961 |
1970年代にカナダのボブ・ディマート氏が復元した3機の零戦の消息を ご存知の方、教えてください。 こたつねこ |
ディマート氏が復元した零戦は、3機でなく1機だったと思います。但し、1960年代末にバラレ島から回収した部品は3機分だったと古い丸誌で読んだ記憶があります。いずれにしろ、1974年頃に、たしかライトサイクロン系のエンジンを付けて1機を造りあげ、このとき、元海軍搭乗員だったかたが中心となって購入と日本への里帰り運動を行いました。しかし、資金的な問題で頓挫してしまったのでしょうか、この運動は成就しませんでした。(数年前にも別の零戦で同じようなことが繰り返されましたね。)なお、復元に対し、日本側から技術資料の調査・提供で協力したのが、あの碇義朗氏でした。これがきっかけで氏は、カーマン市名誉市民となったのだったと思います。
さて、日本へ里帰りできなかった零戦は、1983年ごろ、外板の張り替えや、エンジンのR1830(だったと思いますが)への換装など大幅なオーバーホールを行い、南部空軍が購入しました。ここでの活躍は日本の雑誌にたびたび紹介されていましたので、ご存知ではありませんか?。(ただし、最近、南部空軍からよそに売却されたとかいう記事をどこかで立ち読みしたような・・・)
なお、蛇足ながら、99艦爆も零戦とほぼ同時に、デ氏により復元されましたが、これもたびたび所有者が変わった後、今はマロニー氏のもとでオーバーホール中と、これまた何かで立ち読みした記憶がありますが。
松木
これは古くて新しい話題ですので復元作業にかかわった碇義朗氏が「丸メカニック14号 零戦」に書かれている一文を引用させてもらいます。
(前略)
海兵隊ミュージアムにある1機はカナダのボブ・ディマートが復元したも
ので、バラレ島に眠っていた8機分の零戦の部品を使って3機の復元作業
を行ったうちの1機だ。
このことは筆者が本や雑誌にたびたび書いたが、ひとの書いたものを正確
に理解せずに3機から1機を復元したなどと誤って書かれてあるのを見る
と、いろいろ歴史的な記録が誤り伝えられていく過程がわかるようで興味
深い。
(後略)
ちなみに2機目の零戦は初飛行には成功しましたが、着陸時に脚を破損して、
その後その脚を修理してアメリカの海兵隊ミュージアムに売却され、現在は
ペンサコラの国立海軍航空博物館に保存されています。
3機目に付いては正確なことはわかりません。
うわさでは、
1、ボブ・ディマート氏が所有している。
2、カナダの航空博物館が所有。
3、墜落して失われた。
のいずれかでは、といわれていますが、正確な資料は私の手元にはありません。
tomoki
それにしても、3機目の零戦の消息が気にかかります。
「墜落」ではないことを祈っています。
こたつねこ