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たくさんの回答をどうもありがとうございます。ところで、 完成予定によると、富嶽の武装は、20mm機銃4 爆弾20t 速度は680km/h 上昇限度18500km これは、大日本帝国の戦闘機を最も多く撃墜した戦闘機F6Fヘルキャットの12.7mm機銃6 爆弾454kg 速度603km/h 上昇限度11380kmをはるかに凌駕します。 双胴の悪魔といわれたP−38ライトニングも速度 上昇限度 ともに勝てません。つまり富嶽は、護衛戦闘機を必要とせず爆撃ができたわけです。 確かに富嶽があるだけでは、大日本帝国は勝てないとは、思いますが、富嶽を撃墜することのできる、戦闘機はアメリカ合衆国にあるでしょうか? 富嶽 |
航続距離と上昇限度がごっちゃになってませんか?
18,500,000メートルの高度は飛べませんよ。
私の資料では富嶽のスペックは
「太平洋を無着陸で横断してアメリカ本土を爆撃した後、
ドイツ占領下のフランスの基地に着陸する。
航続距離17,000km 6発、30,000馬力
爆弾搭載量20t 最大速度680km/h(7,000m) 常用高度10,000m」
となっております。
これは、昭和17年に中島飛行機の社長が打ち上げた構想で、
「予定」というより、「目標」(「理想」?)というべきものです。
仮にB-29と同じスピードで開発が進んだとしても、
富嶽の実戦配備は21年頃になります。(もう負けてます)
10,000mを600km/h以上で飛ぶ爆撃機は米国にとっても脅威でしょうが、
P-47やP-51で落せない飛行機ではありません。
また、1944年(昭和19年)初頭には傑作ジェット戦闘機P-80が初飛行しており、
21年には迎撃に参加するでしょう。
どんべ
こいつを使って4発重爆を迎撃、というシチュエーションそのものに無理があります
(そりゃ確かにいざ来襲となれば飛ばすかも知れませんが、重爆迎撃が本職というわけではありません)。
P−38ライトニングにしても、長距離支援戦闘機ですから迎撃に転用可能なのは確かですが、富嶽登場時の情勢を考えればもうベテランの域に差し掛かりつつあります。
ここはどんべさんのおっしゃる通り、富嶽出現当時最新の迎撃機との性能比較を行うべきでしょう。
因みに僕の現時点における日本機のバイブル、秋本実著『日本軍用機航空戦全史』によると、
富嶽の性能は
応急案(ハ−44装備、離昇出力2450馬力)
:全長42m、全幅63m、翼面積330u、乗員6名、離陸重量122t、
最大爆弾搭載量20t、武装20mm機銃4門、
自重33.6t、離陸翼面荷重370kg/u、離陸馬力荷重8.14kg/HP、
最大速度680km/h(高度1万5千)、640km/h(高度1万2千)、580km/h(高度9千)、
航続距離1万8200km(爆弾15t)、1万9800km(同10t)、2万1200km(同5t)、
プロペラ:VDMまたはラチエの電気式回転の4翔または6翔ペラ、
最終案(ハ−50装備、離昇出力3100馬力)
:全長・全幅・翼面積・乗員・離陸重量・最大爆弾搭載量・武装は応急案に同じ、
自重33.8t、離陸翼面荷重370kg/u、離陸馬力荷重6.10kg/HP、
最大速度780km/h(高度1万5千)、700km/h(高度1万2千)、640km/h(高度9千)、
航続距離1万6500km(爆弾15t)、1万8000km(同10t)、1万9400km(同5t)、
プロペラ:VDMまたはユンカースの油圧式定回転の6翔または8翔ペラ、
となっております。
また、昭和18年に設置された軍需省が川西に発注した試作爆撃機TBというのがあり、19年3月中旬にTBと富嶽の比較検討が行われました。
このときの両者の性能は、
富嶽:全備重量116t、翼面積310u、全幅61m、
最大速度700km/h(高度1万5千)、航続距離1万8500km以上(爆弾5t)、
武装:20mm機銃×3、13mm機銃×1、
乗員6名、離陸距離1500m、
TB:全備重量74t、翼面積220u、全幅52.5m、
最大速度600km/h(高度1万2千)、航続距離2万3700km(爆弾2t)、
武装:13mm機銃×4、
乗員6名、離陸距離1900m、
です。
勝井
1.17年11月。B−36の情報入手、ミッドウエー敗戦等戦局により中嶋知久平が超大型飛行機を発案、社内に「必勝防空研究会」を召集。
2.18年6月。中島知久平が「大東亜戦争必勝戦策」を要人に配布(架空戦記好みの奇怪な戦術で戦うZ飛行機の概念具体化)。
3.18年夏頃、陸海軍共同研究の一部として中島提案の大型爆撃機について検討。
4.昭和19年3月。各メーカー共同の富嶽委員会設立。設計開始。
5.計画の変質(奇怪な戦術で戦うZ飛行機から米本土爆撃機「富嶽」=普通の長距離爆撃機への変貌)
6.委員会設立よりわずか5ヶ月後の19年8月、資材欠乏、発動機完成見込みの絶望から計画中止。
といったもので、奇矯な戦術で戦う大型飛行機は中島知久平の頭の中にあった「Z飛行機」であって、その後、軍が関与して計画検討した「富嶽」はごく普通の長距離爆撃機であって、戦争必勝の決戦兵器ではない、ということになります。
元々がB−36の対抗機であること、「Z飛行機」と「富嶽」は性能、運用が異なること、等を押さえて置くと富嶽は理解しやすいのではないでしょうか。
BUN
富嶽の正当な戦法だと思ってましたとも。
佐藤大輔さんの著書でね。
(後から読み返してみたら、最初から「妄想」と言い切ってたんだよなぁ)
勝井
まなかじ
BUN
この条件さえ満たせば(決して容易に満たせる条件ではないですが)
富嶽の迎撃は可能です。
皆様お勧めのP−80などにかかっては富嶽などいいカモでしょう。
前述の性能の通り、防御兵装などかなり弱いですから。
勝井
別に富嶽オリジナルの性能じゃなくて、元をたどれば
18年の海軍の中攻に対しての目標性能なんだな。
論ずる意味が無い、と思う。
BUN