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零戦に搭載されていた無線電話機が、当時ほとんど使い物にならなかったことが、ミッドウエー海戦の明暗を分けた最後のポイントではないかと思うのですが? みや |
ミッドウエー海戦当時、赤城を中心とする機動部隊上空には直援の戦闘機隊があり、来襲した米軍の雷撃機を次々と簡単に撃墜した様子が記録されていますが、戦闘機隊が海面に近い高度まで降下してしまったため、米軍の艦爆隊を易々と艦隊上空に進入させてしまったのではないかと思います。雷撃機の出現によって艦爆による攻撃も予想されたはずなので、無線電話機が完全に実用化されていれば、一部直援部隊に対して艦隊直上を警戒するように指示ができたのではないかと思うのですが?
質問者
そもそも艦爆隊の接近に誰も気づいてなかったんですから。
気づいていればお題の仮定も成立するのですが。
結局は電探でしょう。
ほんと、日向じゃなく蒼龍が搭載していたら…
勝井
私としては、無線電話機が整備されていれば、十分統率のとれたバランスの良い防空体制がとれたのではないかと思うのです。
もちろん電探と合わせて運用すればマリアナ沖海戦の状況から考えても極めて有用だったでしょう。
質問者
知ったという事例が多数出ている」とあります。ルックダウン能力のある機上
レーダーがある現在ならいざ知らず、当時においては敵を発見すること自体が
難しかったのです。見つかった敵に殺到するのは当然でしょう。
敵の降下爆撃機はちょうど雲の切れ目から空母を発見した、と
伝えられていますが、こういう状況ですと電話があっても敵の発見の役には
立ちません。
ミッドウェーを変えたポイントはいろいろあるかとは思いますが、
機上電話機のような小道具で逆転できるとは思えません。
むしろ、
・「敵艦隊はミッドウェー島がたたかれてから出てくる」という勝手な
思い込みの是正+アッツキスカ陽動をやめ、その戦力を併合して索敵兵力の
増強
(母艦戦力の索敵能力が貧弱であることは珊瑚海戦訓で示唆されています)
・空母の集中配置をやめ、分散配置にする
(珊瑚海戦訓で明確に示されています)
などと言ったソフトウェアに求める方が正道ではないかと思います。
SADA
例えば航戦ごとに分けたとして、どうしても史実の南雲部隊以上の数の護衛艦が必要になるでしょう。
そして当時の砲術屋たちが、新参の機動部隊にそんな多数の割り当て=強大な権限を認めたかというと、かなり疑問符をつけねばならないと思います。
勝井
>護衛艦が必要になるでしょう。
当時の日本艦の対空能力はまったく当てにならないわけで、
護衛艦なんてあっても無くても同じでは?
>そして当時の砲術屋たちが、新参の機動部隊にそんな多数の
>割り当て=強大な権限を認めたかというと、かなり疑問符を
>つけねばならないと思います。
それを言ったら、日本軍の組織的問題点にまで行き着いちゃいますよ。
珊瑚海戦訓においては、このほかにも後世から見てかなり真っ当な
指摘が行われており、
(メモを家に置いているので記憶に残っているなかで印象的だったのは)
1.陸上基地に対し、搭載能力、搭載機の能力に制限のある航空母艦は
偵察能力を初めとする戦闘力においてはっきり劣る。特に、相互支援
可能な基地群に攻撃をかけるのはかなり厳しい
2.空母と共に作戦する巡洋艦、駆逐艦をまとめて編成し、常設すべきだ。
3.機動部隊の指揮官は航空部隊の指揮官であるか、さもなくば航空部隊の
指揮官が機動部隊運用を補佐し、助言を与えるべきだ
などが挙げられます。特に2番は、敵の取るタスクフォース編成の方が
好ましい、と言っているも同然の言葉でしょう。
過去の教訓を活かせなかったことによる損失はかなり大きいと思いますし、
それを活かせないだろうという前提で話をするのならば、ミッドウェーは
どこにも勝ちの目が無い作戦だったのです。
SADA
米機動部隊がいたという話をよく聞くんですがこれは事実でしょうか?
