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BUNさんがお気に召さないところの『大いなる零戦の〜(中略)〜と苦闘』なる長い書名の本の巻末リスト中に「三菱十三試局地戦闘機」の名がありますが、こいつの資料的裏付けってありますでしょうか? 片 |
堀越/奥宮『零戦』、あるいは別ルートで取材が行われたらしい吉村明「零式艦上戦闘機」その他を見ると、13年時点では航本はA6よりも次期局地戦闘機に主眼を置いていたようであり、堀越氏の頭越しに海軍・三菱間で局戦の話が進められるのが不安をあおると。で、10月には内示(というからには要求案の)が行われたとされており、こいつのことではないかと。
だとすると、同時に艦戦試作の内示も行われており、こちらは「十三試艦上戦闘機」になるはず。(前記本のリストにはない)
片
昭和十三年の時点でなら、三菱十二試艦戦のほかに中島十二試艦戦も書類上、生きていますよ。三菱十六試艦戦、三菱十九試艦戦等も存在します。「こいつら」の資料的裏付けは存在しますが、所詮紙の上の存在です。
BUN
片
片
片
以上、まったくの雑談で長々とすみません。
片
また、海軍は戦闘機開発を数年のスパンで製作会社ごとに、また、機種ごとに「飛行機試製計画」として中長期計画を立案していますので、それを見る限り、設計者は激務ではあったが無理難題を強いられた訳では無いことがわかります。計画名はいくつもありますが、結局、零戦の後継機とその後継機が計画されていたに過ぎません。雷電の計画もその中にうまくはめ込まれたと考えていいでしょう。ことさら厳しい作業になったのは雷電が難航し雷電改となるに至る道程に原因があります。
何度も言いますが、私は秋本実さんが嫌いなのでありません。今度出る本も発売日に買います。私も長いお付き合いですから(笑)。しかし、何故に数回に分けて書き込まれているのです?
BUN
いや、一応、順を追って計画が熟成して行く課程だというのはよく分かります。そんなに違わないです。僕の考え方も。だから、なおさら、その変化して行く課程を追いたくて。それから、内示だの交付だので呼び付けられるのも、軍民の交流の機会が案外あったのだ、メーカーの意見も軍側に述べる機会が意外とあったのだ、と受け取ればいいのでしょうが。でも、所詮おカミですからね。担当者の耳には伝わっても、そこから上には絶対上がらない。
片
ご指摘のA6N1にしても実大模型付近で「辞退」です。これ、何かに似てませんか? 十二試のとき、三菱十一試艦爆のスタッフが引き抜かれた状況と。
片
また、試作の発注方針も海軍は零戦の頃から競争試作による企業の負担の軽減と効率化をはかる為に一社への発注に切り替えつつあります。更に設計業者と製造業者を分離する方向も模索していますので、さほど不合理な事態は発生しなかったことでしょう。戦記ものを読む際は設計者の苦労話は割り引いて考えた方が良いような気がします。
BUN
烈風ではいうだけのことをいったと……そこへ至る長い道程もあったはずです。
片