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1653 太平洋戦争中,ラバウル方面への戦闘機の補給について

 地図帳で見ると,東京近辺からニューブリテン島までは最短でも4500キロメートル以上はありそうですが,これほど距離があると,補給も大変難儀したことと思います。
そこで,戦闘機や攻撃機の補給の方法について,うかがいたいのですが,

1 島づたいに自力で飛んで運んだ。
2 船(空母?)にのせて運んだ。
3 1と2を取り混ぜて運んだ。

上の1〜3のうち,どれが一般的だったんでしょうか? そして,そのルートは?

伊東

  1.  3番になるでしょう。
    1の輸送路は
     本土 ー(小笠原・硫黄島)− マリアナ・サイパン − トラック − ラバウル か、
     本土 − 台湾 − フィリピン − パラオ・ビアク − ニューギニア − ラバウル
    の二系統だったと思いますが、輸送コストが大きいため船便も多様されています。

    2に関しては特設空母も多用さsれています。 
    ペンギン

  2. 飛行機のラバウル方面への輸送は空中輸送経路と船便があり、空中輸送経路は横須賀→テニアン→トラック→ラバウルの経路です。トラックからはルオットを目指すマーシャル諸島方面への補給経路もあります。
    中国へは佐世保→上海の空中輸送経路がありますが、呉、鹿屋→高雄経由の空中輸送路はラバウル方面へは行かず、マニラ、ダバオを経て蘭印方面へ向う経路と、高雄から三亜→サイゴン→シンガポールへと向う経路があります。
    ですからラバウルへの空中輸送経路は少なくとも十八年度末には一系統のみです。

    船便については輸送船に分解梱包して輸送する場合もありますが、これは比較的少数で、船便での輸送は主に空母を利用して行います。この場合の航路は空中輸送路とほぼ同様で、トラックで飛行機を降ろす場合もありますが、ラバウルに直接入港する場合も多くありました。使用空母は龍鳳、隼鷹、飛鷹、海鷹、神鷹、冲鷹、雲鷹等です。
    輸送飛行機の代表的な搭載法は、格納庫に零戦等、海軍機を搭載し、飛行甲板上には陸軍機を搭載する例が多くありました。船便の輸送経路は空中輸送経路とほぼ同じでトラック経由でラバウル沖を目指します。


    BUN

  3. 質問者です。ありがとうございました。

     ティニアン経由の空輸経路についてですが,トラックからラバウルの手前のニューアイルランド島まで600海里もあります。零戦なら無理のない距離なのでしょうが,この間は地図帳で見る限り島がないので,結構長い時間海だけ見て飛ぶことになるかと思います。中途で天候悪化,発動機故障などの可能性を考えると,かなり危ない飛行なのではないでしょうか。大戦中,南太平洋で活動されたアメリカの飛行機乗りさんの談話で,大戦中いちばんうれしかったのは,陸地をこの目で見ることだ,というのがありましたが,この空輸は,陸地が見えない状態の飛行時間がいちばん長い,もっとも不安な任務だったのではないでしょうか? 台湾・海南島間も同じくらい長いですが,航路のすぐ北には巨大な大陸があるという安心感があり,ラバウル・ガダルカナル間も非常識に長いとはいえ,島づたいだったわけですから。
     
    伊東

  4. 空中輸送と船便の比率は良く判らないのですが、十八年十二月十日から十九年一月二日の間に空母六隻により海軍機198機、陸軍機、恐らく100機程度が横須賀を出航していますので、トラック、ラバウル方面への小型機(月光、屠龍も含む)輸送の大半は空母に依存していたのではないかと思います。航法に不安のある戦闘機は船便、大型機は空中輸送だったのではないでしょうか。
    BUN

  5.  便乗質問なのですが、輸送空母にのっけた飛行機は、目的地付近でそのまま飛行甲板から発進するのでしょうか?そのほうが効率的とは思いますが、陸軍機の場合はどうだったんでしょう?
    虚心兵

  6. 効率だけいうのでしたら、バラして運んだほうが機数も積めて
    より効率的だと思いますが。
    勝井

  7. ↑バラすと梱包しなければならない手間が嫌われたのだと思います。


  8. ペンギンさんと私も同意見です。
    田舎っぺ


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