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776 「紫電」の脚柱の伸縮は、トレッドが広くなるのを避けるために採用されたようですが、
胴体に開口を設けて、その中に収める事は出来なかったのでしょうか?

 他の中翼機は、P-47が紫電と同じく翼付け根ぎりぎりに車輪を収め、
F6F・F4Uが後方引込み、F4Fは胴体から脚柱(?)が出ています。
おそらく強度の関係で、翼と胴体をまたいだ開口を設ける事が出来ないのだと思いますが、
突っ込んだ解説を伺いたいと思います。
どんべ

  1. 車輪部分を胴体に引っ込める中翼機としては、ブリュースターF2Aとか、スウェーデンのFFVS・J−22がありますね。
    やる気になれば紫電でもできないことはないと思うんですが、伸縮機構をつけても不具合を出さない「つもり」だったのでしょう(笑)
    P−47は紫電と同じく油圧の伸縮機構がついてます。
    まなかじ

  2. 現代?のターボプロップ双発肩翼の旅客機のたしか『フォッカー50』は長大な主脚をいったん縮め、90度捻ってからエンジンナセル後部に格納します。あの動きを見た時紫電の脚の話を思い出しました。工作精度さえ確保できればなんだって設計通り動くのでしょう。
    SHI

  3. たぶん、胴体内に入れることも考えたと思いますよ。ただ、そうなると縦通材を切らなくちゃいけなくなって機体の強度が下がるので選択しなかったのではないでしょうか。それとも、もしかしたら単なる設計者の趣味かもしれませんよ。こういう人たちは大体にしてアクが強いですから、自分の趣味を前面に出そうとしますからね。世の中そんなもんですって(笑)
    胃袋3分の1

  4. 碇義郎「紫電改」によると「強風になるべく手間をかけず陸上戦闘機化するため、切り欠きを入れることにより胴体強度の再設計が必要になるのを嫌った」とあります。しかし強風と紫電の胴体って結局後半 2/3 くらいをバッサリ再設計してるんで、伸縮脚みたいなギミックを入れるくらいだったら最初から胴体前面設計しちゃった方が良かったのかも知れません。しかしそれを言い出すと、どうせ胴体を再設計するなら低翼化して最初から紫電改相当の設計にするのがベストだったのかも…。性能的にもパッとせず、故障と事故続出により 1000 機以上も作られた割に大して活躍もしていない「紫電」は「急がば回れ」の典型かも知れません(;_;)
    ささき

  5. 川西設計陣も,細部をつめて行く程に,最初に軍に提示したような
    お気楽改造とは行かなくなった事に気づいていました.

    紫電の意義は結局,「フィリピン方面に間に合った事」だと思います.

    SADA

  6. でも米軍は紫電を「零戦より速くて重武装かつ燃えにくい新型機」と結構高く評価していたらしいです。推定速度650キロ/時,と見なしていた時期もあったとか。
    フッフール

  7.  質問者です。
     ありがとうございました。とても良く理解出来ました。
    私の「強度の関係で不可能だったのか?」という疑問に対しては
    「強度の関係で面倒だった・時間がかかるから嫌だった」と解釈すればいいようです。

     また、伸縮構造は紫電に独特の物では無く、たまたま(?)失敗したから
    語り草になっていると考えた方が良さそうです。

     ささき先生の言われる通り、紫電を結果論で捉えると、結局紫電改になってしまうのですが、
    この行ったり来たりのジレンマが逆に紫電の魅力であるとも思います。
    でも、時間や手間ををかけたくなかったのなら、
    「ぢゃ、なんでエンジンを変えたりしたのさ?」と突っ込みたくもなりますが。
    どんべ

  8. この当時の海軍は,誉に異常な期待をかけてますから.
    まるでなんとかの一つ覚え,みたいにほとんどに誉をのっけてます.

    また,当時の火星はまだ2x型は出ていないのではないですか?
    誉と比べると出力ではっきり見劣りしたはずです.

    SADA

  9. 異常な期待と言われても、なんとかの一つ覚えと言われても、そうせざるを得なかった気持ちはわかります。悲しいねぇ…(;_;)
    ささき

  10. ええ,ほんとに・・・(T-T)
    SADA


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