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実は……零戦52型出現の経緯がよく分かりません。22型までは開発のための実験促進委員会などが逐次開かれてきた様子がある程度把握出来るのですが、 52型に関しては突然実機が搭乗して来た印象です。 片 |
これはまた、 巷間伝えられる零戦開発に関する記事が三菱側関係者ばかりに取材して行われていることによるようです。 開発史が不明確な52型、 52甲型、 乙型、 62または63型は、(三菱抜きで)空技廠単独で作られてしまったためと考えます。 (52丙型、 53丙型、 54型は構造上の大改造になるので、 三菱側の手が必要になったのでしょう)
なお、 小生、 先日栄三二型について質問いたしたものです。 直後身内に不幸があり、 初七日まで済まして帰ってきたときには、 もう終わってしまっていたの
片
(なお、質問文中の「搭乗」は「登場」の誤りです)
片
BUN
片
BUN
仮称零戦22型改があったことは把握しているのですが、BUNさんのによるとかなり早い時期から作られていたようにお思えます。(あるいは複数タイプ作られたようにも。零戦32型のときにも、初め翌幅12メートル栄21型付きから始まって、翼幅11メートルで栄12型搭載のもの、その他作ったうえで、7号機に至っていまだ決定版出ずなどといわれていますから)
例えばですね、52型の設計主務者は誰かとか。
片
このように32型と52型の間に22型をはさんで解説する記事をよく読みますが、52型と32型はこのように直接つながっているのです。
BUN
17年2月2日の研究会では、零戦を対爆撃機用に20ミリ4丁に改造する件などが出ていたこともあり、てっきり零戦を局戦化する方向で進んだ結果が52型かとも思っていたものですから。迷妄が晴れた思いです。
32型の性能向上失敗を受けたとしか思えない、航本発動機部永野大尉の金星エンジン搭載提案の話なども(なにせ32型の量産機が出はじめるかどうかという時期の話ですから)間に挟めると、実にすっきりします。
「主務者」については、52型の設計が空技廠内で行われたことを確かめたかっただけです。
片
17年8月27日に空技廠で開かれた「仮称零式二号艦上戦闘機実験促進委員会」(つまり試作中の32型の扱い方について)では、8月7日からのガダルカナル戦の戦訓(航続力が必要)が早くももたらされたように伝えられています。
十一航空艦長官よりのM3批判というのも、ガダルカナル戦を受けたものと思います。
要するに、ガダルカナル以降32型の発展形が22型と52型の二つ道に分かれ、52型の方を前に出すとまた「局戦」呼ばわりされそうなので、より慎重に検討を進めた、と、こういう理解でいいので
片
片
以降19年前半まで性能向上の現実的手立てで苦しんだということですね。
どうもありがとうございました。
片
BUN
片