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ドイツ空軍はD−day初日、どうしてノルマンジー海岸に 現れなかったのですか。1943年中ごろは米空軍B−17部隊をして 「暗黒の木曜日」と言わしめていたのに、いつから何がどう変わって ドイツ空軍はこんなに弱体化してしまったのでしょうか。 モーニング息子 |
紅葉饅頭
基本的に主力は後退配備されていたからと答えれば正しいようにも思いますが、いつから何が変わったのか、と言うのは結構難しい質問だったりします。
BUN
多分東部に持って行ってしまったのでしょうが、ノルマンディ上陸作戦に関する興味が増えた思いです。
連合軍は、一応は、ドイツ空軍対策(特に低空からの艦船と海岸への襲撃)もしていて、Dデイの艦隊上空とノルマンディ海岸には大量の阻塞気球が上げられ、写真でもその様子が判ります。ノルマンディの生き残りが後に映画『史上最大の作戦』を見た時、何故阻塞気球が無いんだ?、と問うた、という話を読んだ事があります。
しかし、大筋には、計3個の空挺師団同時投入という裏には、奇襲効果での指揮系統の混乱に期待してというより、事前にノルマンディにはドイツ空軍はいないというかなりの自信があっての事と思われます。
SHI
きくち
を戦史をひもといて調べてみましたが、どうやらもとから弱かったようで。
「砂漠のキツネ」(中央公論社 パウル・カレル)によれば、
ノルマンジー戦のはるか前の北アフリカ戦の段階で既に
ドイツ空軍はアメリカ空軍に敵わず制空権を奪われてたとか。
「彼らは来た」(中央公論社 パウル・カレル)にもありますが、
ロンメルは敵の圧倒的制空権の前に勝ち目なしと見ていたそうで。
撃墜された米軍機もあるにはあったが大半は高射砲によるものだったとか。
1943年中ごろは米空軍B−17部隊をして「暗黒の木曜日」
と言わしめていたのは、既にその段階で護衛戦闘機無しの
ベルリン爆撃が可能であったということでもあるわけです。
それならさすがのB−17も損害を受けたのは当然と言えます。
同時期のクルスク戦敗北でドイツは膨大な量の精兵を失っており、
それに加えての連合軍の精密爆撃で相当に弱体化していたようです。
モーニング息子
BUN
モーニング息子
しょうか?
確かに、読みやすい文章ではありますが、その点では評価出来るのかも・・・
ある人は「戦記講談家」と評されておりましたが。
tackow
我々がそうした安直な商売に乗らなければ、手間を掛けてでも新しい良書が翻訳されることでしょう。
BUN
あぁ、告白しますが、、しっかり騙されました(涙)時間がなかったとはい
え・・中身を見るべきだった・・しかし、あれは反則です。
#で、欲しい方、差し上げます(笑)
tackow
1944年のドイツ空軍が往時の見る影も無く弱体化したのは、1942年以降の米英(露)航空部隊との
消耗戦の結果だと思います…。特に1943年末以降、ビッグ・ウィーク・米空軍のベルリン強襲により
防空部隊を含む戦闘機部隊は多大な損害を被っておりますし、また1944年4月後半(5月?)以降は
英米の航空部隊は上陸予定地点の240km以内にあるドイツ空軍基地は最優先目標として叩かれた
ことも前進配置が取れなくなった要因でしょう。
大塚好古
フリ
レンド・リースでソ連に送られクルスクの空でエース続出でしたね。
そんだったらアメリカ主力機相手じゃ歯が立たんかったわけだ。
蛇足ですが同時期のフィンランドでは継続冬戦争でこれまたアメリカ本国で捨てら
れたバッファローがソ連機相手に「空の真珠」と呼ばれる程の活躍をしてました。
毛沢豚
「砂漠のキツネ」「彼らは来た」(中央公論社 パウル・カレル)
以外にいろんな本に書かれています。B−17がベルリン爆撃に伴って、
カナリ多く撃墜されているのは事実だけれども、多くは高射砲によるもので、
「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」(児島襄 文春文庫)によれば、
ヒトラーは本土防空戦でドイツ航空部隊をさんざん無能呼ばわりしています。
日本太郎
結果は歴史の事実であるにしてもです。
フリ
>12
Dデイ当日にあった2機のフォッケウルフ以外のドイツ空軍機のノルマンディ上空での戦闘についてご教示頂けませんでしょうか?
手元の書物(OMAHA BEACH / Battle Ground Europe Second Warld War Series / Pen&Sword Books Ltd.1999)にもD-Dayの日中、ノルマンディの海岸上空に現れたのは、この2機の戦闘機だけだったとありますたもので。
SHI