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959 ハインケルHe162はいったいどんな感じの飛行機だったのでしょうか? カタログデータはわかりますが、飛行特性が(有名機のようには・・・正確かはともかくとして)、過去ログ拝見してもイメージがわかないので・・・。同時期のレシプロまた他のジェットと比較して上出来だったのか不出来だったのか、といつたあたりをご教示いただければ幸いです。
はたの

  1. かなり不出来なほうに入るかと思われます。
    運動性は劣悪で、一撃離脱以外の戦闘行動は困難。
    離着陸も、着陸速度が高いこと、低速時の舵の利きが悪いこと、BMW003のスロットルレスポンスが悪いことなどから難しいとされます。
    三車輪式降着装置、ジェットエンジンと、当時のドイツのパイロットには不慣れな方式だったこともあるでしょうが…。
    高速とシルエットの小ささを利して戦えば、それなりの戦果は挙がったものと思われますが、それには訓練体系から新たに構築しなおす必要があったでしょう。
    1945年中に戦力化できたかどうかも怪しいと思いますが…。
    まなかじ

  2. レヒリン(Rechlin)のテストパイロットとして著明な、Heinrich Beauvais氏
    に対して行われたインタビューの記事が、10数年前の航空雑誌に掲載されていた
    のを記憶しています。

    氏はHe162について、極めてロールレートが高く、ぼんやりしたパイロットが
    置いてきぼりを食うような機体であることを除けば、非常に良好な運動性/操縦性
    をもつ機体だったと述懐していたと思います。
    ただ非常に着陸が難しく、着陸しないで済む飛行機はないという意味で困難だと、
    そのような趣旨の発言でした。
    (どなたかご記憶の方、いらっしゃいませんか?)

    >1945年中に戦力化できたかどうかも怪しいと思いますが…。

    終戦前に120機近くが完成し実戦参加、ドイツ側の記録で2(3?)機、
    内 連合軍側でも確認されているRudolf SchimittによるHawker Tempestの
    撃墜(4/May/1945)がありますから、もうすこし評価しても良いのではないでしょうか。
    戦力化の困難性は少なくとも高速機を飛ばすことの出来る程度のパイロット育成の
    困難性に由来しているはずです、例えばHe162の代わりにF-80やバンパイアが
    あったとしても、さほど状況はかわらなかったと思いませんか?
    みなと

  3. 5月4日の戦果は独側では高射砲部隊の戦果として認められている、との説もあり何とも言いかねるのですが、He162の評価の低さの一端を担ったのが、あのガーラントの回想録の中でのHe162に対する酷評であることは間違いないでしょう。ガーラントの言葉はその後の日本の戦記本の中で繰り返し引用され孫引きされているうちに客観的評価として一人歩きしてきた経緯もあります。戦闘機の評価というのは、まして末期のジェット戦闘機と来ては極めて困難、賛否両論あって当たり前なのではないでしょうか。
    BUN

  4. 質問者です。ご教示ありがとうございました。
    はたの


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