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1492 キ61の増槽の塗色なんですが、本当に黄橙色なのでしょうか。
世界の傑作機の野原茂さんの解説では「なぜか黄橙色が標準だったようだ」とされ、進駐米軍兵士の言葉も援用されています。写真を見ると確かに低い明度に塗られてはいますが、それにしても黄橙色とは目立つ色で、いまも半信半疑です。
諸賢の皆様、お導き下さい。
カルメラ兄

  1. あれはもう訂正が入っていて、黄緑一号に塗られていた、ということになっているはずです。「馬鹿な事を言うな」と手ひどく批判を受けてのことでした。黒っぽく写っている物は下塗りの状態と解釈されているようです。
    BUN

  2.  訂正されたものが正しいとは限りません。私の父は岐阜県各務原(かかみがはら)
    の航空廠に勤めており、三式戦等の整備などをしておりましたが、外部に懸架する
    燃料タンクは当初は黄橙色で、これは落下して地上に落ちても回収しやすいように
    塗っていたと証言しています。実際に回収にいかされてそうですが、それでもその
    色がなくなってくると、次第に下面色、さらには濃緑色と変わっていったそうです。

    国江

  3. ありがとうございました。黄色でもあり得る訳ですね。
    そうすると、三式戦以前の一式戦や二式戦の増槽は何色だったのか、と悩みは深くなりますね。
    BUN

  4. BUN さん、国江さん、ご教示ありがとうございます。
    黄橙色の増槽も実在していたのですね。その理由も回収の便を考えてのこと、となるとこれは組織的に実施されていたものか、通達のようなものがあったのか、外戦部隊ではどうだったのか、などなど、増槽の塗色ひとつとっても陸軍戦闘機の運用コンセプトに密接に(本当はそんな大層なモノではないのかも知れませんが)関わるものなんだなあ、との思いを強くします。
    いずれにしても、先人の知恵、あなどれません。
    カルメラ兄

  5. 黄色い増槽が実存したこと、それが「見つけたら通報する事」というような通達までだされた、組織的な運用を考慮されたものだったらしい事、にもかかわらず3式戦での使用例が僅かに伝えられるのみで、殆ど知られていない事、などを考えて見ますと、『ミカン色に規定されたのは、統一型の増槽に対して昭和18年ごろ』で、このころ統一型を使用していたのは3式戦のみだった、ということではないでしょうか。(1式戦も4式戦も統一型が使用可能になるのは19年の後半以降と思われます)
    規定してみたのはいいけれど、そのころ内地では増槽を投下する事態はなく、外地では回収は殆ど不可能なので、あっという間に廃れてしまったのではないでしょうか。本土空襲が激しくなる頃まで運用されていたのなら、もっと記録があってもよいはずです。

    FJ1

  6. FJ1 さん、ありがとうございます。
    説得力あります!既知のことが全て整合します。
    私もご見解を支持したいと思います。
    カルメラ兄

  7. 追記です・・・早速手近なウオツカの瓶を黄橙色に塗ってみました。天駈けるキ61の姿が目に浮かんできます。
    カルメラ兄


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