QQCCMMVVGGTT
1473 零戦が搭載している20ミリ機関砲は搭載弾数が少ない上に命中させるのが至難の技と聞きましたが、震電の30ミリ機関砲や、屠龍、月光の37ミリはどうだったんでしょう?
B17

  1. 樫出勇氏の「B29撃墜記」によると屠竜の37ミリは携行弾数15発、単発式(半自動?)で、樫出氏はB29の正面からぎりぎりまで突っ込んで主翼の付け根を狙うという戦法をとっています。
    後部から接近して攻撃を加える方法は屠竜の速力不足と、37ミリの弾道直進性の低さから効果は低かったようです。当たれば威力は大きいのですが、命中させるのは困難だったようです。
    はしもっちゃん

  2. 月光に37mmは積んでいなかったと思いますが。震電、彩雲夜戦、銀河夜戦には海軍五式 30mm 機銃が採用されていました。高初速で弾道特性も悪くなかったようですが低発射速度と装弾数の少なさがネックで、機銃自体の問題も100%解決されていた訳ではなかったようです。詳しくは国本氏の別館「航空機銃メカニック」や拙作「Aviation☆Planet」を参照してみてください。
    ささき

  3. 「・・・それから20ミリ機銃を使い始めてからですが、何発で墜とすか競争したことがあります。私の場合は最も少ない時で4発。そうなると相手は何で墜とされたのか全然気がつかない。とにかく20ミリは凄いですからな。」とは1957年の坂井三郎氏の発言。
     20ミリは当たらない、なんて事が言われ始めたのはここ十年位の事です。坂井三郎氏も戦闘機の射撃そのものの難しさは語っていますが、当初は20ミリをこのように絶賛しています。晩年の坂井三郎氏の意見が変わったのはその後の深い考察によるのでしょう。12.7ミリの多銃装備が良いとか、7.7ミリで十分だったというのは最近の話なのです。現実には20ミリは総合的に評価が高く、零戦の成功の大きな要因となっています。
    BUN

  4. 20mm4発で戦闘機(P-39エアコブラ)を落とした話は、かの「大空のサムライ」に出てきますが、敵機の死角から近づいて、敵がぜんぜん坂井機に気づかず水平直線飛行をしてるところを狙い撃ちしたときの話では。それって20mmの「命中時の威力」を誉めていても、決して対戦闘機戦闘での使いやすさを誉めてはいないのではと。
    憶測ですが、1957年といえばまだ「零戦」の「20mm神話」が強固だった時期で、取材した記者が、坂井氏から「20mm機銃の優秀性」の談話を引き出したくて、誘導尋問じみた手法で(記者にとって都合の良い)回答を引き出した可能性もあるかと。坂井氏はパイロット上がりでマスコミの対応になれてなく、この手の手腕に長けた記者にうまく言いくるめられた可能性も充分考えられます。
    NX

  5. >2 自己フォロー:五式 30mm は震電に搭載予定の他銀河、彩雲の斜銃、雷電の主翼銃などに装備され、一部の夜戦は実際に出撃したようですが、確実な戦果を挙げたという話は聞きません。拡大型エリコンである二式 30mm は雷電と零戦の一部に試験搭載され、30mm 搭載の零戦がラバウルで B-17 を墜とした記録があるらしいです。陸軍のホ 155 30mm は疾風1型乙などに搭載予定でしたが実戦記録は知られていません。薬莢一体型の特殊弾を使うホ 301 は鍾馗の一部に搭載されましたが問題続出で限定使用にとどまり、ホ 203 を拡大した 47mm ホ401 はキ 102 乙に搭載され「命中すれば一発で B-29 も空中分解」する威力を持ちましたが登場時期が遅くやはり限定使用にとどまりました。結局日本の大口径航空機銃で対大型機に最も戦果を挙げたのは海軍の 99 式 20mm、次点が陸軍のホ 203 37mm という事になります。

    日本海軍の 20mm 機銃主力主義に対しては各説ありすが、少なくとも敵対した米軍はこれを大きな脅威と捉え高く評価しています。ただし坂井氏が奮戦した頃の南洋制空戦においては、燃えやすい陸攻を援護しつつ片道数時間の長躯を飛び群がる米戦闘機を追い払うのが零戦の主任務でしたから、わずか数連射で撃ち尽くす 20mm の少装弾数は搭乗員にとって大いに不満だったろうことは想像に余りあります。
    ささき

