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1344 火龍に搭載が予定されていた「ネ230」、「ネ130」の開発メーカーはどこなのでしょうか。また、空技廠以外でジェットエンジンの開発は行われていたのでしょうか。2点になりますが教えてください。
yuji

  1. 基本的に、排気タービンの開発をやっていたメーカーは、軒並みジェットエンジンに動員されたのではないでしょうか。空技廠内でも、ジェットエンジンと排気タービンは同じ部署でやっていたと思います。
    さらにいうなら、萱場のラムジエット!


  2. 石川島がネ130、日立はネ230、三菱はネ330といった様に各社で開発は進められています。また技術的には東大航空研、陸軍第二航空技術研究所と川崎など、片さんのおっしゃる通り総がかりでの開発が進められています。
    BUN

  3. ネ130(旧名TR130)は石川島芝浦タービンによる開発です。
    ネ230(旧名TR230)は中島飛行機と日立製作所の共同開発です。
    ネ330(旧名TR330)は三菱重工業・日本鉄建の共同開発です。
       ネ330の2号機〜4号機の生産は新潟鉄工所が担当しました。

    上記3機種は、どれも海軍空技廠が発注元です。
    防衛庁戦史研究室の調査結果によれば、いずれも技術指導は陸軍が受け持ったことになっていますが、日立側の記録には海軍と東北大学だけが出てきます。
    三菱側の記録には陸軍の話は出てきません。陸軍工廠OBが書いた陸軍工廠史でもネ130〜330は海軍のジェットエンジンだと簡単に紹介されている程度です。
    海軍側の記録ではネ130の運転試験だけ陸軍に依頼したようです。

    片さんの書くように、海軍空技廠では排気ガスタービン過給機(ターボチャージャ)とジェットエンジン開発は同一部門がおこなっていました。但し、カ10(パルスジェット)だけは別部門が担当しました。

    初期の海軍のターボジェットつまりTR・TR10(後にネ10に改名)・TR10改(ネ10改)・TR12(ネ12)・TR12A・TR12B(ネ12B)はいずれもYT15というターボチャージャを改造して作ったものです。

    萱場のラムジェットは萱場四郎(資郎とも書く:社長)の発案で陸軍航空本部の資金で開発がおこなわれました。

    東北大学が海軍空技廠の顧問をしました。

    昭和1ケタの頃から東北大学はガスタービンエンジンの研究で海外で有名でヨーロッパの技術者も東北大学の沼知教授の論文を参考にエンジンの研究開発をしていました。海軍空技廠のジェットエンジン開発の総責任者の種子島時休は若かりし頃、ヨーロッパへ留学した事があり、その際、スイスのガスタービン研究者から沼知教授の名を教えられ、帰国後、沼知教授に教えを乞い、顧問に迎えています。

    海軍がジェットエンジン開発に成功に至ったのは、海軍にはネ20開発責任者の永野氏(当時の関係者の多くは永野氏のことを天才と呼んでいます)、そして東北大学の沼知教授・棚沢教授・村井助教授などの優れた学者がいたことです。


    陸軍2航研は研究所とは名前ばかりで、実際にはメーカー任せの開発をしていました。(レシプロエンジンやレシプロ機の開発も同様にメーカー任せでした。)
    川崎航空機が開発したネ−0〜ネ−4などがその例です。
    このため、研究所内に技術指導できる人材がいないため、東大航研に技術指導を代行してもらっていました。ですが、東大航研の先生方の技術指導は、結果が判っている現在の視点から見ると、的外れな指導ばかりで具体的な成果になりませんでした。

    それから、陸軍ではネ−**と『−』付きで表記していましたが、海軍は『ネ**』と『−』無しで表記するのが普通だったようです。
    ですから陸軍関係者はネ−130,ネ−230・・・と書いていますが、海軍側はネ130,ネ230・・・と書いています。


    それからそれから、最近は『火龍』と書くのが流行っていますが、昔の人達は『火竜』と書いています。

    ろく

  4. カヤバっていえば、今ではコンクリートミキサー車ですけど、当時の萱場のラムジェット戦闘機案って本当にすごいんですよ。最大速度900キロ以上、1万メートルまで3分、上昇限度1万5千、巡航30分以上の無尾翼戦闘機ですからね。コメートなんて目じゃな……あ、マッチが尽きました。


  5. 皆さん回答ありがとうございました。ジェットエンジンといえば空技廠、石川島位しか思い浮かばなかったのですが、大掛かりな開発体制だった訳ですね。納得しました。
    「龍」と「竜」<使い分ける基準が部内にあったのでしょうか?。うーん、新しい疑問が…(笑)
    yuji

  6. 命令や通達類に記載されている場合を除き、漢字表記は文書にあるままが正しいとは限りません。というか、機体が完成した訳でもない陸軍機の火龍の場合は考え方にもよるでしょうが正解は無いような気もしますね。
    BUN

  7. 追加質問になってしまいましたが、BUNさん回答ありがとうございました。
    yuji

  8. 色々な文献を読んでみた限りしっかりした体制で開発していたようには思えません。みんなバラバラにやってたと言うのが私の印象です。永野氏だけは例外的に強力な指導力を発揮し、関係者の総力を結集することに成功し『ネ20』という成果を上げることができたのだという気がします。

    ろく


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