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703 昭和18年6月20日にチモ一ル島を発進して行われたポートダーウィン爆撃で初陣を飾った100式重爆ですが、このポートダーウィン爆撃とはいったいどのようなものだったのでしょうか?自分の持っている資料には詳しく載っていないので教えてください。お願いします。
たけっち

  1.  ポートダーウィン(オーストラリア)空襲は当初敵の退路を絶つという目的で当初は海軍機によって実施されています。
     しかも機動部隊で大空襲。そのあと陸攻隊が追い打ち。
     十分だろうって事で1回でおしまいとなりました。
     これが17年の2月。

     次が17年4月〜8月終わりまで海軍の昼間強襲
     以外と早く復旧したポートダーウィンし時々攻撃してくるので「うざったいから攻撃しとけ」ってことで、陸攻がメインで攻撃したもののこれが返り討ちにあったので護衛に零戦を付け、零戦がスピットファイアと初対決したのもここ。

     当時のオーストラリア軍はまともな戦闘機を持ってなかったんで、テキサン改造戦闘機「ワイラウェイ」なんかも使って迎撃してます。
    (爆撃機の撃墜戦果はあるらしい)
     で、消耗して8月で昼間強襲はやめて以後は夜間爆撃に。

     以後1年はダラダラと消耗戦を続けて陸軍の登場。

     陸軍の百式については・・・飛行第六十一戦隊が最初かな?
     18年6月頃〜10月に61戦隊は頃までポートダーウィンを空襲してますが、どうも被害ばかり目立ったようで・・・
     陸軍のポートダーウィン爆撃は資料持ってないので分かるのはこれだけ。

     ポートダーウィン爆撃の結論: 「航空消耗に関していえばガタルと同レベル」
    # 言いすぎか??
     なお、資料は下の質問も合わせて丸メカと丸スペシャルがメイン。
    tow

  2. 昭和18年6月21日のダーウィン攻撃:
    飛行第六一戦隊     百式重爆 18機
    七五戦隊(一部)    九九双軽  9機
    五九戦隊        一式戦  22機
    独立第七十中隊     司偵    2機
    爆撃直前46機のスピットファイアの攻撃を受け重爆1(2?)機
    、一式戦1機自爆、不時着重爆1機、双軽2機。重爆の多数被弾。

    「敵は空中待避し敵機の地上撃破を逸したのは遺憾だが、多数のス
    ピットファイア撃墜を報じ〜中略〜陸軍航空部隊の豪州第一撃とし
    て成功と認めらた」と「戦史叢書」にあります。
    なお、実際のスピットファイアの損失は2機、地上での戦死3名、
    負傷11名。爆撃前に海軍と一悶着あったのですが、それはまた。

    余談ですが、この地では反日感情が結構激しいそうです。まぁ、金
    ズルですからあからさまには態度に出さないでしょうけども。

    takukou

  3. 百式重の初陣ですが、 初陣と呼べるようなものではないかもしれませんが、昭和17年10月5日から、呑龍の審査を担当した八木斌少佐の指揮する六十一戦隊が
    1中隊をスマトラ島北端のサバンに派遣して1000キロ三角哨戒主としたインド洋の哨戒をはじめています。この時に使われた機体が呑竜であった可能性は極めて高いです。

    攻撃の詳細については、
       
       新戦史シリーズ 88     (株)朝日ソノラマ
     
       『陸軍重爆隊』 伊澤 保穂 著  P254 に有ります。


  4. ↑1補足。
    ワイラウェイは、たしかにテキサン系列ですが、前身の固定脚機BT-9と系列最初の海軍仕様引込脚型BC-1がまぜこぜになった機体です。二人乗りで武装は前方固定2丁と後席旋回1丁の7.7mm機銃と爆弾500ポンドまで。日本でいうところの軍偵のような用途に使われていました。とても戦闘機としての性能はありませんでしたが、気休めに迎撃出動したことはあったようです。
    なお、ワイラウェイによる唯一の(ということはテキサン系列唯一の)撃墜戦果は、昭和17年12月26日、ブナ付近で記録された零戦撃墜だとされています。
    なお、ワイラウェイを無理やり改造して1200馬力級戦闘機(R-1830搭載)に仕立てたのが「ブーメラン」ですが、実戦投入が昭和18年中盤あたりになってしまい、時期的にオーストラリアにもスピットファイア等の高性能機が充足し始めていたため、対航空機用途に使用されることはなく、もっぱら地上攻撃機として使われました。
    Schump