  6. 記憶モードですが
    零戦のパイロットは戦闘が始まるとまず20mmを先に撃って空にしたらしいです。理由は被弾時の誘爆が怖かったとか。
    白熊

  7. 「誘爆・・・」は一般には有り得ないことでしょう。
    坂井氏の20mmに対しての評価の変貌はおそらく戦後の「エース坂井」としての時間の中で、色々な情報を検討して氏自身が「合理的である」と判断してのことだと思います。しかし、九九式20mmの一号銃、二号銃を比較すると、確かにデータ上は一号銃より二号銃が初速が大きく弾道特性が良いことが目立ちますが、二号銃導入の目的は「弾道特性の改善」では全くありません。
     九九式20mmは遅延信管を備えた徹甲弾を撃ち出す立派な大砲ですから長銃身の採用はあくまでも敵機、それも爆撃機に対しての装甲貫徹力の増大を目的としたものです。これは九九式二号機銃の導入を巡る記録に明言されています。それに弾道特性がもし問題になっていたのであれば、如何に生産数量が不足していたとは言え雷電に一号銃、二号銃の混載などされるはずがありません。坂井氏も著書で述べている通り、弾道特性の良好な7.7mmですら非常に近距離での射撃を心掛けているのですから20mmの弾道特性を坂井氏やその他の零戦搭乗員が深刻に問題視したことは恐らく無かったでしょう。これに対して装弾数は当初から問題となっており、開戦前より100発ドラム弾倉が開発され、その後のベルト給弾による更なる弾数増加へと向かっています。
     12.7mmへの後知恵的な過剰評価などは、兵器の比較検討という意味では有効ですが、このように機銃を性能諸元のみで比較すると、それが実際に使われていた当時の本当の評価、有効性を見失う良い見本ではないかと思います。


    BUN

  8. うーん・・・
    確か「零戦の真実」か「続大空のサムライ」の中で坂井氏自身、「機銃は20mmよりも12.7mmのほうがよかったな」といってましたが。パイロットの戦闘スタイルで兵器の評価はいかようにも変わるのであれがいいこれが駄目とは一概に言えません。
     ただ注目すべきは一撃離脱を得意としていた坂井三郎氏が威力のある20mmより12.7mmを推していたことでしょう。

     あと誘爆の件ですが零戦パイロットの談話なので信憑性は高いですがどの資料に書かれたか思い出せません。(資料は実家・・・結婚しないも地獄するも地獄・・・)



    白熊

  9. >弾倉の誘爆
    ガンカメラ映像で被弾した Fw190 の右翼が中ほどから爆煙とともに吹っ飛んでキリモミに入り墜落するシーンを見ました。スピットやタイフーンのイスパノ 20mm SAP/I 弾を受けたのかも知れませんが、いくらイスパノが高威力でも一発で Fw190 の頑丈な翼を吹っ飛ばすのは無理そうに思えます。あれは弾倉が誘爆したのではないかと思っているのですが…。
    ささき

  10. 坂井三郎氏は12.7mmを実戦で使用したこともありません。評価のしようが無いのですから、まさに「後から考えた結論」だということでしょう。それが正しい結論か、そうでないかは別の話です。また坂井氏は航空戦が激化する以前に負傷して前線を退いていますので、20mmに対しての評価の見直し時期に戦場に居ない為、20mmと他の銃の比較検討を実戦を通じてしっかりと評価するチャンスは無かったと思われます。九九式20mmについては弾丸の威力不足は指摘され、改良の課題として航空本部でも取り上げられていますが、弾道特性については触れられていません。17年夏から秋にかけての戦訓収集においてそのような評価がまとめられた訳ですが、二号零戦問題などが同時期に発生し、現地部隊の発言権が戦時を通じて一番大きかったと思われるこの時期に弾道についての批判が為されなかったのですから当時の零戦搭乗員の20mmに対する平均的な評価は晩年の坂井氏とは全く異なるものだったのでしょう。一方最近「合理的」と評価されることがある12.7mm6挺の多銃装備ですが、実際には米軍は重量過大と評価していたようです。12.7mmについての評価も国内の某作家が触れた途端に高くなった印象がありますし、ある種の流行であると思います。これもその見解の是非は別として、当時の評価とは別のものだと考えるべきでしょう。
    BUN

  11. 如何に誘爆を恐れても、その為だけに弾薬を使い切ってしまうことは有り得ません。それが当時の搭乗員の一般的な行動であるとすれば、弾数増加の要望は前線部隊のどこから出たことになるのでしょう?強力な20mmを優先的に発射して7.7mmを予備に残すと言う事も考えられなくはありませんが、当時の記録でも7.7mm弾はちゃんと大量に消費されていますので、多くの零戦は貴重な射撃チャンスには迷わず20mmと7.7mmの同時発射を行っていたのではないでしょうか。
    BUN

