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WWII時の日本軍の「隼」はなぜ二枚ペラなのでしょうか。 イマジン
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- 隼I型のことですね。II型以降では三枚ペラを装備しています。I型があえて二枚ペラを採用したのは重量軽減して運動性を高めるための苦肉の策ではないでしょうか。碇義朗著「戦闘機 隼(光人社)」には試作時代の隼(キ43)が97式戦闘機に水平旋回でどうしても勝てないため、ありとあらゆる手を使って重量軽減に苦闘する中島開発陣の様子が描かれており、その中に「重量軽減のためプロペラ直径を(馬力に比して小さ目の) 2.9m とし回転数を上げてスラストを稼いだが、このために上昇力が低下してしまった」という記述が出てきます。
ささき
- 十二試艦戦やキ43の計画された当時は二翅プロペラが標準的だった、ということなのではないでしょうか。零戦と異なり、一式戦として制式採用後も二翅であったのは一旦開発が停滞していたことを反映しているような「気がします」。
BUN
- プロペラ径を小さくすると、着陸脚を短くする事で、重量を軽減する事が出来ます。
ささきさんの言われるように、プロペラ自体を軽くするという事では無いような気がします。
プロペラの性能についてはよく解らないのですが、
生産性の面から考えると、
固定ピッチプロペラならば、一本の材料から作る事が出来る二翅が絶対に有利です。
固定ピッチから可変ピッチへの過渡期である時代の事ですから、
BUN師匠が言われるように、「二翅プロペラが標準的だった」のだと思います。
可変ピッチプロペラは一枚づつ造らなければいけませんが、
それでも、部品数が少ない方がいいはずです。
十二試艦戦が三翅プロペラになったのは、振動問題を解決するためでは無かったですか?
43は開発が停滞していたため、二翅のままだった、というのはちょっと違うような気がします。
どんべ
- 隼は本来、順調に開発が進行していれば九九式戦くらいの戦闘機です。また、昭和14年中に完成した増加試作機までは固定ピッチプロペラを装備しており、定速可変ピッチプロペラの検討は14年中に始められましたが、本格的採用は、御存知の通りのケチが付いたために一旦不採用になりかけた後の改良案の中に盛り込まれた項目なのです。このようにキ43はどう見ても昭和15年丸々一年を棒に振っていますので、遠距離戦闘機としての再評価の動きの中で低速可変ピッチプロペラが盛り込まれるという、いささか後手に回った開発ペースとなっているのだと私は思います。
BUN
- ところで、キ−43のは(というかキ−27の時点で)プロペラは金属製ですね。
まなかじ
- だから、ソダチ杉の輸入が途絶えた時点で金属に変わったんですよ。木製では理想的形状に加工しにくくプロペラとして非効率な上に、なおかつ良質の合板を製造する技術が乏しく、かつ当時の合板は加工しにくく、刃具の消耗も大きかったのです。それでも従来の木製をという声もあったのですが、予定の素材がヤリ杉、ノリ杉だった為にさすがに遠慮したようです。
BUN
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