仮に事実だとするとミッドウエーの明暗は実際紙一重だったように思うんですが。
(つまり故障がなければ壊滅してたのは米軍の可能性が高いって意味で)
taka
致命的な敗因となった米艦爆の攻撃ですが、これも精度の高い急降下爆撃を行うためには、日本艦隊の上空中央部まで侵入してから急降下を開始しなければ不可能だったはずで、当時この中央部がガラ空きであったからだと思います。
この部分を守るために、1個中隊の零戦を配備していれば、米艦爆は艦隊外周部から緩降下爆撃するしかなく、爆弾の命中精度も極めて低かったのではないかと思います。直援戦闘機隊を高々度と低高度に2分し、旗艦と電話で連絡をとりあって対艦爆と対艦攻を分担していれば、最後の致命的な瞬間は避けられたのでは?
みや
防空の要たる零戦は、総数の3分の1以下です。
この少ない機数の中から、攻撃隊への割り当てと、
直援機のローテを組まねばならなかったのです。
お題のような組織的防空システムを組むことは、当時まだ現実的とは申せません。
少なくとも艦爆・艦攻の何割かを艦戦に振り替えねば、
システムを組もうにも絶対数が足らないため
どっちつかず、の危険が生じるでしょう。
勝井
全然四股も鉄砲も足りない。
「ご覧ください」も何も、第一航空艦隊の戦闘機は全機数の1/3以上あります。
前提がまず、ボロボロに駄目。
しかも、数の問題じゃ、ないんだな。
そしてそれは直ぐにでも解決できる問題じゃありませんでしたか?
BUN
ミッドウェーでは、暗号が敵に筒抜けだったことはよく知られています。
そしてSADAさんが指摘しておられるように、索敵の不備がありました。
索敵を真面目に考えない軍が電探を重要視する筈がありません。
…と考えると、みやさんが指摘する無線の問題も、
それらの延長線上にあるのではと思えるのです。
ところで、空一号無線機って、「電話」でしたっけ?
ツートンじゃありませんでしたか?
どんべ
学研の歴史群像シリーズ「ミッドウェー海戦」121頁よりです。
全搭載機は零戦84機、99艦爆84機、97艦攻93機、2式艦偵2機となってます。
勝井
全搭載艦載機数は
艦戦105機、艦攻94機、艦爆84機、艦偵2機となってます。
勝井さんの提示されている数字は
ミッドウェー占領後、基地に展開するはずの第6航空隊の零戦21機が含まれていません。正確には、84機+21機で105機ですね
あきんど
BUN
実際の運用において重要な無線機は電話、電信兼用(当然電信の方が通信距離が長い)九六式空一号です。また、赤城の艦橋から他艦の直掩機を指揮できたのか、といった問題もよく考察すべきことでしょう。
BUN
勝井山をそうきつく責めるにはあたらないと思います(笑)
私も盆の振替で得た平日の休みがなければ恵比須に足を踏み
入れることは無かったでしょうから。
>7.
孫引きムック本においては、索敵機が出遅れた上、所定のコースを
たどっていなかった、などと記されている例が多いようですね。
(一次資料をあたってないので、明言は避けます(笑))
もっとも、GPSなんぞ無い当時では、洋上航法の難しさは想像を
絶するものだったのでしょうが・・・。
>8.
急降下に入った爆撃機を艦隊中央部においた劣位の戦闘機で
そううまく迎撃できるものですか?やはり、優位から後ろに
ついて叩くしかないのではないですか?
>9.
当時組織的防空システムを組むことが現実的ではないのでしたら、
日本参戦前のバトルオブブリテンはなんですか?英国は組織的防空
システムを確立していなかったとでも?
>11.