  12. >坂井三郎氏は12.7mmを実戦で使用したこともありません。

    確かにそうですね。でも12.7mmに撃たれてます。寮機が撃ち落とされる様子も見ているはずです。その中で得た結論であると思いますが。
    奇跡の生還を果たすまでに少なくとも50機は撃墜してます。彼我の兵器の優劣を判断するには十分であると思いましたが。
    「旧軍の資料はうんぬん・・・」なんてことぬかすと張り倒されそうですが必ず現場の意見が100%通ったと考えるの少々考えものかも知れませんがどうでしょう?「防弾設備を入れてくれ!」という切実な願いも「卑怯者!」の一言で一蹴されちゃうんですから。「無線機何とかして!」と言っても「無線機で敵機を落とせるか!」ですからね。「20mmはいらないから12.7mmにしてくれ」と言うもんなら「貴様!何考えてる!」て言われる可能性大。ゼロ戦のウリ(コンセプト)を根底から覆すもんだから。思ってても言えなかったかも。現代社会でもそうなんだし。会社の方針と現場の要望なんて時としてトレードオフになりやすい。(こないだ現場に叱られた・・・・)
     車を趣味とするものとして言える事は「スペックで語ってはいけない。車と女は乗ってみるまでわからない」です。
     
     前にもパイロットの戦闘スタイルでいかようにも変わると書きましたので20mm先出しは一般的では無いのかも知れません。でも過酷な戦場を生き残ったパイロットの証言なので信じることができると思います。

     何だか議論ボードになっちゃいましたけどご容赦ください。「生死をさまよった証言者の信憑性が高い!」ということを最後に付け加えます。
     

    白熊

  13. M2 12.7mm については坂井氏の著書のほか、松本零士氏の漫画の影響で少々過大評価されているように思います。米軍の戦記を読むと 12.7mm にはジャムが多発したようで(特に過重のかかった状態で発射すると弾薬ベルトがよく詰まったようです)、6連・8連など多銃装備の背景には機銃故障への対策という意味もあったらしいことが伺えます。
    白熊さんの意見もご尤もだと思いますし、実際に命を賭けた方々の証言は尊重すべきとも思います。しかし戦場においては常に「敵の持つ兵器は何でも良く見える」傾向がある事も確かではないかと思います。
    また、海軍よりずっと早く一式 12.7mm を整備した陸軍航空隊の戦記においては、12.7mm に対する威力不足の嘆きや 20mm ホ 5 に対する期待・威力の絶賛が描かれている事も同時に考えるべきではないかと思います。

    ささき

  14. 12.7ミリを羨望するような発言は、むしろ20ミリ機銃の発射速度(単位時間あたりの発射弾数)に物足りなさを感じてのものだったように思います。これも戦後の後知恵ですが、零戦の設計者堀越氏が、発射速度の高い5号銃が理想であったと書き残しています。堀越氏こそ、実戦経験がないわけであり、坂井氏が堀越氏への有力な情報ソースであったのもまた事実です。


  15. 20ミリ銃の誘爆の件は、紫電改の菅野大尉のことではありませんか?


  16.  私も「誘爆・・・」についての記述を何処かで読んだような気がします。でもね、それが本当なのかどうか、一般的な事だったのか、はまた別の問題なんですよ。
     たとえ死線を越えた搭乗員が語った事であっても相互に矛盾する証言も幾らでもありますし、それらを噛み分けるのは大変な作業だと思います。坂井三郎氏が初期の発言の中で20mmを高く評価しているのは事実ですし、80年代に論調が変化し、雑誌記事上でそのことが取り上げられたこともあります。
     また、お互い職場では苦労しているようですが(笑)、現場の声が頭ごなしに無視されたとも言い切ることはできません。海軍上層部は無線の改良にはかなり熱心に当たっていますし、防弾の件に関しても、海軍機の防弾装備充実の必要性を最も早期に論理的に筋道を立てて論じたのは、一般には意外な印象のある大西瀧二郎です。逆に無線機を降ろしたり、装甲板を外したりした事例は現場が主体であった場合も多く、「現場の悲痛な訴え」と「上層部の無理解」というわかりやすい図式は事実と言うにはやや陳腐さが目立ちます。事情はもう少し複雑なようです。

