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1499 はじめましてikedaと申します。
ちょっと皆さんに質問がありまして・・・。
今、車のターボについて調べていまして、
ここに至りました。
質問は
第二次世界大戦時に日本軍は排気タービンを積んだ機を量産はできなくても
何かの機に積んで戦ったことはないのでしょうか?
あればどんな機なんでしょう。
また、B29は排気タービンを積んでいると聞いています。
その恩恵をうけ(それだけではないでしょうが・・・)1万メートル以上の高度を飛べるときいてます。
日本軍はまったく、B29に近づけなかったのでしょうか?
排気タービンを積んだ試作機でも無理なんでしょうか。
私は敗戦理由の一つに排気タービンを搭載する事ができなかったのがあると思ってます。排気タービンを作る上での資材の有無や技術不足、また
実用化してもタービン温度の上昇を防ぐ為に燃料を多めに噴射する事による燃費悪化、それに伴い燃料不足があったとおもいます。

長々と質問を書いてしまいましたが
皆さんのご意見を頂きたく、宜しくお願い致します。

ikeda

  1. >第二次世界大戦時に日本軍は排気タービンを積んだ機を量産はできなくても
    >何かの機に積んで戦ったことはないのでしょうか?
    海軍の厚木302空には「雷電」に排気タービンを搭載した試作型が数機送られています。しかし排気タービンのトラブルに加え重心位置の移動などにより「水平飛行が精一杯」という有様になってしまい、実戦参加はしなかったようです。
    陸軍では排気タービンを搭載した長距離偵察機・百式司偵4型が実用化秒読み段階でした。排気タービンの搭載は上昇力より高々度での巡航性能改善に効果があるので、こちらの方が健全なタービン利用方法だったと思います。ただし大戦末期の状況では高々度隠密偵察の必要も、その偵察結果を活かした有効な航空攻撃敢行も行い得ない状態にはありましたが。

    >日本軍はまったく、B29に近づけなかったのでしょうか?
    これについては諸説ありますが、本当に1万メートル以上を巡航していたのは偵察型のF13であり、爆撃装備のB29は8000m前後の高度で作戦行動を取っていたようです。従って敵機侵入経路を掴んで先に上昇し待ち伏せしていれば、日本機でもB29は捕捉可能でした。
    日本邀撃機がB29相手に苦戦したのは、機体の高々度性能不足もさることながら、むしろ偵察網(高性能レーダー)の不備により敵機侵入警報が遅れ上昇時間が取れなかったことや、侵入経路への誘導が実にしばしば不正確だった事にあるようです(ドイツ・イギリスに見られた高度な地上官制迎撃システムは日本では完備し得ませんでした)。

    >私は敗戦理由の一つに排気タービンを搭載する事ができなかったのがあると思ってます。
    B29の被害は多少増えたかも知れませんが、排気タービン付き戦闘機をゴロゴロ配備できたとしても、とても「勝てる」戦いではなかったと思います。
    ただ夢物語として、当時の日本が排気タービン搭載機の大量生産に必要な希少金属や大量の燃料が南方へ進出せずとも確保できていたなら、日米間の国際関係は違ったものになっていたかも知れませんが。
    ささき

  2. 私も、そんなに詳しくないので、恥を晒すようなモノですが・・・。
    当時の日本で、排気タービンの搭載が試みられた航空機に、
    キ-83、キ-102、キ-108、百式司偵、彩雲、彗星があります。
    キ-83や、百式司偵は、実際に飛行し、好成績を残しています。
    また、高高度性能が優れていた諸外国機も、かならずしも全て、排気タービンを搭載していた訳ではありません。
    Ta-152Hや、P-51は、いずれも機械式の過給機(スーパーチャージャー)です。
    ただ、これらの機種は2段式スーパーチャージャー(圧縮機が直列2段に入っている)であったのに関わらず、
    日本のエンジンの機械式過給機は1段式でした(2段式も試作はされました)。
    くわしくは、このサイトの常連・たかつかささんの、ホームページをご参照ください
    http://www.belbel.or.jp/users/takatsukasa/air/charger.htm