いいえ、珊瑚海戦訓は索敵能力の不足、偵察成績は不良と
判定しています。海軍は索敵をまじめに考えていたのです。
(だからこそミッドウェーでは彗星の実用化が遅れることも
厭わずに二式艦偵をかりだしていますよね)
問題は、「これで索敵能力は万全だ」と思い込んでしまった
ことでしょう。だからこそ、「敵の反撃が微弱なると予想されるときは
集中配置も可とする」と空母の集中配置をしてしまったのだと思います。
SADA
います。ま、索敵機が進路を間違ったというのは些細な問題かもしれませんが。
あと、根本的に当時(というか戦争中のレベル)では空襲を防ぐのは困難だっ
たのではないか?と思っています。
かのマリアナ沖ですら、我が攻撃隊は投弾に成功していますし(条件が良けれ
ばそこそこの命中弾を出し得たと思います)。そこまで行かなくとも、殴り合い
の空母戦で迎撃側が攻撃隊を阻止し得たのは、、我が軍で一番頑張ったのはミッ
ドウェイ海戦での迎撃隊かも(^^;
珊瑚海の戦訓は、残念ながら時期的に(被害の詳細が判明したのが5月中旬。
また五航戦主体ということから割り引かれた)ミッドウェイで反映させるの
は難しかったと思います。
また、空母の集中、分散配備は以前からそれなりに議論されてはいた様ですが
「迎撃機」でなんとかなるだろう。という事で集中配備が有利、と考えられてい
た様です。
戦前から「空母は攻撃されると脆い」という認識はあったみたいですが。結局、
ミッドウェイに至るまで大規模な空襲を受けなかった。というのも問題だった
のでしょうね。
tackow
>そううまく迎撃できるものですか?やはり、優位から後ろに
>ついて叩くしかないのではないですか?
急降下を開始した艦爆を零戦が追跡することは不可能でしょう。
(99艦爆なら可能かも (^^;)
急降下に入る前に撃墜するか、正確な照準を妨害できれば十分と考えます。
みや
降爆機は降下の際、ダイブブレーキを使用し、スロットルを絞って
速度を押さえながら降下爆撃を行います。追跡は容易です。
>急降下に入る前に撃墜するか、正確な照準を妨害できれば十分と考えます。
となると、やはり同高度、あるいは優位での配備が必要になりますね。
それをするためには敵の来襲高度を知る必要があるわけです。
伝えられている「雲の間から敵空母を発見した」という事から
察するに、敵は直前まで雲によって視界を遮られていたわけです。
逆に言うと、敵SBDも雲によって直援隊から隠されていたわけです。
これに対する備えとしては電話だけではどうにもなりません。
レーダーが必要です。
SADA
何とも言いかねる所なのですが、戦闘機隊の機数、ローテーション等が
大きく関与した形跡はあまり見当たらないのではないでしょうか。
しかし、レーダーが無ければ絶望、というのも早計な気がします。
追記
私は二次資料である戦史叢書他で確認できることしか述べていません。
SADAさん、それは勘違いと言うものです。
SADAさんも経験された通り、一次資料はある意味「ゴミの山」ですので
誰が見ても良くわかると言うものでも無ければ、
誰もかれも全ての為にある訳でもありません。
それを一方的に引用して他人を批判するのは如何に傍若無人の私でも
「仁義に悖る行為」と考えております。
基本的には「知らない事は無理に答えなくてもいい」ということでしょう。
創作はいけません。
BUN
まあ、一撃でほぼ壊滅、反撃不能になったというのが問題だったわけで、
手はいろいろ打ちようはあったでしょう。みやさんのように空中で敵を
捕捉し、一弾も落とさせないようにしようというのでしたら、レーダーの
必要性は高いものだったと思います。
>私は二次資料である戦史叢書他で確認できることしか述べていません。
>SADAさん、それは勘違いと言うものです。
了解です。
勝井山、もっと恵比須に足を運べぃ、と言っているのかと思ったのです。
他意はなかったのですね。
SADA
い資料がほとんど無いので、記憶に頼って書いております(戦史叢書ならあるんです
が)。
>無線電話機が完全に実用化されていれば、一部直援部隊に対して艦隊直上を警戒する
>ように指示ができたのではないかと思うのですが?