     松本零士が出てきたついでに当時の将兵の兵器に関しての考え方について触れますが、松本作品の「パイロットハンター」に登場する狙撃兵が語る「これしか無いから、これが一番なんだ」との台詞のようなものではないでしょうか。私たちはそうした話を聞きたい気持ちが押さえられませんが、実際には将来配備されるかもしれない新兵器や改良すべき装備等を批評的に語る視点も余裕も無かったであろうと私は考えています。
    BUN

  17. 誘爆の件、思い出しました。17年2月19日にスラバヤで戦死した、台南空の浅井正雄大尉の件ではありますまいか。


  18. ちょっと坂井氏から離れましょう。坂井氏が全海軍を代表しているわけでもありませんので。
    横空小福田少佐が取りまとめた戦訓所見として、二〇ミリ機銃は二号銃となって威力は増したが発射速度不足であり、米戦闘機の一三ミリ機銃が侮りがたいのはこの点で勝り同一場所に多数の集中弾を得られることである、将来的には大口径のみに耳目を奪われることなく、初速と発射速度で有利な中口径に考慮する用があるだろう、というものがあります。このあたりが12.7ミリ優越論の原点ではないでしょうか。


  19.  確かに。一搭乗員の証言だけ取り上げても仕方がありません。
     13mmは支那事変中に一度、20mmに代わり艦上戦闘機の主兵装に選定されかけて、そのままお蔵入りになった経緯を持つ銃ですから、無理に原点を辿ればそこまでは遡れるでしょうが、少しニュアンスが異なるような・・・。
     戦争中期に復活する際も、発射速度も(陸海軍ともにそれ以前から)当然重視しているのですが、やはりその「貫通力」を評価されて20mm二号銃の生産不足を補う形で導入されています。特に「弾道特性」を評価された形跡は無いように思いますよ。

    BUN

  20. 『各種固定機銃弾道低下量ナラビニ弾丸飛行秒時表』というのが、弾道低伸性の評価資料だと思うのですが、これによると、射距離200メートルでの低下量は、
     三式十三ミリ 23センチ
     九九式二〇ミリ二号 26センチ
     九九式二〇ミリ一号 37センチ
     九七式七ミリ七 26センチ
    といった具合です。この200メートル先での10センチの差をどう見るかですが、言うほどのことでもないのではないかと思ってしまうのは、わたしに実戦経験がないから?


  21. Gをかけながら撃つと、その差はもっと広がるのではないでしょうか。
    NX

  22. お久しぶりでございます。
    「12.7ミリを羨望するような発言は、むしろ20ミリ機銃の発射速度(単位時間あたりの発射弾数)に物足りなさを感じてのものだったように思います。」
    私も同感です。
    端的に言って20mmを持つ零戦は修正なしで射撃できる真後ろ、それも近距離に近づかなければ命中が期待できないのに対して、12.7mm多銃の米軍機が衝突コースからの見越し射撃、それも遠距離からの射撃が可能でした。
    日本側の戦闘詳報や報告の類にはこの点がしばしば脅威とされています。戦後のある時期に、零戦神話とそれに付随した20mm神話が喧伝された中では黙殺されたものの、戦時中の一次資料ではやはり逆なわけです。
    実際に第一線で戦った坂井氏の感覚がそれと離れた物だったとは思えません。
    自動火器というのは基本的にワンバーストの弾幕で敵を押し包んで命中させてなんぼのもので、戦闘機の固定兵装も例外ではないと思います。
    戦後の米軍機が今に至るまで20mmのバルカン砲(今の基準では中口径)を使用し続けているのも基本的に同じ理由ではないかと思います。
    そういえば「20mmは百害あって一理なし」という有名な12空所見でも、13mm級を薦めていました。となると13mm級が対戦闘機戦で20mmよりましであるという意見は日本海軍が初めて本格的な空中戦闘を経験した当時からあった訳です。
    舞弥

  23. お久し振りです。お元気でしたか?