    >実用化してもタービン温度の上昇を防ぐ為に燃料を多めに噴射する事

    自動車のエンジンで言うところの「燃料冷却」ですね。
    燃料冷却は、タービン冷却の為ではなく、
    燃焼室の異常燃焼や、バルブ・ピストンの温度上昇防止の為だったと思います。
    個人的には、当時のエンジンは、'80年代のF1カーのような高過給圧ではないのですから、
    燃料冷却による、燃費の劣化はそんなに大問題では無かったとおもいますが、(根拠無い僕の思い込みです)
    この部分の詳細は、他の人にお願いします。

    ところで、排気タービン関連の技術では無いですが、当時のレシプロエンジンにも同様の技術はありました。
    吸気バルブ付近に、メタノール水溶液を噴射する「水・メタノール噴射」です。
    無頼庵

  3.  私の尊敬する柳田邦男氏も日本が過給器の技術で遅れをとったことを重要視しています。
    日本の戦闘機に排気タービンがついていたら、もっと強かった、という考えは
    間違っていないと思います。

     一方、B-29の桁外れの高性能を、ひとえに排気タービンがあったから、と考えるのは、
    とんでもない勘違いだと思います。

     本土防空戦ああいった結果に終わったことを、ハードの性能面から考えると、
    「日本に排気タービンがなかったから」ではなく、
    「相手がB-29だったから」と考えるのが正解のような気がします。

     B-17やB-24、あるいはランカスターが相手であれば、
    結果は違ったものになったはずです。

    どんべ

  4. B-29による日本本土爆撃の初期に行われた高高度からの精密爆撃は、高高度飛行のため爆弾の搭載量が制限される、ジェット気流や冬場の日本上空の悪天候によって爆撃照準に支障をきたし爆弾が目標に命中しない、日本陸海軍戦闘機隊の邀撃のため意外に損失が多い、等の理由から失敗に終わっています。責任者アーノルド准将は更迭され、悪名高いルメイ少将に交代しています。日本本土爆撃で本当に効果が挙がったのは夜間低高度焼夷弾攻撃と、それに続くP-51Dの護衛を伴った中高度昼間爆撃で、従って高高度戦闘機はあってもなくてもそんなに戦局には影響を与えなかったはずです。
    NX

  5. 日本の排気タービン装備機の唯一の実戦参加と思われるものには、昭和20年7月にキ74試作遠距離偵察爆撃機によるマリアナのB-29基地に対する偵察行動があります。
    Schump

  6. 二十年三月二十五日の黒江保彦少佐が審査部のキー102甲でB29邀撃、撃墜を報告していませんか?出撃はこの前後に数回あったとも言われていますよね。
    BUN

  7. 二十年三月二十五日に黒江保彦少佐が審査部のキー102甲でB29邀撃、撃墜を報告していませんか?出撃はこの前後に数回あったとも言われていますよね。
    BUN

  8. 更に審査部所属の百式司偵四型が二十年三月に片倉少佐機と鈴木准尉機?が鹿屋に進出して沖縄方面の偵察に延べ十二回出撃したとも言われています。
    BUN

  9. 支離滅裂ですが、きっと酒が抜けたらもっと出てくるのでは、と思いますよ。
    BUN

  10. >5
     すみません。キ102の甲乙を取り違えて見逃してました。
    Schump

  11. (つづき)…のですが、「B-29を撃墜したキ102」については、手許資料が
    ・キ102乙
    ・キ102乙改造の排気タービン未装備のキ102甲
    ・当初からキ102甲として作られた排気タービン装備機
    と見解が分かれているのですが、どれが正しいのでしょうか?

    キ46IVによる沖縄偵察についても、世傑等には記載がありますが、審査部の片倉少佐が「記憶にない」としている資料もあります。これは単に「片倉少佐は沖縄に行っていない」ということなのでしょうか?
    Schump

  12. この件の真相はわかりません。「と言われています。」としか言えません。追々調べてみたいと想います。
    BUN


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