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アメリカ合衆国の戦闘機で一番大日本帝国の飛行機を撃墜したのはF6Fヘルキャット ですが、アメリカ合衆国の飛行機を一番多く撃墜した大日本帝国の戦闘機 て何なんでしょう? 富嶽 |
まなかじ
アメリカなら零戦で決まりでしょう。
勝井
となるとちょっと知らないです。
21型か52型のどっちかではありましょうが
(52型っつうとさらに甲だの丙だのあるしナ…)。
勝井
BUN
日本機のすらわからんのに,米軍機のをお求めとは…
参考文献があればご教授願えませんか?
本屋で見つかるようなら読んでみます.
(まだガッコなんで,片方は実は夜戦型だった,とかいう罠ならご勘弁)
勝井
BUN
F6F−3の生産は44年4月に終わっており
マリアナ沖海戦あたりまでは−3
レイテ戦以降は−5が数的主役だったろうと想像します
また、米軍の撃墜戦果のかなりが特攻相手で
1944年12月以降の米空母の搭載パターンで一番多かったのは
F6Fが73機、SB2CとTBFは各15機
それまでは戦闘機54機、艦爆34機、艦攻18機(レイテ戦等)
一部では艦爆全廃して戦闘機をもっと増やすなどの処置もしてます
当然ですが、これらの戦闘機の大半は-5ですし
レイテ戦までの撃墜戦果がたぶん2,000機(勿論彼らの報告弱)で
うち-3が-5より数的優勢だったのはマリアナ戦まで(となると1,500機)
F6F全体の撃墜が約5,000機ですから、3,000機以上はF6F-5だと推測されます
つまり−5の方が多いでしょう
ああ、細かい(爆)
SUDO
マリアナまで1500機とすれば残りは約3500機。マリアナ以後も−3は
退役した訳では無く、−5と−3の併用でしょうから終戦まで用いられた機体
もかなりあるはず。
そいつらがマリアナ以降の戦果の30%を受け持った、とすれば−3の戦果は
1500+3500×0.3=2500(機)
ざっと、この程度と思うんですが・・これより多いかもしれない。
−3の生産数は約4400機、−5の生産数は約7900機。確かに−5の方
が生産機数は多いですが、昭和20年の6月以降の生産機は「間に合わなかっ
た」機体でしょうし。仮に間に合ったとしても、落とす相手が少ない(^^;
tackow
−3装備部隊 −5装備部隊 両方装備した部隊
撃墜機数 1100機 800機 2000機
数が合わないけども残りは、不明・・結局よく判んない。
まぁ、細かいことは言っても意味無いかなぁ(^^;
tackow
零戦21型が銃撃で地上撃破した敵機の数はハンパじゃなかったようなことを
何かで読みました。
どんべ