場製ではなかったと思いますよ。
    これは私の印象に属するものですが、整備上の問題は中島製、三菱製の細かな差以上に、頻繁に行われた改修による各バージョンの違いにあったのではないかと思います。実に沢山存在した改修項目の中には完全に以前の型とその部分の互換性を失うにも関わらず、番号をさかのぼって一斉には行われず、航空廠での大修理の際に折りを見て実施されたものや、ある号機以降のみに実施されたもの等があります。現場はかなり管理に手間を取ったと思えます。綺麗に一斉改修された項目は思いつくところで五二型のプロペラピッチ改修位ではないでしょうか。
    BUN

  7. 戦地で再生機を作る際に両社のパーツを混ぜて使っていたような記憶もあります。
    中島の零戦、16年7月頃からのようですね、日の丸に白縁がつくのは。それ以前の機体も戦地へ出ていることは確認出来ますので、案外今まで写真で見て三菱製と思っていた中にも、実は中島製のものがあるのかも知れません。



Back