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太平洋戦争中、神奈川県の二宮駅を攻撃した戦闘機について教えてください。 ある本に、艦載機P51という表記があったのですが、祖父がそれはP51は艦載機ではなく陸上機だと言います。 それでいろいろと資料を調べてみたのですが、どこにもそれに関する記事などはありませんでした。 どなたかご存知の方、教えていただけないでしょうか? あきこ |
読んだのはもう20年くらい前になるので定かではありませんが、二宮駅で米軍機の機銃掃射を受けた際に
近くにいた人が「艦載機」とか「P-51」とか言っていたような描写を記憶しています。
P-51は陸上機です。空母での運用例は探せばあるかもしれませんが、艦載機として採用された実績はありません。
もし私の記憶通り「ガラスのうさぎ」にそのような記述があったとしたら、それは間違っているわけですが、
それは間違っていても構わない間違いです。
PT
本土を空襲する航空機を、「巨大でアシの長いB-29」と「小型の艦載機」の
二種類に分別しているのではないでしょうか?
どんべ
P-51は陸上機ですが、本土空襲に参加はしています。
あとは「戦史叢書な方々」の回答を待ちませう。
どんべ
硫黄島から来襲しています。
7月頃には戦闘機だけで地上攻撃を行なっています。
いつ頃の話か時期が分かれば・・・
クライスト
ガラスのうさぎ!いや懐かしいです。小学校(あれ?中学だったかな)の推薦図書になっていました。ひょっとしたら神奈川県の東海道本線沿線の学校はみんなそうだったのでしょうか?
TETSU29
Sampon
この本は、『ガラスのうさぎ』という本で主人公のお父さんは、
昭和20年8月5日昼過ぎ、神奈川県の二宮駅で待っている間に、十機編成の
米軍艦載機P51からの機銃掃射をうけ、即死してしまいます。
やはり、P51が艦載機というのは、まちがいでしょうか。
このころ、米軍機はどこから、日本本土へ攻撃機をしてきていたのでしょうか。
P51という戦闘機だけで、本土を空襲したのでしょうか。
この日の空襲のことで、詳しいことがわかりましたらおしえてください。
あきこ
当時の米軍機に対する一般的な感覚だと、紺色の小型機(海軍機)は「グラマン」、銀色の小型機は「P-51、ムスタング」、銀色の大型機は「B-29」と言ったところだと思いますので、P-51って言うのは正しいような気がしますが。
(N)
8月5日の真昼に関東地区の飛行場と交通機関を硫黄島から発進したP-51が攻撃し、夜間にはB-29の焼夷弾攻撃が行われています。
このP-51の1機は相模湾で撃墜され、搭乗員が米潜水艦に救助されています。
BUN
(関東地方は10日)
5日の単発機の地上攻撃は9割方
硫黄島からのP51ムスタングによる物です。
(P47の可能性も無きにしもあらず)
沖縄からの空襲もありましたが
九州・関西地区に指向されたそうです。
陸上機の空母による運用例は1940年のノルウェー撤退戦における
ハリケーン戦闘機の空母グローリアスへの着艦(その後、空母は撃沈される)
1942年11月北アフリカ上陸の際にP51だったかが
空母から発艦して占領したばかりの飛行場に着陸した事例があった筈です。
クライスト
映画版「ガラスのうさぎ」では、攻撃してきたのはちゃんとP−51でしたね。
長門裕之が「お父さん」役だったと記憶します。
まなかじ