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富嶽計画の中止に伴い三鷹に建設中の組み立て工場も閉鎖、戦後もしばらく放置されていたと聞きましたが具体的な場所を知っている方、是非教えて下さい。お願いします。 マナ
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- 組立て工場があった場所として、中島飛行機武蔵野工場としたら、現在の武蔵野市役所、グリーンパーク公園のあたりでしょう。また中島の三鷹研究所であれば、その跡地は国際基督教大学になっています。ただし、戦争末期には工場を武蔵野、三鷹市内に分散していたようでもあります。
アリエフ
- 丁寧なご回答ありがとうございます。自分でも、もう少しがんばって調べてみます。
マナ
- 図書館で「中島飛行機の研究」(高橋泰昌著、日本経済評論社)という本をめくってみたら、武蔵野製作所等、東京地区の工場はエンジン及びその関係の工場であるため、三鷹研究所の可能性が高いと思われます。なお、武蔵野製作所の疎開先として浅川製作所(高尾山付近の山にある地下工場のことか?)がありますが、ここもエンジン工場です。試作機が完成したら調布か立川の飛行場で飛ばし、量産は群馬の太田か小泉の工場で行う予定だったんだろうか?
アリエフ
- 地図で確認したところ、やはり三鷹研究所の可能性が高いようです。
なにしろ国際基督教大学と富士重工、そして野川公園という公園を介して調布飛行場が隣接しています。現在では調布飛行場の滑走路は800メートルくらいしかないようですので飛び立てないですね。しかし地図を見る限り敷地を目いっぱい使ったら相当な規模(2000メートル以上)の滑走路と工場が作れたと思われます。
情報ありがとうございました>アリエフさん
マナ
- 可能性ではなくて、三鷹研究所で大正解です。二十年四月より三鷹製作所/第二十二製造廠として発足しています。鉄骨くらいは組んであったとのこと。また、細かいことですが、「武蔵野」製作所と「武蔵」製作所は別の組織です。陸軍向けの多摩製作所と、海軍向けの武蔵野製作所が統合した統合発動機工場が武蔵製作所(昭和十八年十一月)でした。
BUN
- あっ、やっぱりそうだったんですか。
貴重な情報ありがとうございます。
しかし、鉄骨だけだったとは寂しいかぎりです。
でも当時としては技術者の夢だったんでしょうね。
マナ
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