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949 BUNさんがお気に召さないところの『大いなる零戦の〜(中略)〜と苦闘』なる長い書名の本の巻末リスト中に「三菱十三試局地戦闘機」の名がありますが、こいつの資料的裏付けってありますでしょうか?


  1. 堀越/奥宮『零戦』、あるいは別ルートで取材が行われたらしい吉村明「零式艦上戦闘機」その他を見ると、13年時点では航本はA6よりも次期局地戦闘機に主眼を置いていたようであり、堀越氏の頭越しに海軍・三菱間で局戦の話が進められるのが不安をあおると。で、10月には内示(というからには要求案の)が行われたとされており、こいつのことではないかと。
    だとすると、同時に艦戦試作の内示も行われており、こちらは「十三試艦上戦闘機」になるはず。(前記本のリストにはない)


  2.  別に気に入らない訳ではないですよ。私は発売直後に各巻即日購入しました。しかしながら、早くも著者は数々の部分で別の見解を持たれているようです。常々思うのですが、もう少し熟成させてから取り掛かってもおかしくない立派な大著だと思います。
     昭和十三年の時点でなら、三菱十二試艦戦のほかに中島十二試艦戦も書類上、生きていますよ。三菱十六試艦戦、三菱十九試艦戦等も存在します。「こいつら」の資料的裏付けは存在しますが、所詮紙の上の存在です。
    BUN

  3. 中島十二試艦戦は実大模型までは行ったようですし、三菱十六試艦戦も初期計画のそのまた前の資料程度の計算程度は行って海軍に提出しているようです。官側の要求に対し、会社側は「出来ません」の一言では済まされず、それなりに現場が働いてなんらかの出来ない証拠を提出しなければならず、それなりにしんどいことであったろうと。堀越氏なども七試以降、九試、十一試、十二試、十三試、十四試、十六試、十七試……と働かされて来たことになり、この辺が人手不足を助長しているわけで。ちょっとそういうことに興味があったのです、私の場合。「ほんと


  4. うはどのくらい忙しかったのか」。計画要求案内示にしたって、いちいち東京に呼び付けられて、行われるわけです。名古屋から今日は航本、明日は空技廠。まったくもって身が持ちません。


  5. 付記させて下さい。私は彼の本の著者の方のご本には子供のころからお世話になって来たので、そのお名前を見ると懐かしい気持ちでいっぱいになります。出張がちの親父が土産に買って来てくれた本。たしか秋田書店の……『世界の戦闘機』?「グラマンの猫一族」とか「カミナリの名前のつく戦闘機」とかフューリーやバンシーやブードゥーなどお化けがかった名前の飛行機を集めてみるだとか(きっとものごとをきちんと整理するのがお好きなのだと思います)、それらをながめては夜を過ごしたものでした。B・ブリッジマンの『超音速パイロット』についで、


  6. わたしが自分のものにした飛行機の本だったわけで。(その次には親父の本棚の『大空のサムライ』に手がのび……)
    以上、まったくの雑談で長々とすみません。


  7.  それは一つ一つが別の計画だと受け取ることから生じた誤解です。こういった計画は年度ごとに縦に並べて「流れ」を見ないと誤解しやすいのです。十三試、十四試といった計画名は例えば試作発注予定が3月から4月にずれただけで変更されるものですからこれらの計画名は、例えば零戦の後継機に当たる戦闘機計画の一次案、二次案、といった位置付けのものでもあります。
     また、海軍は戦闘機開発を数年のスパンで製作会社ごとに、また、機種ごとに「飛行機試製計画」として中長期計画を立案していますので、それを見る限り、設計者は激務ではあったが無理難題を強いられた訳では無いことがわかります。計画名はいくつもありますが、結局、零戦の後継機とその後継機が計画されていたに過ぎません。雷電の計画もその中にうまくはめ込まれたと考えていいでしょう。ことさら厳しい作業になったのは雷電が難航し雷電改となるに至る道程に原因があります。

     何度も言いますが、私は秋本実さんが嫌いなのでありません。今度出る本も発売日に買います。私も長いお付き合いですから(笑)。しかし、何故に数回に分けて書き込まれているのです?
    BUN

  8. 私、パソコンもってないんです。これ、モバイル・ワープロなんです。すぐ切れちゃうんです。
    いや、一応、順を追って計画が熟成して行く課程だというのはよく分かります。そんなに違わないです。僕の考え方も。だから、なおさら、その変化して行く課程を追いたくて。それから、内示だの交付だので呼び付けられるのも、軍民の交流の機会が案外あったのだ、メーカーの意見も軍側に述べる機会が意外とあったのだ、と受け取ればいいのでしょうが。でも、所詮おカミですからね。担当者の耳には伝わっても、そこから上には絶対上がらない。


  9. で、言わせていただけば、昭和13年秋の艦戦試作要求案(その実在が確かめられれば、ああ)なんて、完全な後戻りです。キ−43Iと称して九七戦改を作ったのと同様な企画です。やはりこの時期A6M1はあてにされなくなっていたのではないかと。
    ご指摘のA6N1にしても実大模型付近で「辞退」です。これ、何かに似てませんか? 十二試のとき、三菱十一試艦爆のスタッフが引き抜かれた状況と。


  10.  烈風の計画段階での三菱名航所長から海軍当局宛の意見書を読む限り、言うべきことはかなり言っている印象があります。経験上、現代でも官と民とのやり取りではあそこまで言わないかもしれません。
     また、試作の発注方針も海軍は零戦の頃から競争試作による企業の負担の軽減と効率化をはかる為に一社への発注に切り替えつつあります。更に設計業者と製造業者を分離する方向も模索していますので、さほど不合理な事態は発生しなかったことでしょう。戦記ものを読む際は設計者の苦労話は割り引いて考えた方が良いような気がします。
    BUN

  11. わたしも、苦労話を鵜呑みにするのはどうかと思い、「毎日の出来事」を日付順に並べてみて、結構忙しそうなのを確かめてみつつあります。とにかく、計画どおりにすべてが運ぶならそれでよし、既存機の改造、事故調査、不調、会議、会議……。
    烈風ではいうだけのことをいったと……そこへ至る長い道程もあったはずです。




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