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旧日本海軍航空機の塗装の変化とその理由について教えてください。 浦辺 |
BUN
太平洋戦争当時の航空機写真やイラストを見ていると、初期の塗装が末期には大き
く変化している気がするのです。私には初期の灰色っぽい塗装の方が空や雲にとけ
こめて有利な気がするのですが、なぜわざわざ空でめだつ色に変更したのでしょう
か?
浦辺
守勢に回っていたことの証拠ですな
青で無いのは敵味方識別の為と見た
SUDO
kazu
まず、初期の灰色(けっこう濃い、暗い色)はF15等のグレーと同じ様な空中での迷彩効果を狙ったものなのかどうかは疑問です。今月号の航空ファンには「空中迷彩説」が載っていますが、この執筆者の他の件についての考察の精度から考えてどうも信用しきれません。機体保護のために塗装法が変わり、表面の塗装が今までの銀色から灰色系の色になった、と解釈した方が昭和14年頃(零戦の原型竣工の時期)の状況を考えると妥当な気がします。また、色自体、ニュートラルなクレーではなく、程度の差こそあれ、各説ともに「緑がかった色」としている点も「空中迷彩説」の旗色の悪い所です。
緑色の塗装は横須賀航空隊で各色の塗装による迷彩効果試験が行われ、その結果を参考に海上での上空からの視認を困難にする目的で導入されています(信濃や末期の瑞鶴が緑色な様に、海は青いとは限りません)。ただ、真珠湾の九七艦攻撃等について「主翼の折り畳み部分の下面まで迷彩しているので地上(艦上)での迷彩効果を狙ったもの」とする説(これも今月の航フ)もありますがそれだけで目立つ空母艦上(しかも当時の空母はデッカイ日の丸を甲板に記入したり、全く迷彩に気を使っていない)に置く艦上機であることを考えれば、現場への塗装の主旨の不徹底から生まれた例外と解釈する方が自然です。更に真珠湾の際に九九艦爆が迷彩されていないのは九九艦爆が空戦を行える、新型の「強い」機種だったからと考えるべきでしょう(直後に迷彩が導入されていますが)。
味方識別用の様々な工夫は日の丸への白縁追加、橙色の味方識別帯として導入されていますが、末期には「有害な物」と認識されていた様で、例を上げると、機動部隊のレイテへの出撃前にはそれぞれを消すように指示が出されています。
また、機体下面の灰色系の塗装は末期には省略される傾向にあり(フィリピンの紫電あたりから確認できる)、また、大型双発機は開戦当初から下面は無塗装であったようです(ここは航空フの記事と同意見です(笑))。
BUN
ものと思っていました。そういえばジャングルより海の方がはるかに戦場となる可
能性が高いですものね。初期の灰色塗装についても勉強になりました。
もしよろしければ、いつ横須賀航空隊で迷彩効果試験が行われたのか教えていただ
けないでしょうか?
浦辺
BUN
BUN