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大戦間の郵便飛行機について質問いたします。 直列複座のD.H.4等が兵装を撤去して郵便機に使用されたとききますが、どのような改修が施されておったのでしょうか? 映像資料を見るかぎりでは、全席を撤去して郵便物の格納庫とし、後席に操縦席を移したように見えます。 つまり、単座になったのかなぁ…と思っておりましたが、サン・テグジュペリの『夜間飛行』等に描かれておる郵便機は、たいてい複座ですし、また、当時の状況を考えれば、やはり操縦士の他に、航法士が乗り込む必要があったのでは……。 大戦間の郵便機の資料をご存知の方がおられましたら、書名・出版社などご教授ください。 穂積 |
全席 → 前席 です。
失礼いたしました。
穂積
リンドバーグは複座のDH機の前席に郵便物を積み、後席に搭乗して単
独飛行していました。当時(1920年代)、郵便飛行は夜間でも単独飛行
だったそうです。夜間飛行の際はコンパス、街の灯り、飛行場の照明
設備などを利用して飛んでいたようです。彼は、「回転標識灯と境界
標識灯と照明灯さえ備えつければ、夜間飛行はむずかしいものではな
い」と書いています。特に晴天で月の明るい夜の飛行は、「技術など
というものはいっさい必要ない。・・・こんな夜は初心者向きだ」と
言っています。
但し、悪天候の時はさすがに苦労したようで、リンドバーグは霧の
夜に飛行場を見つけられず、パラシュートでの脱出を強いられていま
す。
「翼よ、あれがパリの灯だ」は佐藤亮一の訳で恒文社から出版され
ています。念のために紀伊國屋書店などのウェブページで入手可能か
どうか検索してみてください。
ハムサンド
新聞社の航空部航空機があります。スピード報道に血道をあげていた時代です
ので、各社とも華やかな扱いでした。その新聞報道機の資料に、1993年
12月発行のモデル・アート臨時増刊Y420、新聞報道通信機編があります。
日本限定ですが、大正時代から終戦までの新聞社所有機の活躍がよくでていま
す。
まるき
両著とも、気長に探してみますね。
穂積