1022 |
零戦二一型に搭載されていた九六式空一号無線機ですが、無線電話機としてはほとんど実用にならなかったとされています(昭和十七年頃)。 型式番号から見て、昭和十一年正式採用のものだと思うのですが、実に6年近くも経過しています。なぜ、まったく改善されずにいたのでしょうか? みや |
なぜ、開戦当初にこのレベルになかったのか?
レーダーの開発とは違い、当時の日本の技術でも十分可能だったはずで、謎です。
無線電話を活用できなかった事による損失は大きいと思います。
質問者
真空管などの基本パーツの問題(配線等の問題も含む)が低レベルにあった当時としては、
電探も無線機も、性能レベルの低さは同一線上にあったのではないでしょうか。
3号電探
(かなり評判が悪かったので、今でも「実はうちの製品でした」とは言いたくないとは思いますが ^^;)
実物がどこかにあれば、かなり明確になると思います。
映画の「加藤隼戦闘隊」では、隊長が無線電話を活用して部下を指揮するシーンが繰り返し出てきます。隼の無線電話機は調子良かったのかな?
質問者
ささき
BUN
「マツダ真空管」(東京電気株式会社)のものだったようです
性能等については、現在調査中
3号電探
後期には変調方式がAMからFMになって行ったのも大きいのでは?
アメリカの通信機の性能がいい要因の一つに比較的早期よりFMを使用していた
と言う点もあります。
ラジオのキットを見ると分かりますが、AMは簡単に出来る(鉱石ラジオが
最たる例)のに対して、FMはかなり複雑になるのです。
ダークマター
tomo
マツダですか?
今の東芝ではないのですか?(東京電気の親)
後に品質管理手法で有名になった西堀栄三郎さん(第一次南極越冬隊長)はまさにこの真空管生産に携わっていたんですよね。
SHI
マツダランプは当時の東京電気のブランド名ですから、
東芝と言って良いと思います。
ちなみに東京電気と芝浦製作所が合併して東京芝浦電気製作所に
なったのが昭和14年のことです。
http://www.toshiba.co.jp/about/histo_j.htm
「昭和17年、我が国初のレーダ完成」ともありますね。
たかつかさ
なにをもって「レーダー」にするか問題ですが、海軍の十一号は昭和16年
に完成し勝浦に据え付けてます。これはメーター波。
センチメートル波の二二号も同年には試作完了してます。
これ、どっちも東芝が絡んでるんですがね(^^;生産だけかもしれないな?
ついでながら、陸軍の電波警戒機甲の試作完了は昭和15年です・・
tackow