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729 初歩的な質問を1つ。
 基地航空隊のパイロットは、空母に着艦できたんでしょうか? 
 確かに「着艦」という特別な訓練なしでは無理だったのかもしれませんが、例えば、坂井、西沢、大田、笹井-といった、何度も実戦を経験したパイロット達でも、いきなり「空母に行け!」と言うのは、さすがに無茶な事だったのでしょうか? 個人的には、ヘタな新人を育成するよりは、彼等のような実戦を積んだ基地航空のパイロットを転用した方が(簡単にできれば)、より現実的なのではないか-と思うのですが.....
MS-09R

  1. 勿論、着艦した例が有ります。
    例えばアリューシャン作戦の時に6空(後にラバウル
    で活躍する204空)の宮野善次郎大尉は敵偵察機の
    接近を聞き艦長に承諾を得るや出撃し無事着艦した
    という話も有ります。
    戦前から教育を受けていた海軍のパイロット(有る程度の
    飛行時間)であれば発艦及び着艦は応用の一つであったと
    思います。
    ただし、母艦パイロットは発艦,着艦は勿論の事、
    編隊による洋上航法,攻撃隊援護,夜間の着艦等も含まれて
    きます。母艦パイロットの育成が難しかったのは先の様な
    訓練が必要不可欠であったからです。(当然、実際に空母を
    使用した訓練も必要になります。)
    また、確かに実戦経験豊富なパイロットを転用出来れば、
    より戦闘力は上がると思いますが日本海軍の実情が特に
    日米開戦後はそれを許す程の余裕が無かったからと言うのが
    実情だったと見るべきだと思います。
    無限

  2. 昭和17年1月26日、千歳航空隊の96式艦戦16機をラバウルに進出させる際、ラバウルから直接進出するのは航続距離的に無理ということで空母を経由させた例がありましたね。このときはラバウル→空母は空母搭乗員が飛行して、空母→ラバウルは基地航空隊の人が飛ぶことになっていたみたいです。こうすれば空母着艦はないので基地航空隊のパイロットでもできるだろうとの判断だったみたいですが、ラバウルの悪天候のため空母に引き返し空母着艦をやってのけています。
    N.W

  3. 太平洋戦争開戦初日のフィリピン空襲は、最初は小型空母から行われる予定で(実際は零戦の長大な航続距離を生かして、台湾から直接行っています。)、台南空のパイロットは開戦前に着艦訓練をみっちりやっていた、と「大空のサムライ」には書かれています。
    NX

  4. これはヨーロッパの例ですが、第二次大戦初期のノルウェー戦でフェーリアス、グローリアスから英空軍のグラジエーターとハリケーンが発着艦に成功しています。ちなみに、グローリアスが沈められたのはその帰り道です。
    tomo


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