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フィンランド空軍からみのQです。 フィンランドがイタリアの戦闘機に対し購入意欲を見せたのは、R計画後の 1937年ミラノ・サロンのことだそうですが… 1、R計画とは単純にイタリア空軍低翼金属単葉戦闘機調達プロジェクトと考えて 間違い無いでしょうか? 2、なぜフィンランド当局はフィアットG50に目をつけたのでしょう? 同じエンジンなら マッキの方が性能がよかったのにもかかわらず。 1、2、どちらか、または直接的な答えでなく、関連性のあるご示唆でも大歓迎です。 どうかご教授ください。 まるき |
だいたい、そういう計画です。世界的流行に沿ってのことですが、引込脚が仕様に入っている点では、多少先進的ともいえます。
ただ、注意したいのは、この計画はCR32を更新すべきものであって、CR42に対するものではない点ですね。CR42の計画はR計画とほぼ並行しており、R計画戦闘機群に対する保険という意味合いもありました。
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これは、MC200が間に合わなかったから、というだけの理由かと思います。
MC200は初期不良のデバッグのために量産の立上りが遅れ、量産機は39年夏までラインを離れていません。
もちろん、フィンランドに輸出する余力などあろうはずはありませんし、本家のイタリア空軍でも、戦力化には40年春までかかっており、対仏参戦時にはぱりぱりの新鋭戦闘機だったわけです。
G50も、フィンランド空軍が行なった試験では、急降下速度830km/hを出し、水平速度も一応フォッカーDXXIを上回るものがあり、コクピットの防弾鋼鈑を標準装備、空戦機動性は欧州の戦闘機としては出色であるなど、かなりの好印象で受けとめられたようです。
まなかじ
しかし、830km/hって、G50の速度計にそこまで目盛があったのだろうか??
また、1940年6月時点のイタリア空軍在籍のMC200の機数144機という数字がありますが、これを1939年8月から逆算すると月産20機弱で、大戦中の生産数と比較しても、マッキの工場は能力一杯の全力生産だったようです。
まなかじ
まるき