    発射速度が重視されていたのは他の口径の機銃でも同様ですので事実ですが、日本の13mmは翼内装備で片翼一挺ずつです。米軍の場合とは少々異なるものがあります。それに米軍のM2であってもそう極端な見越し射撃は困難です。それは照準器の改良を見れば明らかでしょう。
    また、零戦の武装が検討されるのは常に対爆撃機戦闘での効果についてですので、対爆撃機用の戦闘機であった零戦が20mmを搭載するのも、またその改良が望まれるのもその線に沿ってのことです。20mm一号銃についての海軍の評価は航本機密第八四三一号「戦闘機ノ機銃威力増大に関する件通知」にある通り、まず第一に貫通力の不足なのです。弾道特性は第二の要素であり発射速度は問題にもなっていません。二号銃の採用の背景もここに書かれていますが、13mmを発案した航空本部側でさえ、もはや13mmを検討に入れていない様子が明確に示されています。ただ、携行弾数の増加の観点からマウザー15mmを検討しているとの内容が示されています。とにかく重視されているのは貫通力と装弾数なのです。零戦の兵装の改良もこの方針で行われています。ですから「戦時中の一次資料ではやはり逆」とは言えません。まともな戦闘をしていない十二空戦闘機隊の感想だけが一次資料ではありません。
    単に新型兵器への違和感と捉えた方が正確ではないでしょうか。大口径の20mm機銃は現場にとってそれだけギャップの大きな新兵器だったということなのでしょう。

    またGがかかっても弾道特性の差が広がることはありません。
    BUN

  24. 十二空戦訓についてはBUNさんのおっしゃるとおりと思います。これが出されたのが13年4月。20ミリの実銃が九六式一号戦改などで搭載実験を経験し、空戦時の命中率を評価されるのは14年8月のことなのですから。観念的な産物にしてはかなり幅を利かせ、戦闘機開発計画に影響を与えた十二空戦訓ですが、これはいわゆる戦闘機無用論に対する反動であると理解するのが妥当なところではないかと思っています。戦闘機たるもの、敵攻撃機だけじゃなく、敵戦闘機ももっと眼中にいれなくちゃね、的な。


  25.  三式十三粍固定機銃の実戦での評価はどうだったのでしょうか?もし好評なら、この辺も12,7o羨望に関係があるような気がするのですが。
    tomo

  26. >21.
    >Gをかけながら撃つと、その差はもっと広がるのではないでしょうか。
    >23.
    >またGがかかっても弾道特性の差が広がることはありません。

    この場合、もう一つ別の要素がからんできます。
    いわゆる後落というのは、仮に弾道が直線だったとしても、Gをかけて機動している「機体から見て」弾丸が沈むという事ですから、二種類の弾丸が全く同じ弾道を描いたとしても、弾丸の速度が違えばパイロットから見た後落量が違います。戦闘機の射撃は敵機と弾丸を未来位置でランデブーさせる事ですから、敵味方が激しくGをかけながら位置関係を変えている状態では、誤差が問題にならない相当の至近距離にまで近づかない限りは、速度の違う二種類の弾丸を同時に敵機に命中させる事は出来ません。

    20.で片さんが挙げられた部分の数字から読み取れるのは、あくまでも銃を地上に固定して測定した時の比較であり、空中でGがかかった状態を考えるためには、二種類の弾丸の速度差が重要な要素になってきます。
    坂井氏は20ミリは敵機が急激な動きに入る前に「据え物斬り」の状態で使えと書いていますが、これは直線飛行している敵機を不意打ちで襲う場合や、相手が爆撃機の場合なら、20ミリも7.7ミリとそれほど変わらない弾道が期待できるが、Gをかけて姿勢を変化させている状態では、つまり機体が縦横の旋回をしている状態では、初速の遅い20ミリは(パイロットから見て)7.7ミリよりも後落した弾道を描いてしまい、有効に当てる事は難しい(両方を当てる事は出来ない)という意味です。

    坂井氏の記述をよく読むと、20ミリの弾道に言及する際には、「格闘戦では」とか「対戦闘機戦では」という但し書きが付いています。手記の中でも爆撃機に対しては20ミリを良く当てていますし、「この敵を落とすのに20ミリはもったいない」と7.7ミリだけを発射する場面もあり、坂井氏は文句を言いながらも、並のパイロット以上に有効に20ミリを使っていた様子が伺われます。『零戦の真実』には、四発以上の大型機に対しては、20ミリの有効性を認めているような記述もあります。対爆撃機の場合は弾道よりも、弾数の少なさと、あっという間に撃ち尽くしてしまった後の機銃の重量の方が不満だったのでしょう。

    坂井氏が20ミリの採用が失敗だったと述べるのは、これらのプラスマイナスを総合的に考えた上での判断なのだと思います。
    MITTU

  27. >坂井氏が20ミリの採用が失敗だったと述べるのは、これらのプラスマイナスを総合的に考えた上での判断なのだと思います。

    私もそう思いますが、それは戦後かなり経ってから至った結論であると思います。
    坂井氏が言わなかった事まで補足して頂きましたが数十メートル(坂井氏は信じられない程近距離で射撃すると主張していますよね)で行われた射撃で初速600m/sの20mmと750m/sの7.7mmに有意な差が出るのでしょうか?