ある意味で「然り」なのですが、「無線電話機が完全に実用化され」かつ防空に関する
総合的な研究なりそれに立脚した防空指揮方法の確立がなければいけないと思います。
すなわち、防空は砲術(対空射撃、いわゆる豆鉄砲)、航海(光学的な意味での見張り
術、艦隊の隊形や個艦レベルの雷爆撃の回避法)、通信(各艦間の情報交換、上空の直
衛機に対する指示伝達、電波兵器による見張り)、飛行(上空警戒の方法、直衛機の指
揮)などの術科をまたいだ総合的なものであると小生は考えますが、旧海軍の戦術研
究は、恐らく各術科内における個別の研究にとどまっていたものと想像しております。
無論、「無線電話が実用にならなかったから」こそその種の研究が進まなかった側面は
否定できませんが。
その意味で、電探や無線電話などの「小道具」でことが済むわけではないという見解に
は、ある種の共感を覚えます。
>・空母の集中配置をやめ、分散配置にする
これについては、源田実自ら記すところには、部内でも集中配置か分散配置にすべきか
についての意見があったはずで、源田は映画館で見た米艦隊の航行の様子を見て集中配
置を採ったはずですが、大西滝治朗や樋端久利雄は分散配置に賛成的立場だったように
源田が記していたはずです(記憶が曖昧なので、間違いがあったら指摘して下さい)。
集中配置を採った理由は大編隊による集中的攻撃を重視したためで、これを実現するた
めには、相互に離れている母艦から発進する攻撃隊を進撃途中の洋上でどのように集合
させるかが技術的に難しいが故に、一挙母艦の集中配置を行い演練によれば集合が容易に
なるという立場から採用されたものと記憶します。ただし、源田が記すところによれば、
ミッドウェーの際も実は敵空母を発見した以降、分散配備に以降する予定だったものの、
機を逸したため集中配置のまま三空母の被弾に至ったとありますが、当時の第一航空艦
隊戦策が現存しない(ですよね)ため、この件に関しては確認し得ません。
>そして当時の砲術屋たちが、新参の機動部隊にそんな多数の割り当て=強大な権限を認
>めたかというと、かなり疑問符をつけねばならないと思います。
当時の空気として、軍令部にしてもまだ戦艦か空母(航空機)のいずれかが主兵か、まだ
断じかねていましたし、ミッドウェー海戦後にしても空母機動部隊の建制化は行われまし
たがそれでも後の第一機動艦隊のような編制には至っておらず、それを考えれば用兵思想
が旧来のままだった人が多かったことは事実だと考えますが、例えばGF司令部の高級幕
僚にもう少し洞察や認識があれば、別段機動部隊に護衛兵力をつけることは不可能では
なかったと考えます。なんせ軍隊区分でやれば良いわけですから。もっとも、第一航空艦
隊としては、護衛兵力の規模の問題と共に、軍隊区分による機動部隊編制も問題視してい
たようで、兵術思想の統一や訓練の面で、従前の軍隊区分のごとき数合わせだけで十分か
といわれたら、これまた別個の問題を包含すると考えます。
また、
>防空の要たる零戦は、総数の3分の1以下です。
について、
>ミッドウェー占領後、基地に展開するはずの第6航空隊の零戦21機が含まれていません。
>正確には、84機+21機で105機ですね
とあり、確かに搭載機の三分の一以上が戦闘機となるわけですが、しかしながら兵術思想
の面から考えれば、本来の母艦搭載の機数によって議論をすべき問題だと思われますし、
六空の零戦を艦隊上空の防空に使う腹は元々は無かったと私は思いますので、単にこれら
合計の零戦の機数を以って議論するのは、やや違和感を覚えます。
今泉 淳
確か昭和15年に「航空艦隊編成に関する意見」というのが海軍大臣宛に
提出されていると思いました。
ただ、これは1航戦と2航戦を纏めて航空艦隊を編成したほうが良い。と
いうものですので、戦術的に集中か分散か?というものではなさそうです
が。
tackow
>確か昭和15年に「航空艦隊編成に関する意見」というのが海軍大臣宛に
>提出されていると思いました。
「航空艦隊編成ニ関スル意見」が淵田美津雄の進言であったか記憶が
定かでないとともにそれを確認する資料が手元にないのでそれ以上の
ことを申し上げられませんが、母艦や陸上航空部隊の統一指揮に関し
ては、航空制度研究会の答申にもあるとのことです。
>ただ、これは1航戦と2航戦を纏めて航空艦隊を編成したほうが良い。と
>いうものですので、戦術的に集中か分散か?というものではなさそうです
>が。
はい、これは艦隊編制レベルで各艦隊に母艦を分散して各司令長官の
指揮下に置くのではなく、統一運用の立場から一指揮官の下に編制上
纏めてしまおうというものであると認識しております。すなわち、件
の集中配備か分散配備かは、いわゆる戦策レベルの話であると小生は
見ておりまして、小澤の意見はそこまで踏みこんだ話ではなかったで
あろうと考えます。
今泉 淳