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1403 WW2当時の日本の戦闘機の風防はどれも窓枠が多いものばかりですが米軍のP−51のように風防の窓枠が無い戦闘機は計画機も含めてあったのでしょうか?
また日本機に窓枠が多い理由は何故でしょうか?
僕の推測では
技術的に困難
局面ガラスによる視界の歪みへの考慮
ぐらいにしか考えられませんでしたが・・。

旧軍X

  1. 風防の作り方はアクリル板のヒートプレスです。大きな凸面にしようとすると、アクリルが引き伸ばされ、薄くなります。薄くなり方が均一でなければ、部分的にレンズ状になり視界が歪みます。これを避けるには、引き伸ばし量が比較的小さくて済む、二次曲面に近い形の小パーツに分割して成型することです。それを組み上げたものだから枠が多いのです。


  2. >風防の作り方はアクリル板のヒートプレスです。
     一瞬プラモの話かと思った(笑)。
    そうだとすると、「一体型のでかい金型を造ることができるか」とか、
    「でかいプレス機があるか」といった問題もからんできますね。


     
    どんべ

  3. 金型じゃなくて、木型らしいです。


  4. 歪なく大型の3次元曲面を成形する生産技術がなかった、というのが支配的だとは思うのですが、被弾など破損した場合の補修を考えた時、細かく分割されていた方が部品の供給や修理作業が楽なので、これでヨシっ、としていたのかもしれません。
    便乗質問になりますが、P-51Dのような大型の、しかもネガになっている曲面をどう成形したのでしょうか?奇妙なカーブを持っていますし、個々のバラツキも大きく、型で作ったように思えないのですが…。枠の部分だけ強制して、ブロウ、または自重でやったのでは、と想像していますが、ご存知の方」がいらっしゃいましたらご教示お願いできませんか?
    FJ1

  5. どこに書かれていたか見つからないのですが、私の記憶ではP-51Dの風防はブロー成形でつくられていた、とどこかで読んだ記憶があります。
    OR


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