    BUN

  28. 念のため書くと、別に米軍機が正確な見越し射撃を行えたと書いたつもりはありません。ただそれがジャイロサイトが装備される以前から、第一線の日本軍側に脅威とされる程度の効果は十分にあったという事です。
    零戦が対爆撃機用の戦闘機であり、その為に20mmを積んだとする意見は、意味は分かりますが断定がすぎます。侵攻用の長距離戦闘機が対爆撃機を第一義的に想定したら、それはまずいでしょう。
    結果的には日本軍はB17と遭遇してそれへの対策に追われる訳ですが、零戦が最初からそのような事態を想定して開発されたとは思えないし、もしそうだったら零戦とは違った戦闘機ができあがったでしょう。
    また海軍の開発方針がどうだったかという事は、20mmと13mmのどちらが有効であったかという問題とは別の問題だと思います。海軍の開発方針はすべて正しかった訳ではなく、また実状をそのまま反映した物ではないですから。
    それから貫通力や弾道特性(旋回時の見かけ上の後落等も含めて)に関しては、以前のans.qで一通り書かれたと思うので、今回はふれません。
    それから、米軍の12.7mmと日本の20mmを比較しているのは12空ではなく、太平洋戦争中の各部隊ですので、これも念のため。
    それからもひとつ。12空の所見というのはかなり読み方が難しい資料で、うわっつらで読むと多くの人はバカにしていまいますが、あれでなかなかおもしろいんですよ。


    舞弥

  29. 「20mmの低評価」論。
     現在語られている20mm機関砲の低評価が、当時の現場のコモンセンスだったのか、疑問です。むしろ坂井氏の旧い発言などの好評価論のほうが近いのではと考えています。

     当時のコモンセンスを浮き彫りにするためには、当時の真実や事実をパッチ当てするだけではだめなのです。坂井氏の見解では…?でもそれは一個人の見解にすぎないと観ずれば、コモンセンスとして取り上げるのは無理があるでしょう。当時第一線に在って、一流の業績と実力のある人の言葉であっても…?もちろんそうです。では、他の多くの人の見解と併せれてみれば?…それだけでもだめなのです。

     一種の…現場感覚といいましょうか、それを使わなくてはならないのです。ここでは「機関砲という、商売道具としての評価」と言い換えられましょうか。当世風に言えば、

    「どんな武器使っていようと、弾を当てられる位置に自機をつけて、当たるポイント目掛けて引き金を引く。これが一番大事。メチャメチャ難しいけど、これさえできれば例え素人だろうと当てられるよ。当てられるんだったら撃ち落すこともできるよね?なら20mmでも7mmでも結局おんなじだよ。
     でも単発機相手ならともかく、重爆相手ならワンチャンス生かすしかないしぃ…こんなときなら20mmのほうがいいにきまってるよね?アレほんとすごいよ〜(^-^)20mmは発射速度や射程距離が劣ってるって?そりゃもちろん、あるに越したことはないし、そこんとこ兵器廠に文句いいたいけれど、弾が大きくて重かったら、劣ってても仕方ないじゃん?ともあれ今のお勤めこなすにゃ、これどうにかして使いこなすしかないのよ。でなきゃ自分も仲間も死んじゃうしね。
     でも弾数少ないというのは困るよね〜。弾が尽きたら敵倒せないし、援護もできないじゃん。撃たれても反撃できないから退避するしかないしぃ…そりゃ逃げたらダメなときは体当たりでもするしかないかもしれないけれど、そんなこと毎回できるわけないよ。どのみち少なかったら仕事にならない(T_T)」

     こんなところでしょうか(^^;
     浮き彫りになってくるのは『発射速度や射程距離が劣っていることに不満を見出すことはあっても、不利・不便であると現場やそれ以外の人間は考えていたのか?』です。
    BUN氏らのコメントから考えると、恐らくNOだったと思います。故に、私は低評価論が流布していたとは思えないのです。ましてや現役の、プロ中のプロだったなら「当てられるまでの段取りができたなら同じだよ。20mmでは確かにそれは難しかったけど…できないってのは腕がないから」という気がしてなりません。

     では坂井氏の論の変化は如何なる根拠に基づくものだったのでしょうか?
     まず、最も有効な武器選択の最適解は、彼我の戦闘スタイルと彼の防御力から割り出すべきものなのではと私は考えます。それが判り易い文章を引用します。

