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このサイトの中でどなたかが、零戦の読み方について「昭和18年以降はゼロ戦と呼ぶのが普通だった」と書かれていましたが、その根拠(書籍とか、誰かの証言とか)をご教示願いたいのですが…。ゼロ戦というのはてっきり進駐軍の「ゼロ・ファイター」がもとだと思ってましたもんで。 ベックメッサー
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- 「零戦戦史 進撃編」渡辺洋二 グリーンアロー出版社 の114頁から115頁にそのような記述があります。当時の搭乗員多数からの証言によるものなので間違いはないと思います。
舞弥
- 昭和十九年十一月二十三日の朝日新聞に「荒鷲等からは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ」とルビ付きで紹介されたのが零戦の初めての公開でした。それ以前も開戦当初からゼロセンと呼ばれていたらしいことが搭乗員の回想などから判ります。朝日新聞の記事は今でも見ることが出来ます。
BUN
- 参考までに当時の人々の呼び方の一端を伝えします。
私の知人で、陸軍の偵察機訓練生や三菱で生産に携わっていた方たち、及び各務ヶ原
にいました私の父に、以前、「零戦」をなんと呼んでいたかと聞きましたところ、いずれ
すんなりと「ゼロセン」という答えが返ってきました。
意外なことに、「レイセン」という呼び方のほうを不思議がっていました。ちなみに
父の友人が海軍航空隊にいて、最期となる出撃の直前に父に出した葉書にペン(当時は
それが普通で、青インクによるもの)で「零戦」が描かれていましたが、それではなんと
呼ばれていたかは確かめないとわかりません。
国江
- 質問者です。皆様どうもありがとうございました。いやあ目から鱗です。公式には「れいせん」なのかも知れませんが、確かに「ゼロせん」の方が語感はいいですものね。してみると映画「トラ・トラ・トラ!」中の「これが新型のゼロ戦ですか。」という会話もあながち誤りではないわけですな。思えば私の周りでは「れいせんと呼ぶのが通人さ。」みたいな雰囲気があったのですが、とんだ「酢豆腐」の若旦那だった訳でお恥ずかしい限りです。でもまさかに「ワン式陸攻」なんて呼んでたヤツはおるまいな。(ワンショットライターは有名ですが)
ところで皆の衆!「ゼロ戦はやと」というマンガがあったのをご存知かな?
”あれはゼロ戦、ぼーくらのはやと、機体に輝く金色の鷲”
(著作権協会さん、ゴメンなさい。そして「おお、知っとるゾ!」と思わず叫んでしまったアナタは間違いなく40代以上。)
ベックメッサー
- ↑スマン…、三〇代前半だが「ゼロ戦はやと」は知っているぞ…(汗)
ところで紫雲隊はアニメの方では出てましたっけ?
○塚○古
- 私は若いので「零戦あらし」「烈風」「ゼロの白鷹」位しか生で知りません。
BUN
- 「ゼロ戦黒雲一家」ってのもありましたね。
Sampon
- 「ゼロ戦」と言やあさあ、東映映画で「大空のサムライ」ってあったのご記憶かな?坂井三郎を演じたのは1号ライダーで、ラバウル上空でショッカーの怪戦闘機をバッタバッタと撃墜して基地に戻ると、娘のあすかと和菓子を作っておりましたとさ。ちなみに笹井中尉はいまやレポーターの仕事で細々と暮らしている志垣太郎でした。でも特撮もハイレベルだったし、私個人としては大好きです。でもなぜかレンタルビデオ屋じゃ見かけたことないよなァ。(ごみレスごめん)
ベックメッサー
- この映画、坂井三郎氏がラバウル初期の零戦が緑色の迷彩なのは違和感はないかとの問いに「人々が零戦と言えば緑色、と思っているのだからそれでいい」と答えたとのエピソードが印象に残りました。肝心の内容は・・・忘れました!
「ゼロファイター大空戦」も「零戦燃ゆ」もストーリーが印象に残らないんですが、零戦しか見ていないせいでしょうか。(最後に零戦を燃やすから零戦燃ゆ、としておくか、と思ってビールを飲み干した思いでのみ。)
BUN
- みんな古いの知ってるね。僕なんか松本零士のコックピットシリーズしか知らないぞ。(嘘つき64式)
舞弥
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