  5. ↑ブーメランがいくら対地攻撃専門だといっても、ハリケーン初期型ぐらいの性能はあったはず(しかも20mm×2、7.7mm×4)で、臨時に迎撃出動して日本機を落すことはあったかとも思われます。
    Schump

  6. ブーメランについてですが、航空ジャーナル1980年5月別冊「第2次大戦の軍用機」(この間の飲み会の時に持ってったやつでね、BUNさん)によりますと、ブーメランは「敵機撃墜の記録もない代わりに、敵機による被撃墜の記録もない」戦闘機だとあります。この本によると、唯一の日本機との戦闘記録は、1943年5月16日に2機で3機の一式陸攻に対して砲火を浴びせたが逃げられた、というものだそうです。
    まあ、20年も前の本なのでどこまで信憑性があるかはわかりませんが、記事自体はかなりしっかりしています。
    胃袋3分の1

  7. ドキッ、私の知り合いが「架空機」に二式陸上中間練習機ベースの戦闘機「イッタキリ」を応募しようとしていることがバレたのでしょうか。
    BUN

  8. ↑6、なるほど、撃墜も被撃墜もないのですか。
    In Actionにあった「テキサン一族唯一の空中戦果」の意味するところがブーメラン込みなのかどうか自信がなかったのです。
    Schump

  9.  ありゃりゃ、記憶モードで書いた部分が思いもよらない方向へ飛び火している(^^;;

    >4.Schump殿
     フォローサンクスです。うろ覚えで爆撃機と書きましたが零戦ですか。
     あと「ブーメランの基になった」が頭に有ったもので、つい戦闘機と書きました。

     ほんで、補足を兼ねて知らない人のためにちょっとブーメラン(Ca12,13,14,19)について。
     テキサン系の改造機とはいえ、尾部と主翼の内側以外は別物で、ほとんど別物に見えます。
     とりあえず↓からAustralianの項のリンク(PDFファイル)で格好は分かります。
     http://world.std.com/~Ted7/ADClist.htm
    # 直リンク。どーもシミュレーションのデータシートっぽい。ワイラウェイもいます。
    # 他の国の機体も沢山。

     武装ですが20mmはイスパノMk2で装弾数60発なんですが、7.7mm(0.303cal)は各砲1000発で計4000発も積んでいます。
     爆弾は500ポンド1発ですが、ブーメランが対地任務に当たった場合、歩兵とソフトスキン車両がほとんどの日本軍にとっては長い間機銃をばらまかれるため相当厄介な相手といえそうです。

     生産数は各型合わせて250機、生産のピーク(というか生産が軌道に乗った)が1943のため、すでに解説されているとおり、数がそろったときには戦闘機としてはどうでも良くなっていたみたいですね。
    # 撃墜されてないそうですが、結構派手に壊してるみたいです。

     ワイラウェイの生産数に関しては、全部で755機。平時の練習機も含みます。
     そのうち7割が1941〜43にかけて生産されてますので、訓練に偵察・爆撃に戦闘(はおまけか)に引っ張りだこだったのでしょう。
    tow

  10. BUNさん>
     そのお友達は「BINさん」という方ですね?
    胃袋3分の1

  11. 私は主に真実しか語らない方針ですので、架空機の館には踏み込まないよう、
    自分を戒めています。
    その方は全くの他人ですので、生意気な事を言ったら、容赦なく虐めてやってください。
    BUN

  12. >9.訂正
     あーも−読みにくい上に推敲不足も甚だしい。
     ブーメランの武装は、
     20mm(イスパノMK2)・2門・各銃60発 で計120発
     7.7mm(ブローニング.303CAL)・4門・各銃1000発 で計4000発
    が正解。
     あと、「派手に壊している」は撤回。誤訳です。

    # 毎度毎度、反省だけして進歩がない猿以下な私。


    tow

  13. 了解しました。存分に虐めさせていただきます。・・・反撃が恐いような気もしますが・・・
    胃袋3分の1

  14. Bの補足です。
     呑龍の初陣は、実質的には、ポートダウイン爆撃ですが、その前に磯塚倫三大尉 の編隊によるココス島爆撃があります。 



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