    『戦闘機を設計する際、速度と格闘性(せまい意味の操縦性)のどちらを重視するかで武装の方針も決まってしまう。[中略] つまり後者[軽戦闘機のこと:引用者註]ではどうしても空戦時間が長くなるし接近戦になりがちだから、携行弾数を多くしかも重量の軽い小口径機銃のほうが望ましかった。』(碇義朗「戦闘機入門」広済堂出版 第五版 72ページ)

    『一発当たりの威力は小さいが発射速度と携行弾数の多い七.七ミリ機銃と、威力は大きいが発射速度が劣り(一分間に発射できる弾数が少ないこと)、携行弾数も少なくなるニ〇ミリ機関砲のそれぞれの特長を生かすべく、その中間をとったのがアメリカだ。』(前出 74ページ)

     坂井氏は戦後米軍機にも乗り、米軍パイロットとも色々話されていますが、それから「零戦の戦闘スタイルと米軍機の防御力を考慮すると、零戦にはアメリカ式(13mm多重装備)が最適だったのではないか?」という考えに至り、零戦の20mmの評価を変えたのではないでしょうか。これは単に、坂井氏が現場感覚を離れて、研究家としての視点を獲得したがゆえだと思ってます。

    ごるぴゐ

  30. 素晴らしいです。よくぞまとめてくれました!
    舞弥さん、御免、零戦そのものについてはまた後でね。
    BUN

  31. まあ確かに「与えられた兵器に文句を言うな、使いこなせないのは自分がへただからだ」といった考え方は現場では当たり前で、日本軍においては特に顕著ですね。
    ごるぴゐさんの意見は、零戦を「軽戦」と捉えている点でBUNさんの意見とは全く違いますが、これ以上やると収拾がつかなくなるし、過去のans.qで話された話題でもあるので、ここまでにしましょう。

    ところで「1957年の坂井三郎氏の発言」というのは「大空のサムライ」が出版された直後の「航空情報」のインタビューですか? 手元にはないけど、記憶では坂井氏は格闘戦否定論など今につながることをけっこう言っていて、逆に「この人は昔からこんな事を言っていたんだな」という印象を受けましたよ。20mmの部分は記憶にないですけどね。
    本を書く上で、あるいはインタビュー記事が載る上で、編集者なりインタビュアーなりの望む方向に誘導されたという部分は少なからずあるように思いました。
    まあこれ書くと長くなってしまうけど、坂井氏は別に後からの考察で今のような発言をされている訳ではなく、(戦後自分の中で整理したにしろ)戦争中から「わかって」いたからこそ生き残れたのだと思います。
    舞弥

  32. 舞弥さん、件の記事は復刻されていて、今読めますよ。
    記憶に無くても記録にある、ということでしょう。
    それ以降の「想像」に関しては私は発言いたしません。
    BUN

  33. >27.
    >数十メートル(坂井氏は信じられない程近距離で射撃すると主張していますよね)で行われた射撃で初速600m/sの20mmと750m/sの7.7mmに有意な差が出るのでしょうか?

    「据え物斬り」の場合や、浅い角度で直接照準が可能な程の近距離に付けてしまった場合なら、弾丸の速度差は特に問題にならないと思います。
    しかしこの初速の差は、0.1秒で15メートルもの差になってしまいますから、戦闘機との格闘戦には無視できない影響を与えたと思います。

    仮に直線飛行している敵機に対して、Gのかからない状態で、角度を持って撃った場合を、相対速度がないものとして大雑把に計算すると、射距離75メートルから7.7ミリが弾着した時に、20ミリ弾はまだ15メートル後ろにいる事になります。敵機の速度を秒速100メートル(時速360キロ)とすると、弾道が完全に直線だったとしても、7.7ミリとの弾着の誤差は2.5メートル。射距離150メートルだと5メートルの誤差になります。
    敵機の速度を秒速120メートル(時速432キロ)にすると、射距離75メートルでの誤差は3メートル、射距離150メートルでは6メートル、200メートル離れると8メートルの誤差になります。

    「続・大空のサムライ」のB-26に攻撃をかけた部分に、これに近い状態の描写があります。
    『後上方から、OPL照準器いっぱいに、敵機をとらえた。急降下ですごいスピードだ。操縦桿がいやに重い。敵の乱射する弾丸が、私の左右をきらきらと流れる。すこし遠いが照準器にぴたりとはいっている。二百メートル! 私は自信をもって発射把柄をにぎった。七.七ミリがおもしろいように命中する。二十ミリはまだ当たらない。・・・』

