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陸軍機、海軍機による、片翼飛行、片肺飛行は、どれ位有ったのでしょうか。 お教えください。 未阿 |
ささき
これが片発となると,実例はぐんと増えます。たいていの双発機は機内の重量物を捨てちゃえば,片肺飛行は十分可能な場合が多いように思います。そもそも多発機の利点の一つが,これら片肺飛行による生存性の向上にあるのです。
数十機単位での戦闘行動ともなれば,一機やそこら,片肺で帰還する機体があったのではないでしょうか?
勝井
BUN
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雲
実際、実用性はあったんでしょうか?
taka
陸軍機の、長距離片肺飛行としては、
(1)昭和19年9月10日。第61戦隊の沼田少尉機(百式重・呑龍)は、夜戦のサンサポール飛行場攻撃の帰りに片肺となり、夜間450kmを片肺飛行し、セラム島に胴体着陸しておられます。
『陸軍重爆隊』 伊澤保穂 著 P260 (株)朝日ソノラマ
新戦史シリーズ 88 ¥728
尚この本は、単行本でも発行されており、それには多くの写真が掲載されていますので、出来ればそちらをお勧めいたします。(今手元にないので発行所分かりません。)
(2)昭和13年12月26日、第60戦隊、柴田e光少尉機(九七重)は、重慶上空から漢口まで山岳地帯かつ雲中を750km、片肺飛行で帰還しておられます。
この時の搭乗員は、柴田機長(少尉 中尉)池島重次郎(軍曹 曹長 少飛1期)小島忠夫(軍曹 伍長 少飛3期) 清水剛兵軍曹 後藤利治伍長 の5名。
前記3名の階級は、文献により違う為に両方記載いたしました。前者は、この時点での階級、後者は、下記↓↓の手記が、書かれた時点でのものか?
『陸軍重爆隊』 伊澤保穂 著 P108〜110 (株)朝日ソノラマ
新戦史シリーズ 88 ¥728
「五號機帰還せず」 桂元二(少飛2期) 著
古い雑誌なので表紙がとれてはっきりしませんが遠い記憶では、
昭和14〜16年頃の 「航空朝日」か? 2回に渡り連載。
雲
B昭和12年9月22日、飛行第六大隊中隊長・久保木巌大尉機 正繰南曹長 副繰 金重文雄大尉 石家荘〜南苑 約250km 九三重?
C昭和16年12月8日、第六十二戦隊、島田中尉機
タナメラ〜クラコール 胴体着陸 九七重
D昭和16年12月29日、第十四戦隊、 岡村武中尉機
コレヒドール〜サンフェルナンド 不時着 九七重
E昭和17年2月1日頃、第十四戦隊、久保義明中尉機
マンダレー〜モールメイン 九七重
F昭和18年10月24日、第七戦隊 名倉浩軍曹(少飛8期)の搭乗機
(機長名不明) フィンシュハーフェン?〜マダン付近 百式重(呑龍)
G昭和18年7月23日、第五十八戦隊 尾高一興中尉機
零陵〜武昌 九七重
H昭和18年6月20日、第六十一戦隊 桜井東洋中尉機
ポートダーウィン付近〜ラウテン 百式重(呑龍)
雲