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『空雷』という見出しで、投下したと思われる、四式戦?零戦?のすぐ後ろで大爆発を起こしている新型特殊爆弾と説明された写真を『ああ航空隊(続日本の戦歴)』毎日新聞社 昭和44年 のP160から161で見ました。これは『タ弾』と、考えていいのでしょうか、それとも何か別の物なのでしょうか?宜しくお願いいたします。 未阿 |
ささき
陵風
未阿
クラスター爆弾の様に、小型の「タ弾(成型炸薬弾)」を多数(
36個)仕込み、それが目標上空で投網の様に飛び出す。という
物であった様です。これを対空用に用いたのではないでしょうか?
ちなみに、海軍の対空用爆弾はいわゆる三号爆弾ですが、これも
弾子が傘状に飛び散るものでした。
で、陸軍も海軍もタ弾と三号爆弾を融通しあった様ですが、この辺
は不明です。
また、海軍には二一号「タ弾」もあるのですが、これは飛行場攻撃
が目的であった様です。
しかし、いろんな「タ弾」があるんで、ややこしいなぁ・・
takukou
ささき
takukou
>この写真を見ると爆心に残った黒煙と下方に広がった散弾?の光跡(リン光?)は、いかにも正に蛸の形そのものですね。
という表現からも焼夷弾系を思わせますし。
舞弥
私の知っているタ弾は36発パッケージで、パッケージ先端の小プロペラが風圧で回転してネジがゆるみ、空中で開いて散布されるようになっていて、爆発で散布されるものでは無かった筈ですが、もし爆発で散布する、空対空で使用するタ弾が有って、それについて知っておられる方がおりましたらお教えください
陵風
「タ弾」を空対空に流用したのではないでしょうか?
takukou
陵風
いくのだと思います。
あと、30sの物は30発の小型爆弾が「パッケージ」であったよう
です。
いずれにしても、敵機を撃墜するのは三号爆弾同様になかなか難しい
とは思いますが。
takukou
陵風
世界の傑作機「B24」の写真キャンプションも手許に無いのですが、多分3号
爆弾だと思います。
解説された方が混同されたのではないでしょうか?
takukou
BUN
懺悔します。どうやら「タ弾」も花火の様に破裂する様です。
戦史叢書にその旨の記述がありました。
戦果としてはニューギニア方面に関してですが、一式戦による
対B17への「タ弾」攻撃が数回成功したらしいです。
やっぱ、稽古だなぁ・・
takukou
陵風
未阿
また、同じ五十九戦隊の清水曹長は翌日もタ弾によりP47を2機同
時撃墜した、とあります。
ついでに、書き添えますと3月8日にはB24が9機ウェワクに来襲
しましたが、主としてタ弾攻撃により7機を撃墜した。ともありま
す。これは、タ弾の戦果としては我が方の認定したものとしては最
大のではないでしょうか?。
最初からこの様に書けば誤解も生じなかったかとは思います・・
あと、蛇足ながら、対戦車用の「タ弾」(主として火砲等から発射
する)も陸軍の兵器として存在します。
takukou
舞弥
BUN
そこなんですが、確かに「絶対こうだ」と言い切れるものでは無いかもしれ
ません(30sのタ弾にしても、戦史叢書中でも36発とか30発とか小弾
の数が違う・・)。
ただ、空対空用途で最も多用されたと思われるニューギニア方面での記述で
は「空中で炸裂」とあるので引用した次第です・・
いずれ、この件に関しては一層の精進が必要と思います。
takukou
これとは別に陸軍の航空爆弾のタ弾があったらごめんなさい。
少なくとも海軍のタ弾の場合、小銃擲弾のタ弾とは外観も構造も違っていて直接の関連性はないと思います。
舞弥
上にも書きましたが、それはタ弾でも、21号爆弾と呼ばれるものでは
ないでしょうか?
takukou
舞弥
また、このタ弾は別名を40mm散布弾と呼ばれており、径で呼ばれるのは、汎用弾としての性格によるのか、または高蔵製造所がもともと銃砲弾薬の製造所であり、タ弾も薬莢の製造技術を応用して製造されていたことによるのだと想像しています。 その100万発という数も、タ弾弾子の数であろうと思われます。
兵藤二十八の「日本海軍の爆弾」には40mm散布弾とタ弾はおそらく別物、として書かれていますが、高蔵製造所の記事を信じるべきではないでしょうか。
BUN
あるかなぁ?と考えておりました。
ただ、擲弾等に用いたのと同様である、という状況証拠も無かった
もので・・
takukou
陸軍の(航空爆弾の、、ややこしい)タ弾は3種類。
2式40mm撒布弾/一番オーソドックスなタイプでニューギニアで使われたといわれるのもこれ。口径40mm重量約700gの弾子30個を撒布する。重量は30kg。
3式40mm撒布弾/上と共通の弾子を56個を収容するタイプ。重量は50kg。
仮称5式50mm撒布弾/50mmの弾子を使用するタイプ。仮称といいつつ、終戦直後の各基地の在庫状況を見ると3式より多い。戦史叢書では50mmx76個のタイプが最初に試作されて、その後に30mmx30個のタイプが試作されて後に両方とも採用されたとあるので、実際は意外に早くから生産されていた可能性もあり。
タ弾の空対空使用はB17に対して12.7mm機銃が通用しないことから考えられた苦肉の策で、昭和18年1月11日に参謀本部が第6飛行師団を指揮下に置く第8方面軍に下記の指示。
1.戦闘機用タ弾の整備及びタ弾懸吊装置を1月15日までに30機分発送。
2.キ45 5機(人員とも)を第12飛行団に特別支給。
以下略
またこれに関連して航空審査部は明野飛行学校と協力して飛行中の編隊に対するタ弾の投下法を研究。その結果「タ弾の落下速度が遅いため、編隊の前方で投下する時期が難しく、効果なし」という判決だった。
何はともあれ実際にタ弾は送られて使用された訳ですが、戦果報告をどこまで信用すべきなのかはわかりません。
海軍のタ弾ですが、弾子のスペックが40mm,700gと陸軍のものと共通している事からしても、陸軍の物をルーツにしているとみるべきだろうと思います。弾子は共通うでディスペンサーが違うのではないかと思います。海軍のそれが遅れたのは評価段階でタ弾を搭載した1式陸攻が事故で空中爆発を起こした為に、それに対応する為の信管の海軍独自の改修に手間取ったからのようです。
舞弥
この部分は戦史叢書「陸軍航空兵器の開発・生産・補給」より。
舞弥
未阿