    格闘戦に入ってしまえば、ただでさえ有効な的の範囲の小さい戦闘機同士が、お互いに激しくGをかけて動き回るわけですから、命中させるための修正量が異なる二種類の機銃を、一つの機体から同時に発射して両方命中させるのは、至難の業だったでしょう。

    ちなみに『零戦の真実』によれば、日本海軍戦闘機隊の機銃の調整は200メートル一点照準(「続・大空のサムライ」では、150〜250メートルで部隊によって異なるとなっています)、坂井氏は許可をもらって150メートル一点照準に調整していたそうですが、それ以上のぎりぎりまで近づいて射撃していた坂井氏が、それでもなお
    『格闘戦、巴戦で二〇ミリを有効にあてる人がいたらその人は名人だ。私などにはとてもできない。』
    と証言しているのですから、格闘戦で20ミリを当てるのは、余程難しい事だったのだろうと思います。
    MITTU

  34. 20ミリは当たらないというのが、一般の愛好家にまで言われ始めたのは最近の事ですが、坂井氏は昭和45年に出版された「続・大空のサムライ」では既に、当たった時の威力を絶賛する反面で、今とほぼ同じ内容の20ミリ批判を、数ページを使って書いています。
    そして20ミリへの疑問を持ち始めた時期については、

    『だが、零戦が世界に先駆けて採用した二〇ミリ機関砲については、一般の人は、それが画期的な英断であるかのように評価する人が多いようであるが、命中すれば絶大なる威力を発揮した二〇ミリ砲については、実戦に使用してみて、私ははじめから終わりまで、大きな疑問を持ちつづけてきた。いや、疑問というよりは、はっきり言って不満であったといった方が当たっているかもしれない。』

    と、後年になって考えを変えたのではなく、20ミリを実際に使用していた戦時中からずっと、不満を持ち続けていた事を述べています。
    広く読まれた筈の手記の中で、遅くとも30年前には発表されていた20ミリ批判が、何故最近まで大きく取り上げられる事がなかったのかというのも、面白い問題かもしれません。

    また20ミリの後落量についても、興味深い記述がありました。
    『七.七ミリは相当のプラスGをかけても、まっすぐに飛んでいくが、同時に撃った二十ミリの弾丸は、敵機の尾翼の後ろをかするようにして落ちてゆく。』
    ↑33.の数字は、Gも相対速度も考えていない大雑把なものですが、20ミリは7.7ミリに比べて、実戦ではメートル単位の後落を起こしていたのは、間違いなさそうです。


    ただ坂井氏の抱いていた20ミリへの不満を、当時の全搭乗員が同じように持っていたかについては、疑問が残ると思います。坂井氏は「続・大空のサムライ」の中で

    『翼の前縁いっぱいに火を噴いて、何回も何回も撃ちかけ、あびせかけてくる敵の六梃の十二.七ミリ機銃の威力を、まざまざと見せつけられるときのくやしさは、忘れられない。このことだけは、いつも羨ましいと思ったものだが、これは私だけではない。』

    と書いていますが、その一方で、

    『よく若いパイロットが、二十ミリを撃ち込んだのに、なかなか敵は落ちなかったと口癖のように言ったが、実際には、撃つには撃ったが、命中していないからなのである。』

    という記述もあり、若いパイロットにとっては、弾道を云々する以前に、自分の撃った機銃弾が当たったかどうかの判定さえ難しかったようです。
    また、これはどこにあった記述か失念してしまったのですが、四発大型機は20ミリを撃ちこんでも落ちないという報告をよくよく調べてみたら、敵機の大きさに惑わされて遠距離射撃になっていたために、実は20ミリ弾は当たっていなかったという大戦初期の逸話のように、搭乗員が並のパイロットだった場合、弾道不良が威力不足と誤認されるケースもあったようです。機銃についての正確な考察も、ある程度以上の撃墜経験がないと難しかったのでしょう。


    しかしそういった事も総合して、坂井氏は、
    『零戦にはないすばらしいものを見せつけられて、くやしい思いをすることは、たびたびであった。』
    と言いながらも、
    『しかし、私たちは敵の戦闘機に乗り換えて戦いたいなどということは、一度も考えたことはなかった。敵戦闘機にも数々の大きな欠点があり、やはり私たちは、零戦がすばらしい、零戦こそわが命、零戦を愛機として戦うことを誇りとしていた。』
    と、その当時の心情を綴っておられます。

    当時の搭乗員の感じ方としては、BUNさんの挙げられた
    >「これしか無いから、これが一番なんだ」
    というのが一番近いのではないかと、私も思います。

    (引用は全て「続・大空のサムライ」昭和45年 光人社)
    MITTU


Back