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734 「鍾馗」キ44−I型?を改造して造られたといわれる2重反転
プロペラ実験機ですが。何時頃、何処で改造されたのでしょうか?
そして、実験後の機体はどういう末路をたどったのでしょう?
takukou

  1. この件、私も知りたいんですが、いままで思っていたことだけ開陳すると
    この機構を搭載するのは結構大事でなおかつ実機も大改造されているので、
    陸軍工廠より中島の大田でやったのではないか?
    開発に東大航空研が関わっていないか?
    目的はキー64開発の為のデータ取り?(17年10月に本格的設計作業に入る)
    時期は17年半ばではないか(写真と状況を見て思う)。
    と、こんな具合に考えているんですが、如何でしょうか。
    BUN

  2. ↑どうもです。ところで、
    >実機も大改造されているので
    なのですが、関連以外にも改造された部分はあるのでしょうか?
    確か、機首下面のオイルクーラー?らしき設備も新設されてますよ
    ね。また、機銃は撤去されていたのでしょうか?

    >目的はキー64開発の為のデータ取り?
    私もその様な気はしていたのですが、キー64の為だけでは無い感
    じもします。そこで
    >開発に東大航空研が関わっていないか?
    となるのでしょうが。

    >陸軍工廠より中島の大田でやったのではないか?
    なのですが、真偽は不明ながら、大田での目撃者がいるのです(当
    時勤務(^^;していた例の身内ですが)。
    彼曰く、「鍾馗」は二重反転だった。と言ってきかないのです。幼
    い頃の私はその様な機体の存在は知る由も無かったですから、ホラ
    こいて。と、当時は反論していたのです。
    目撃した時期的には19年か20年だと思いますが、この手の実験
    機って資料はろくに残って無いんですよね(やっぱ、国会図書館か
    ?)。
    takukou

  3. 多分、二重反転用用の機構を搭載したせいだと思うのですが
    この機体、良く見ると機首が異様に長いのです。
    その他にも変更点はあるようです。
    BUN

  4. 一枚の写真からどうこう言っても空しい限りなのですが、この機体、翼内武装は無く、また機首の機銃口もありません。機首はカウリングが変更されているからだと思いますが、このカウリングの中には色々と問題となった気化器へのインテイクダクトが通っており、ここも改設計されたはずでしょう。改造はあまり簡単ではなかったとする根拠はここです。また、試作機にしては一型後期の特徴を持っており、塗装も無塗装で初期の試作機の塗装とは異なります。無線機、照準器の搭載も無く、どうも工場のラインから抜いてきた一機を改造した様にも思えます。
    次に、この機体をキー64と結びつけて考えたのはキー64が東大航空研の強い影響下に開発が進められたと思われる点と、中島飛行機と東大航空研との比較的密接な関係によります。(数年前、東大から鍾馗の風洞模型が発掘されましたよね。)加えて、とうに疾風の開発が進んでいた時期に陸上機でしかも比較的低馬力のハ41で二重反転ペラを実験する意義が他に考えられないことも理由の一つです。
    また、時期ですが、この機体を工場のラインから引き抜いたとすれば一型ですから17年中のはずで、17年末以降であれば二型ベースでこの機体のように「ハ41ペ試」ということは無いはず、と考えたことによります。
    BUN

  5. ぅ、そうでした。機銃なんかは撤去されてますね。
    で、カウリングも御指摘の通りでした(反省)。

    あとは概ね推察の通り、という感じがしますが。どの程度の試験(
    飛行)を実施したのか?時期は?とあれこれ考えても埒があかない
    でしょうけど興味をそそる機体ではあります。
    やはり、(世に出回っている)写真は1枚しかないのでしょうか。
    takukou


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