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751 第二次大戦後、「撃墜王」が現れないのはなぜ?
ぱるぱる

  1. ベトナム戦争の頃の米空軍でも、撃墜数を示すマーキングを機体に描いたり、エースパイロットを表彰したりしていますが、米軍でも第二次大戦期とは軍用機全体の数が一桁位違うので、当然エースといえども撃墜数は第二次大戦期のとは比較になりません。ベトナム戦争の頃でも10機位撃墜した実績があれば凄腕とみなされていたのでは。
    アリエフ

  2. カニンガムさん…トーンさん…
    Schump

  3. 「エース」とは敵機を5機以上撃墜した者に与えられる称号ですが、何をもって「5機」と数えるかの条件は国や時代によって多少異なります(1/2 や 1/3 の共同撃墜戦果も加算するか、地上の敵機撃破も加算するか、など)。
    各国時代ごとのエースの一覧がこのページにあります。
    http://www.csd.uwo.ca/~pettypi/elevon/aces.html
    エースの輩出した第二次大戦においても米軍撃墜王の撃墜数が少ない(一位の Dick Bong で 40 機)ですが、これは米軍が Tour Of Duty 制度を持ち前線パイロットを定期的に交替させていたためです。従って一人ごとの撃墜数は少ないのですが、パイロット生存率が高いうえ10機未満のスコアを持つパイロットの数が非常に多い(リストに出ていない2〜3機撃墜のパイロットは物凄く多い)のが米軍の強さの秘訣でした。
    第二次大戦後、数十機の敵機を墜としたいわゆる「スーパーエース」が出ないのは
    (1) 戦争が地域的になり、範囲が狭くなったうえ期間も短くなった
    (2) 軍用機の価格がベラボウに高くなったので絶対数が減った
    (3) おいそれとは消耗できない機体やパイロットを大量消耗的作戦に投入しなくなった
    のが原因だと思います。
    戦後にあった大規模航空作戦は朝鮮戦争・ベトナム戦争そして湾岸戦争です。朝鮮戦争では比較的敵味方の航空勢力が拮抗していましたが、あくまで限定代理戦争なので両陣営とも本格的な空軍力投入は行っていません(結果的に逐次投入になりました)。ベトナムと湾岸ではフルスケールの航空作戦が展開されましたが敵味方の航空勢力のバランスが違いすぎました。特に湾岸ではステルスや巡航ミサイルの先制攻撃によりイラク軍の航空施設が作戦開始後数日で壊滅してしまっています。よって、これらの作戦においては「空中戦」という状況が発生すること自体が少なかったのです。
    戦後のジェットエースを語るとき外せないのは中東戦争です。この時はアラブ側が近代戦の常識では考えられないほどの航空消耗作戦を展開したため、迎撃側のイスラエル空軍に10機以上のスコアを持つエースが多数輩出しました。
    ささき


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